第38話
文字数 4,184文字
「ああ、披露宴も無事に終わってくれたわ」
自分の部屋に戻った典子は安堵の溜め息をついた。
紫色のドレスをさっさと脱いだあとは、普段着に着替えながら菜美に打ち明ける。
「やれやれって言うたらあかんけど、うちの正直な気持ちはそれやな。理江さんを無事に送り出せてほっとしてんねん。姉であるうちの役目は終わったって感じやわ。小さい頃から我儘で厄介な子やったけど」
疲労の色が濃い典子の顔を菜美は見つめた。
「理江さんは無邪気な甘えん坊やから、いつの間にか家族のひとりになってやったわ」
理江さんの結婚が決まってからの典子は、責任重大だとよく菜美にこぼしていた。『遠山食堂』の営業に追われながらも、典子は「絶対にあの子を幸せな花嫁にするんや」と言って準備の手を抜かなかった。
菜美はにっこりとして典子に言うのだった。
「典子さんのお料理、美味しかったです。愛情こもってました」
典子は嬉しそうに微笑んだが、照れ隠しなのだろう、ドレス用のハンガーを少し乱暴に差し出した。
「菜美さんも脱いだ服、このハンガーにかけとき。うちもそうするし」
自分も紫色のドレスをハンガーにかけると、典子は疲れ切った声で菜美に頼むのだった。
「とにかく、今から茶碗洗いするわ。菜美さんも手伝うてな」
理江さんが厨房に入ってきた。
やはりウェディングドレスは脱いでしまっていて、薄紅色のワンピースを着ている。
「典子さん。理江も茶碗洗い手伝うし」と、ホールで使っている自分用の白いエプロンを引き寄せた。
「今日は花嫁なんやから。旦那さんとゆっくりしといで」
典子は遠慮するのだが、理江さんはエプロンの紐を結びながら言い張った。
「典子さんは理江のお母さんとおんなじやもん。もう少し一緒に居てお手伝いすんねん」
菜美は典子と一緒に茶碗洗いをしていたが、理江さんのその言葉にスポンジを置いて涙を拭った。菜美でそれだから、日頃はやたらと気の強い典子も声を出して泣き出した。
「理江を生んだお母さん、山野のおばさん、典子さん。理江にはお母さんが三人いてる」
理江さんのあどけない言葉に、典子はエプロンの裾で涙を拭きながら微笑んだ。
「あかんやん、理江さん。今日から新しいお母さんがいてくれてるやろ。お義父さんとお義母さん、自分から大切にして可愛がってもらうねんで」
やはり小さな子どものような顔をして理江さんは頷くのだった。
「うん。仲良うする」
少しの間、女三人は茶碗洗いの手を休めて泣いた。心を許せる者達が寄り添って温かい涙を流すのは、大変に幸せなことだろう。
菜美は典子と理江さんに心からのお礼を言いたい気持ちになった。素晴らしい友情を有難う、と。
典子が涙の合い間にくすくす笑う。
「栄太君がおらんで良かったわ。栄太君なら絶対に悪ふざけして、この雰囲気潰しやるから」
菜美は理江さんと声を上げて笑った。
「それにしても」と典子が時計を見た。
「栄太君の帰り、えらい遅なってる」
栄太は新郎の両親を遠山市駅にあるホテルまで送りに行っている。
朝のうちに予約しておこうと、栄太はタクシー会社に電話をかけた。ところが、予約できる時間帯は早朝のみだと断わられたのだ。そこで、栄太が自分の車で送ることになった。
典子は不機嫌そうにしている。
「お義父さんからホテルに着いたって、一時間前に連絡あったんよ。栄太君もそう言うてきたのにな、まだ帰ってこんのよ」
菜美は小さな声で言ってみた。
「おじさん、買いもんかも」
典子は嫌な顔をした。
「こんな日に寄り道って、栄太君はあほやな」
理江さんは思案顔になっている。
「ううん、買いもんやない。道が混んでんやろ」
典子は大きな溜め息をついた。
「あのな、理江さん。駅前やったらそれもあるわな。けど、この村では渋滞はあんまりないねん。特に暗なったら道路も空いてくんのよ」
理江さんはおずおずと典子に聞く。
「栄太君。急用やろか」
典子はにこりともしないで理江さんに答えた。
「ううん。どうせ、その辺でぼーっとしてんや」
理江さんは「うっふふ」と笑った。が、それはどうやら愛想笑いだったようで、それきり黙りこんでしまった。
