第13話

文字数 3,175文字

 菜美は典子と一緒にホールへ戻った。
 広いホールには栄太だけがいて、誕生会で使ったテーブルや椅子を片付けていた。典子が声をかける。
 「栄太君。片付け、ありがとな」
 栄太は手を上げて典子に挨拶した。
 「やあ、典子さん。これは力仕事なのだ。ご婦人方は気にしないでくれたまえ」
 典子は吹き出した。
「栄太君、典子さんって言わんといて。誰かと思たらうちのことなんやね」
 典子と一緒に笑う菜美を見て、栄太は嬉しそうな顔をした。
「さて、お嬢さん」と栄太は菜美にコンビニのレジ袋を見せた。
「今夜のおやつを見てください。買ってきました。約束のチョコレートと缶コーヒーですよ」
 菜美は慌てて栄太の顔を見た。
「私、おじさんと何か約束してたんかな」
 栄太はがっくりした。
「いやはや、このお嬢さんは実につれないひとだ。チョコレートと缶コーヒーをおやつにして、僕と夜空を見る約束だった。あのときは上の空で僕と話していたのだな」
 典子はあきれ顔になった。
 「菜美さんが上の空って言うけど、栄太君がひとりで勝手に喋ってただけやろ」
 栄太は菜美の顔をしっかりと見て尋ねた。
 「そうなのですか、お嬢さん」
 菜美は正直に答えた。
 「上の空というよりも、昔のゲーム機とかが懐かして、おじさんの話はすぐに忘れたわ」
 「お嬢さんは酷いことを平気で言うのだな。これでは結婚してから僕は大変じゃないのか。今から対策しておかないと」
 栄太はすでに菜美と結婚する気でいるようだ。菜美もそのつもりだが、栄太はあまりにもせっかちだった。ぽかーんとしている菜美の代わりに典子が栄太に言った。 
 「今から結婚生活への対策するって、それこそ大変やんか。とりあえず、今夜のデートはどうすんの。その缶コーヒー、冷たいんちゃうの」
 栄太は苦笑した。
 「冷たい缶コーヒーはポットに入れて保温します。チョコレートは心配ないですよ。パキッと噛んだら、気分は青空のように爽やかになるのさ」
 典子は栄太をからかう。
「夜空見てるときにチョコレート食べたら、爽やかな青空になるんやね。したら、菜美さんに星を見せる話はどうなんの」
「揚げ足取りだな」と栄太は典子に文句を言った。
 典子は栄太を無視して、菜美に話しかける。
「もうすぐ理江さんがお風呂から出てくるからな。そしたら、簡単なお茶にするわ。理江さんは冷たいお茶やけど、二人には熱い珈琲いれるし。展望台は寒いで」
 栄太は無視されても平気なようだ。典子に笑顔で礼を言っている。
「有り難う。典ちゃんは言うことは酷いが、やることは優しくて良いひとだ」
 菜美は頷いた。
「私も典子さんは優しいと思います。料理も凄いし。いつも美味しい」
 典子はしみじみと話すのだった。
「新鮮な材料と丁寧な調理が遠山食堂の売りやねん。お冷ひとつにでも、うちは氷の量も考えて出すことにしてる。小さい子やったら、氷入れるかどうかはその子の親に聞いてからや。お客さんがよう褒めてくれはる。それがうちの生きがいなんや」
 菜美は典子を見つめた。誇らしげな、そしてどこか哀しい典子の顔だった。
 栄太が典子の顔を覗き込んだ。
「そうだ。典ちゃんは自分で自分の生きがいを見つけたんだ」
 栄太の声は驚くほどに優しかった。典子は目を潤ませてうつむいたが、すぐに顔を上げ、いつもの調子で栄太に命令した。
「栄太君。カフェテーブル、また秘密基地に戻しといて。明日は普通にホールのテーブルでご飯食べてもらうからな。今からのお茶もそう、一番テーブルに座って貰うわ」
 「あいよ」
 栄太はカフェテーブルと椅子を持って二階へ上がっていった。

