第10話

文字数 3,466文字

 理江さんの誕生会は 四時から始まった。
 広いテーブルの上は典子の手料理でいっぱいだ。箸や湯呑み茶碗を置く場所もない。霧子が栄太に頼んだ。
 「栄太君。スタジオのテーブル持ってきてくれへん」
 栄太がスタジオから二人掛けのカフェテーブルをもってきた。
「これで大丈夫だ。僕がここに座ろう」
 菜美は慌てて栄太のそばに行った。
 「おじさん。おじさんはそっちの大きいテーブルに座ってな。私がカフェテーブルに座るわ」
 「いやいや、僕はここでいいんだ。今日のお嬢さんはお客さんだ」
 「なんでやの。やっぱりおじさんは真ん中に座って。席が遠すぎてみんなとお喋りも出来へんよ」
「いや、今日の僕はお喋りはしないでひたすら食べたいんだ」
 二人のやり取りに霧子が決着をつけた。
 「二人でカフェテーブルに座ったら問題ないわ」
 そんなわけで、菜美は栄太と二人でカフェテーブルに座った。菜美は落ち着かない。栄太と喫茶店に来ているような雰囲気になっている。
 典子が厨房から出てきた。菜美と栄太の話は厨房まで聞こえていたようだ。典子はエプロンを外しながら菜美に微笑みかける。
「菜美さん、席順なんてもんは考えんでええよ。楽しかったらそれで充分なんやから」
 皆は和気あいあいで食事を始めた。家庭料理を希望した理江さんは幸せいっぱいの顔をしている。
 「肉じゃが、ほうれんそう、炊き込みご飯、玉葱とじゃが芋のお味噌汁。野菜のかき揚げもあるんやね。理江の好きなものがいっぱい」
 「かまぼこも食べたらええわ。栄太君が今日、街で買うてきたんや」
 かまぼこを盛り上げた皿を典子は皆に勧めた。霧子が菜美に小皿を渡す。
 「菜美さんもかまぼこ食べたらええ。そのままでも美味しいで」
 大家族の食卓はこのような雰囲気なのかと、菜美は考えるのだった。最近の菜美は家族揃っての食事をしていない。母と兄、そして自分自身も働いているからだ。三人で食事したくても、なかなか時間が合わない。父は長く単身赴任をしていて、帰宅するのは月に一回程度となっている。父とゆっくり食事が出来るのは正月だけかもしれない。
 典子が菜美に話しかけた。
 「野菜はね、裏の畑でうちが作ってるんよ。足腰痛いし、日に焼けるし、ちょっとしんどいけどな。新鮮で安心な野菜を使った料理は最高やと思うねん。まあ、完全な無農薬ではないけどな」
 「しかし、草抜きは僕に任せっきりだ」
 味噌汁を飲みながら栄太が言う。
 「ほんま、栄太君は嫌な奴やっちゃな」
 典子は栄太を無視して、理江さんに味噌汁のお代わりを尋ねた。
 「理江さん。まだ味噌汁ありますよ」
 いきなり栄太が大声を出した。
 「典ちゃん。僕にも味噌汁のお代わりを聞いて下さい」
 霧子が笑いだした。
「そうやったな。栄太君は昔からあれがなかったら困るんや」
 栄太は菜美に尋ねる。
「お嬢さんもいかがですか」
「えっ、何」と菜美は戸惑った。
「僕はご飯を二杯食べる習慣なのです。ただし二杯目は、ねこまんま、ですよ」
 菜美は絶句した。ねこまんまは菜美の大好物だった。ねこまんまを一緒に食べてくれる男性こそが「運命の人」だと菜美は考えている。では、栄太が菜美の「運命の人」となるのか。
「お嬢さん、困った顔をしていますよ。嫌なら無理しなくていいんだよ」
「ううん、嫌いやない。私もよう食べてるし」
 返事はしたものの、あまりに意外な話に驚いていて、菜美の胸は苦しくなっている。栄太が自分の「運命の人」だったとは思っていなかった。
「典ちゃん。お嬢さんの分も天かすと青葱はあるよね。お嬢さんは天かすが大好きなのだ」
 苦しんでいる菜美の横で、栄太は生き生きとして典子に確認を取っている。
「お嬢さん。ねこまんまには天かすと青葱がよく似合うのだよ。その日の味噌汁の具が白菜なら、なおさら僕は嬉しくなる」
 菜美は栄太の顔をまじまじと見つめた。ねこまんまに入れる具の趣味まで栄太と同じだった。
 菜美は心で叫ぶ。
 「やっと答えが出たんや」
 菜美は栄太との付き合いに悩んでいた。十六歳と言う年齢差も二人にあり、菜美は栄太との結婚に迷っていたのだ。しかし、ねこまんまをはじめとして、食べ物の趣味が見事に一致していると分かった。これはゴーサインだと菜美は感じている。
「栄太君はねこまんまが好きでねえ」と霧子が昔を思い出して微笑んだ。
「結婚したら、奥さんにねこまんまを毎日作って貰うってね。高校生のときからずっと、栄太君はそんなん言うてる」
 典子が笑った。
「菜美さん。そんな凄い顔せんでええよ」
 菜美は「まあ、凄い顔はあれやし」と意味の分からない返事をした。
 理江さんが明るい目で菜美を見ている。
 「美さん、リラックスして」と可愛い声で理江さんは笑った。
 「そうだよ」と栄太。
 「リラックスしてくださいよ。緊張していたら食事は美味しくない」
 典子は皆の顔を見まわして宣言した。
「今夜の味噌汁は極上のお出汁やの。そやからな、皆で仲良く熱々のんを食べて、晩ご飯をおひらきにしょうな」
「そやな、私も食べるわ。典ちゃん、少しでええから私にも作ってな」
 霧子もねこまんまを食べることになった。
「今夜はリラックスしてデラックスにいくわ」
 張り切った典子は新たに天かすを揚げるのだった。
 こうして、理江さんの誕生会は、天かすと青葱入りのねこまんまで締めくくられたのだ。