典子はさっさとフライパンを洗いながら、理江さんに優しい声で話しかけた。
「とにかく、理江さんはもう行かなあかん。今日は疲れたやろ。早う行って、向こうでゆっくりしたらええやん」
今夜の新郎新婦は琵琶湖のほとりにあるホテルに一泊することになっていた。
「うん。そろそろ行くわ」
理江さんは寂しそうにエプロンを外した。典子の傍らに立つと、何か言いたそうにもじもじしている。
菜美は静かに厨房を離れた。
理江さんは典子に大切な話をするつもりなのだ。新しい人生が始まったこの日に、自分を可愛がってくれた典子に伝えたいことがあるのだろう。それは今まで『遠山食堂』で世話になったお礼だけではないと菜美は思うのだった。
とりあえず、菜美は披露宴が行われた庭に行くことにした。
久し振りに秘密基地へ行こうかとも考えたが、今は戸外で夜風に吹かれてみたい。披露宴の最中にいろいろと考えることがあったのだ。
ウエディングドレスを着た理江さんを見ていると、結婚への憧れが以前よりも強くなってしまった。自分の夫になるのはどのような男性だろうと、楽しい想像も始まったのだ。そうなると、栄太が再び魅力的に思えて仕方がない。恋人時代に戻ったかと錯覚を起こしそうになり、菜美は想像にふけりがちな自分を抑えようと努めた。
「あかん、あかん。家できっちり言われてきたやんか」
披露宴に出席する為に遠山町へ行くと、母と兄に話したときのことだった。母が嚴しく言ったのだ。
『別れても何かのきっかけで復縁することもあるから、自分をしっかり持っときや。夢見て生きてるような男のひとは幸せにしてくれへんで』
兄が口を揃えた。
『お母ちゃんの言う通りや、菜美。林さんとは嫌いで別れたんやなかったし、祝いの席の華やかでめでたい気分に吞まれんなよ』
菜美の心は揺れに揺れる。
一張羅を着てお洒落をした栄太は、もともと背が高くてすらりとしていることもあって、とても素敵な男性だった。髪にも輝きがあって『頭になんか塗ってるやろ、栄太君』と典子が笑っていたぐらいだ。改めて菜美は思った。
「ちゃんとしたら、おじさんはまあまあハンサムやから。案外、紳士なとこもあるし」
そうは思っても、一方的に別れを告げてきたことに恨みを感じるのだった。自分達の将来についてこちらの考えを聞くこともなく、栄太はひとりで勝手に別れを決めたのだから。それは、菜美の女としての自尊心をぼろぼろにする行為でしかない。自分に苦労をさせまいとしたようだが、菜美にすれば「余計な気遣い」なのだ。
そんな心の葛藤を持て余し、今は静かになった庭で考えてみようと思いついた。兄が言ったように、その場の雰囲気に呑まれて、栄太が素敵に見えた可能性はあった。
ホールを出て庭へと歩きながら、栄太との会話を菜美はひとつずつ思いだしてみる。
今夜、盛装した典子を初めて見た。
濃い紫色のドレスを身にまとった典子の姿は夜目にも艶やかだった。その切れ長の瞳と引き締まった口元は、孤高と言っても良いのだろうか、そのような高潔さを菜美に思わせた。
「お嬢さん。何を考えているのですか」
ワイングラスを回しながら栄太が菜美に話しかけてきた。
「お嬢さんの目はきらきら輝いていますよ。素敵なことを考えていましたね」
栄太の言葉に菜美は頬を染めた。栄太から自分の心を褒められたような気がするのだ。
「典子さんは凛としてて綺麗で、大人の女性なんだなって見てたんよ」
「そうだよ。典ちゃんは美しいだけではない。あの気品のある佇まいは、典ちゃん自身の心が生み出したものだろうな」
「うん。性格って顔に出るから」
菜美は典子が作ったアイスティーにみずみずしいレモンを浮かべた。琥珀色の紅茶にレモンが明るく輝いて、果肉だけでなく皮までもが眩しいと感じさせる。
「典子さんって、このレモンみたいなひとやね。透き通っていてきれいで、爽やかな香りもあって」
栄太が菜美の言葉を引き取った。
「だだね、典ちゃんは酸っぱいことしか言わないのさ」
不覚にも菜美は笑ってしまった。それでも抗議はしてみる。