 典子は厨房でお茶の用意を始めた。
「理江さんのグラスは大きいんがええわ。お風呂上がりにいっぱい飲みやるから。あ、氷でグラス冷やしといて」
 菜美は製氷機の中をのぞいて感嘆した。
 「わあ、奥まで氷がいっぱい」
 菜美は初めて入る飲食店の厨房に興味津々になり、さっきからキョロキョロとして落ち着かない。典子が注意した。
「製氷機にグラス落とさんといてな。グラスが割れて破片が入ったら、商売に影響出るんや。えらい損害になんねんで」
「あ、はい」
 菜美は理江さんのグラスに氷をそっといれた。
 「悪いけど、菜美さん。土産の饅頭、おやつに貰ってもかまへんかな。一番テーブルにおやつの用意しといて」
 菜美は饅頭の箱を持ってホールへ行った。この饅頭は梅田の百貨店で買ってきたものだ。理江さんはあんこたっぷりの饅頭が大好きだという。
 菜美は漆の銘々皿に若葉色の饅頭をのせ、黒文字も添えた。色の組み合わせや黒文字の配置が我ながら素晴らしいと思う。多くのひとに見てもらいたいほどだ。
 「せや、忘れてた」
 菜美は慌てた。理江さんの誕生会や秘密基地が楽しくて、写真撮影をすっかり忘れている。ベージュのパーカーのポケットからスマホをだし、ブログ記事に載せる饅頭の写真を何枚も撮った。
 もうやすんだ霧子の分を懐紙に包んでいると、厨房から「みなさん、お先に」と元気な声が聞こえてきた。
 見ると、理江さんが典子の傍らに立っていた。お風呂から出てきたばかりのようで、長い髪をピンクのタオルでくるんでいる。
 典子が理江さんに話しかけた。
 「栄太君、すぐに戻るから。そしたら、菜美さんのお土産でお茶飲もな。それまでドライヤーしておいで」
 「うん。あとで動画の撮影やのに、髪が変やったらあかんわ」
 お茶の用意を済ませた菜美は厨房にもどった。
 「ありがとな。那美さんをこき使うて申し訳ない」
 典子が礼を言うと、理江さんも菜美にちょこんと頭を下げた。
 「理江、何もせんとお風呂入ってしもてたわ。菜美さん、ごめんな」
 しかし、菜美は理江さんに返事が出来ないでいる。
 「嘘やろ。信じられへん」
 菜美は心の中で叫んでいた。
 化粧を落とした理江さんは典子と仲良く体をくっつけている。そんな二人を菜美はまじまじと見つめた。
 初めて典子を見たときだった。その切れ長の目をどこかで見たと菜美は思ったのだ。それが誰だか分からないままに大阪に帰った。そのことを思いだすことはあったが、美人の典子は女優や歌手の誰かと似ているのだと考えていた。
 典子と同じ目をしたひとが誰なのか、今やっと分かった。それは理江さんだ。年齢には少し差があるようだが、二人の顔は本当にそっくりで、ほっそりとした体つきもやはり同じものだった。信じられないが、典子と理江さんは姉妹に間違いない。
 理江さんの名字を菜美は急いで思いだそうとしたが、ブログでの『理江』という名前だけしか知らなかった。
「菜美さん、何をそんなにびっくりしてんの」
 菜美は正直に答えた。
「典子さんと理江さんがそっくりだから」
 典子があははと笑いだした。
「あれ、気ついてなかったんやね。菜美さんも分かってると思てたわ。理江さんは私の妹やねん」
 理江さんは無邪気な笑みを浮かべていた。
「うん。典子さんは理江のお姉さんやねん」と嬉しそうに言うのだった。
 菜美は溜め息をついた。
「そうだったんですね。びっくりしました」
 しかし、菜美にはよく分からない。姉である典子はどうして妹を『理江さん』と呼び、時には敬語を使って話をするのだろうか。そのような典子の言葉遣いがあったから、菜美は二人が姉妹だと、いっそう気がつかなかったのだ。
「あ、栄太君が来た」
 理江さんが嬉しそうに叫んだ。
「栄太君。遅いやんか。どんだけ待たせんの」と典子がぶつぶつ言う。
「これはしたり」と栄太は頭を下げた。
「実は、秘密基地に変わった虫がいましてね。すばしこい奴でしたが、追いかけまわして拿捕しました。悪気のない侵入者ですからね、展望台から逃がしてやりましたよ」
 菜美を見て栄太が不思議そうに聞いた。
「お嬢さん。どうかしましたか」
 菜美はぎこちない笑みを浮かべた。何故か笑えない。


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