「おばさん。お嬢さんを展望台に案内しますよ」
 日が暮れたころ、栄太が霧子に断りを入れた。
「ああ、行っといで。夜にまた、お茶のみするけどな」
 ホールの窓から外を見ていた霧子は、栄太の声に驚いたように振り返った。何か考え事をしていたようだ。
 手分けして茶碗洗いを済ませたあと、それぞれが好きなように休憩をしていた。典子は疲れたのか、椅子に座って目を閉じている。その傍らで理江さんはスマホを熱心に見ていた。
「とりあえず、僕はお嬢さんと二人で展望台に行ってきますよ。都会に住むお嬢さんにネオンがない空を見せたいんだ。人類が誕生する前から存在する素晴らしき世界をね」
 典子が目を開けた。静かな声で菜美に話しかける。
「栄太君はいつまっでも空を見てるひとや。無理して付き合うてたら風邪ひくだけ。まだ三月の夜やねん。菜美さんはさっさと帰って来たらええわ」
「お嬢さん、安心してください。すぐに帰りますからね」
「しかし、雨降らんねえ」
 菜美は首を傾げた。
「今頃は雨空やと思てたのに。天気予報、外れたんやね」
 栄太は大真面目に答える。
「そら、仕方ないです」
「しょうもないダジャレやな」
 スタジオへと階段を上がりながら栄太が話し始めた。
「展望台とは名ばかりです。展望台は実は二階のスタジオのベランダのことです。広くて見晴らしが良いんだ」
 「そうなんや」と菜美は頷く。
 「そのスタジオも、たまたま理江さんがそこでブログのために撮影してから、そう呼んでいるだけです。遠山食堂の倉庫を、学生だった僕らは秘密基地にしてしまいました。だから、僕らの写真や遊び道具がそのまま残っている」
「うん、さっきはびっくりしたわ」と菜美は思いだして笑った。
「スタジオに入ったら、懐かしいもんが見えてんもん」
 遠山食堂に着いて荷物を置きにスタジオに入ったとき、菜美は懐かしいものを見たのだ。
 部屋の真ん中に置かれた机の上に、かつて人気を集めたゲーム機が何種類も並んでいた。スタジオに入った菜美は、思わず昔懐かしいカセットのゲームソフトを手に取った。菜美の母と兄はゲームが大好きだ。菜美が幼かった頃、居間の棚にはゲームのソフトが積まれてあった。この数年に母と兄はゲームをスマホで楽しむようになり、ほとんどのゲーム機を処分してしまった。今は銀色に輝くブレイクステーションだけが家に残っている。
「そうでした。さっきお嬢さんは『わっ、ひっさしぶりい~』と叫んでいましたね。それで、お嬢さんもゲームがお好きなのだと僕は思いましたよ。今もゲームをされているのですか」
 菜美は残念そうに首を横に振った。
「それがやね、ゲーム機はたいがい売ってしもたわ。家にはソフトが少し残ってるだけ。RPGの名作な。そのソフト、難しいとこは攻略本読んでな、うちも遊んでたんよ」
「RPGと聞いて、この台詞を思い出しましたよ」
 栄太はスタジオのドアを開け、菜美を見てにっこりした。
「遠山町にようこそ。ここは何もない村です」


 
 ※
 「遠山町にようこそ。ここは何もない村です」
 申し訳ありません。
 栄太のこの台詞は、名作『ドラゴンクエスト』からヒントを勝手にいただきました。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み