「やめてよ、おじさん。今日は理江さんの結婚披露宴なんやし」
「僕は無粋だな」
栄太は自分の膝をぽんと叩いた。
「お嬢さんの言う通りだ。つまらない冗談はもうよそう。素直にお祝いの言葉を述べなきゃいけない」
栄太は気をつけの姿勢を取り、今日の喜びを感情豊かに語り始める。
「いやはや、これは何もない村に相応しい儀式ですよ。実に簡素な披露宴だが、自然が残るこの舞台に置いて真摯な愛を語れるのだから、この大地に生きる者としては最高に幸せなものであります。眩い宝石を身につけていなくても、雨上がりの葉に宿る水滴のように花嫁はきらきら輝いています。今日の佳き日に招かれた僕達も幸せなこと、この上ない。新郎新婦の善良な眼差しが、ひとは何を求めて生きるべきかと教えてくれるからです」
菜美は感心した。
「おじさん。ちょっと長いけど、そんな凄いことがすらすら言えるんやね。私は思っていても、すぐに言葉に出来へんわ」
「どうも有難う。お嬢さんも思うことは素直に表現しましょうね」
菜美の取り皿にスコッチエッグをのせた。
「お嬢さんは卵がお好きでしたね。僕も好きですよ。一緒に美味しいものを食べれば、更なる幸せが人々に訪れることでしょう」
菜美は戸惑った。
「おじさん、その話はピンとこんわ。急にどうしたん」
「これは卵が主題の話ですよ」
いつの間にか横にいた典子が笑った。
「菜美さん。栄太君はちょっと変わってやるし、ただのお調子もんや。栄太君の話は真剣に聞かんでもええよ」
突然、栄太が典子に筍ご飯を勧めた。
「これは美味しいですよ。典ちゃんも食べてみてください」
典子は呆れたようだ。
「その言い方、変やわ。これはうちが作ったんやから」
筍ご飯を栄太に勧められたときの典子の顔を思いだして、菜美は思い切り吹きだした。
「ははは。相変わらず明るくていらっしゃる」
突然の笑い声に菜美の身がすくんだ。
誰かがこの近くにいる。どうやら、そのひとは庭の中から、思い出し笑いをしている自分を見ていたようだ。
自分の部屋に戻った典子は安堵の溜め息をついた。
紫色のドレスをさっさと脱いだあとは、普段着に着替えながら菜美に打ち明ける。
「やれやれって言うたらあかんけど、うちの正直な気持ちはそれやな。理江さんを無事に送り出せてほっとしてんねん。姉であるうちの役目は終わったって感じやわ。小さい頃から我儘で厄介な子やったけど」
疲労の色が濃い典子の顔を菜美は見つめた。
「理江さんは無邪気な甘えん坊やから、いつの間にか家族のひとりになってやったわ」
理江さんの結婚が決まってからの典子は、責任重大だとよく菜美にこぼしていた。『遠山食堂』の営業に追われながらも、典子は「絶対にあの子を幸せな花嫁にするんや」と言って準備の手を抜かなかった。
菜美はにっこりとして典子に言うのだった。
「典子さんのお料理、美味しかったです。愛情こもってました」
典子は嬉しそうに微笑んだが、照れ隠しなのだろう、ドレス用のハンガーを少し乱暴に差し出した。
「菜美さんも脱いだ服、このハンガーにかけとき。うちもそうするし」
自分も紫色のドレスをハンガーにかけると、典子は疲れ切った声で菜美に頼むのだった。
「とにかく、今から茶碗洗いするわ。菜美さんも手伝うてな」
理江さんが厨房に入ってきた。
やはりウェディングドレスは脱いでしまっていて、薄紅色のワンピースを着ている。
「典子さん。理江も茶碗洗い手伝うし」と、ホールで使っている自分用の白いエプロンを引き寄せた。
「今日は花嫁なんやから。旦那さんとゆっくりしといで」
典子は遠慮するのだが、理江さんはエプロンの紐を結びながら言い張った。
「典子さんは理江のお母さんとおんなじやもん。もう少し一緒に居てお手伝いすんねん」
菜美は典子と一緒に茶碗洗いをしていたが、理江さんのその言葉にスポンジを置いて涙を拭った。菜美でそれだから、日頃はやたらと気の強い典子も声を出して泣き出した。
「理江を生んだお母さん、山野のおばさん、典子さん。理江にはお母さんが三人いてる」
理江さんのあどけない言葉に、典子はエプロンの裾で涙を拭きながら微笑んだ。
「あかんやん、理江さん。今日から新しいお母さんがいてくれてるやろ。お義父さんとお義母さん、自分から大切にして可愛がってもらうねんで」
やはり小さな子どものような顔をして理江さんは頷くのだった。
「うん。仲良うする」
少しの間、女三人は茶碗洗いの手を休めて泣いた。心を許せる者達が寄り添って温かい涙を流すのは、大変に幸せなことだろう。
菜美は典子と理江さんに心からのお礼を言いたい気持ちになった。素晴らしい友情を有難う、と。
典子が涙の合い間にくすくす笑う。
「栄太君がおらんで良かったわ。栄太君なら絶対に悪ふざけして、この雰囲気潰しやるから」
菜美は理江さんと声を上げて笑った。
「それにしても」と典子が時計を見た。
「栄太君の帰り、えらい遅なってる」
栄太は新郎の両親を遠山市駅にあるホテルまで送りに行っている。
朝のうちに予約しておこうと、栄太はタクシー会社に電話をかけた。ところが、予約できる時間帯は早朝のみだと断わられたのだ。そこで、栄太が自分の車で送ることになった。
典子は不機嫌そうにしている。
「お義父さんからホテルに着いたって、一時間前に連絡あったんよ。栄太君もそう言うてきたのにな、まだ帰ってこんのよ」
菜美は小さな声で言ってみた。
「おじさん、買いもんかも」
典子は嫌な顔をした。
「こんな日に寄り道って、栄太君はあほやな」
理江さんは思案顔になっている。
「ううん、買いもんやない。道が混んでんやろ」
典子は大きな溜め息をついた。
「あのな、理江さん。駅前やったらそれもあるわな。けど、この村では渋滞はあんまりないねん。特に暗なったら道路も空いてくんのよ」
理江さんはおずおずと典子に聞く。
「栄太君。急用やろか」
典子はにこりともしないで理江さんに答えた。
「ううん。どうせ、その辺でぼーっとしてんや」
理江さんは「うっふふ」と笑った。が、それはどうやら愛想笑いだったようで、それきり黙りこんでしまった。
典子はさっさとフライパンを洗いながら、理江さんに優しい声で話しかけた。
「とにかく、理江さんはもう行かなあかん。今日は疲れたやろ。早う行って、向こうでゆっくりしたらええやん」
今夜の新郎新婦は琵琶湖のほとりにあるホテルに一泊することになっていた。
「うん。そろそろ行くわ」
理江さんは寂しそうにエプロンを外した。典子の傍らに立つと、何か言いたそうにもじもじしている。
菜美は静かに厨房を離れた。
理江さんは典子に大切な話をするつもりなのだ。新しい人生が始まったこの日に、自分を可愛がってくれた典子に伝えたいことがあるのだろう。それは今まで『遠山食堂』で世話になったお礼だけではないと菜美は思うのだった。
とりあえず、菜美は披露宴が行われた庭に行くことにした。
久し振りに秘密基地へ行こうかとも考えたが、今は戸外で夜風に吹かれてみたい。披露宴の最中にいろいろと考えることがあったのだ。
ウエディングドレスを着た理江さんを見ていると、結婚への憧れが以前よりも強くなってしまった。自分の夫になるのはどのような男性だろうと、楽しい想像も始まったのだ。そうなると、栄太が再び魅力的に思えて仕方がない。恋人時代に戻ったかと錯覚を起こしそうになり、菜美は想像にふけりがちな自分を抑えようと努めた。
「あかん、あかん。家できっちり言われてきたやんか」
披露宴に出席する為に遠山町へ行くと、母と兄に話したときのことだった。母が嚴しく言ったのだ。
『別れても何かのきっかけで復縁することもあるから、自分をしっかり持っときや。夢見て生きてるような男のひとは幸せにしてくれへんで』
兄が口を揃えた。
『お母ちゃんの言う通りや、菜美。林さんとは嫌いで別れたんやなかったし、祝いの席の華やかでめでたい気分に吞まれんなよ』
菜美の心は揺れに揺れる。
一張羅を着てお洒落をした栄太は、もともと背が高くてすらりとしていることもあって、とても素敵な男性だった。髪にも輝きがあって『頭になんか塗ってるやろ、栄太君』と典子が笑っていたぐらいだ。改めて菜美は思った。
「ちゃんとしたら、おじさんはまあまあハンサムやから。案外、紳士なとこもあるし」
そうは思っても、一方的に別れを告げてきたことに恨みを感じるのだった。自分達の将来についてこちらの考えを聞くこともなく、栄太はひとりで勝手に別れを決めたのだから。それは、菜美の女としての自尊心をぼろぼろにする行為でしかない。自分に苦労をさせまいとしたようだが、菜美にすれば「余計な気遣い」なのだ。
そんな心の葛藤を持て余し、今は静かになった庭で考えてみようと思いついた。兄が言ったように、その場の雰囲気に呑まれて、栄太が素敵に見えた可能性はあった。
ホールを出て庭へと歩きながら、栄太との会話を菜美はひとつずつ思いだしてみる。
今夜、盛装した典子を初めて見た。
濃い紫色のドレスを身にまとった典子の姿は夜目にも艶やかだった。その切れ長の瞳と引き締まった口元は、孤高と言っても良いのだろうか、そのような高潔さを菜美に思わせた。
「お嬢さん。何を考えているのですか」
ワイングラスを回しながら栄太が菜美に話しかけてきた。
「お嬢さんの目はきらきら輝いていますよ。素敵なことを考えていましたね」
栄太の言葉に菜美は頬を染めた。栄太から自分の心を褒められたような気がするのだ。
「典子さんは凛としてて綺麗で、大人の女性なんだなって見てたんよ」
「そうだよ。典ちゃんは美しいだけではない。あの気品のある佇まいは、典ちゃん自身の心が生み出したものだろうな」
「うん。性格って顔に出るから」
菜美は典子が作ったアイスティーにみずみずしいレモンを浮かべた。琥珀色の紅茶にレモンが明るく輝いて、果肉だけでなく皮までもが眩しいと感じさせる。
「典子さんって、このレモンみたいなひとやね。透き通っていてきれいで、爽やかな香りもあって」
栄太が菜美の言葉を引き取った。
「だだね、典ちゃんは酸っぱいことしか言わないのさ」
不覚にも菜美は笑ってしまった。それでも抗議はしてみる。
「やめてよ、おじさん。今日は理江さんの結婚披露宴なんやし」
「僕は無粋だな」
栄太は自分の膝をぽんと叩いた。
「お嬢さんの言う通りだ。つまらない冗談はもうよそう。素直にお祝いの言葉を述べなきゃいけない」
栄太は気をつけの姿勢を取り、今日の喜びを感情豊かに語り始める。
「いやはや、これは何もない村に相応しい儀式ですよ。実に簡素な披露宴だが、自然が残るこの舞台に置いて真摯な愛を語れるのだから、この大地に生きる者としては最高に幸せなものであります。眩い宝石を身につけていなくても、雨上がりの葉に宿る水滴のように花嫁はきらきら輝いています。今日の佳き日に招かれた僕達も幸せなこと、この上ない。新郎新婦の善良な眼差しが、ひとは何を求めて生きるべきかと教えてくれるからです」
菜美は感心した。
「おじさん。ちょっと長いけど、そんな凄いことがすらすら言えるんやね。私は思っていても、すぐに言葉に出来へんわ」
「どうも有難う。お嬢さんも思うことは素直に表現しましょうね」
菜美の取り皿にスコッチエッグをのせた。
「お嬢さんは卵がお好きでしたね。僕も好きですよ。一緒に美味しいものを食べれば、更なる幸せが人々に訪れることでしょう」
菜美は戸惑った。
「おじさん、その話はピンとこんわ。急にどうしたん」
「これは卵が主題の話ですよ」
いつの間にか横にいた典子が笑った。
「菜美さん。栄太君はちょっと変わってやるし、ただのお調子もんや。栄太君の話は真剣に聞かんでもええよ」
突然、栄太が典子に筍ご飯を勧めた。
「これは美味しいですよ。典ちゃんも食べてみてください」
典子は呆れたようだ。
「その言い方、変やわ。これはうちが作ったんやから」
筍ご飯を栄太に勧められたときの典子の顔を思いだして、菜美は思い切り吹きだした。
「ははは。相変わらず明るくていらっしゃる」
突然の笑い声に菜美の身がすくんだ。
誰かがこの近くにいる。どうやら、そのひとは庭の中から、思い出し笑いをしている自分を見ていたようだ。
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