第3話

文字数 3,093文字

 「お嬢さん、うどんがのびますよ。僕に構わず食べてくださいね」
 栄太が微笑んだ。
 「じゃ、お先に」
 菜美は箸を持ち直したが、やはり緊張しているのだろう、思うように手が動いてくれない。知らない男性の前で食事をする勇気など、菜美にはなかった。もぐもぐしている自分の顔が恥ずかしいと思うのだ。しかも、今食べているのはうどんだった。つい、ずるずると音を立ててしまう。
 「どうかしましたか。手が止まりましたよ」
 栄太が不思議そうな顔をした。
 「なんもない、なあんもないで」
 菜美は明るく笑ったが、心には栄太に言いたいことがある。
 「ひとが食べてるとこ、じっと見んといてほしいな。やりにくいねん。ま、ええわ。私は決めた。気取ってもしゃあない」
 菜美は思い切り音を立ててうどんをすすった。それがうどんの正しい食べ方だと信じているし、気取っていては食べ物の美味しさがなくなると思うのだった。
 しかし、威勢が良かったのは初めだけで、菜美はだんだんと心配になってきている。うどんのつゆが飛んで栄太にかかったらどうしよう。しかも栄太は身を乗り出すようにして菜美を見つめているのだ。
 菜美は栄太に頼んだ。
 「私、うどんのつゆ飛ばすんよ。ちょっと離れてくれへんかな」
 「気取らないなあ、お嬢さんは。実に気さくで魅力的だ。僕は嬉しいよ」
 栄太は眩しそうに目を細めた。菜美は慌てて顔を伏せる。栄太は自分に本気かもしれない。

 「すみません。すっかり遅くなりました」
 女店員が詫びながらやってきた。手に大きめの盆を持っている。
 「うちの畑で採れた新鮮な野菜を使いましたよ。天ぷら盛り合わせと豚汁の豪華セットです。本日の小鉢は柔らかに炊いた小芋。お米や漬物、お茶の葉もうちで作ったものですよ」
 女店員は目を輝かせて料理の解説をする。
 「これを『無農薬の安心野菜』って必ずブログに書いてくださいよ。これがうちの売りなんですから」
 菜美は急いでメモを取る。女店員はそれを見ながら店のPRを続ける。
 「これで、たったの千二百円。なんと、ご飯と漬け物は大盛り無料の大サービス」
 栄太が横から女店員に話しかけた。
 「典ちゃん。さっきから僕、ここに座って注文したくて困っているよ。僕が見えてへんの」
 女店員が栄太に怒った。
 「ほんま、煩いわ。頼むから話の邪魔せんといてくれへん」
 どうしたことか、女店員は大阪弁になっている。
 「いや、僕は無視されたかと思って」  
「言われんでも、ちゃんと見えとるがな。お客さんにうちの自慢料理の話してんのに、ちっとは遠慮したらどやのん。せっかくうちの店がブログに紹介されんやから」
 栄太に酷いことを言っているが、女店員は楽しそうに笑っている。栄太もにこにこ笑いながら聞いていた。どうやら、栄太と女店員は気の置けない仲のようだ。喧嘩になるかと不安だった菜美はほっとした。
 「栄太君、今日はコンビニやろ。ええから早よ行きや」
女店員は栄太に注意した。
 「コンビニは夕方からだよ。僕は寒くてね、仕事の前に熱い味噌ラーメンを食べにきたんや」
 「そうなんや。今日も仕事、頑張りや」
 女店員は菜美に説明する。
「栄太君とうちは幼馴染で仲良しなんです。歳は二歳ほど離れてますけど。栄太君は東京の大学にいってそのまま就職もしたし、うちは結婚して大阪で暮らしてたんです。それが、三年前でしたよ。いろいろ」
「典ちゃん、悪いけど僕には時間がないの」
 栄太が女店員の話をさえぎった。
 「次のバスが来るまで、三時間。その三時間で、俺はお嬢さんと友達になるんやから」
 栄太の率直な発言を聞いて、菜美はこそばゆくなった。下を向き頬を赤らめて、もじもじしている。
 「お客さん、えらい純情なんやね。栄太君に好かれて照れてますやん」
 女店員が笑った。
 「とりあえずは料理の写真撮ってくださいよ。そのあとは自由に食べてくださいね。栄太君の味噌ラーメン、言うてくるわな」
 女店員がその場を離れると、栄太が話しかけてきた。
 「典ちゃんは子どもの頃から少し変わっている。でも、僕らは昔から仲良しだ。典ちゃんの大阪弁、僕にも移ったぐらいやねん」
 「うん。二人の喋りは聞いてて楽しいわ」と菜美はにっこりした。
 「僕と典ちゃんは実の兄妹みたいなんだよ。いい意味で遠慮なんかない」
 栄太は嬉しそうに頷いた。
 「ところで、ブログの取材をするために、お嬢さんはわざわざ遠山町まで来たのか。ここは何もない村ですよ」
 「ブログというより、あるひとに会いたかったから。この近くで散歩してるひと。待ち伏せしてサイン貰うつもりやったの。けど、今日は雨でいつもの散歩はなしや。諦めて帰るわ」
 「それは残念だな」と栄太は頷く。
 「ま、今夜のブログは内容が濃いなって嬉しいわ。ほんま、この記事のPVが楽しみやな。いろんな事件があって、いろんなひと会うて、毎日メリハリあって楽しいわ」
「そうだよ。何事もない生活が一番だけどね」
 栄太は少し寂しそうに言うのだった。その顔を見て菜美は戸惑ったが、直ぐに栄太がにこにこし始めたから気に留めなかった。
 天ぷら盛り合わせと豚汁のセットを撮影しながら、菜美は栄太に笑いかける。
 「これ、ほんまに食べてもええんやろか。私、天ぷらが好きやねん」
 「肉まんと月見うどんでは足りないんだな、お嬢さん。僕の味噌ラーメンも食べたらいいよ」
 笑う栄太の目がいかにも優しかった。
 
 三十分後。
 「お嬢さん。少し歩きましょうか」
 豪華な食事も終わり、栄太は菜美を誘った。
 「大雨やんか。どこ行くつもりなん」
 目の前にある木のドアを栄太は指差した。
「あのドアの向こうは面白いですよ」
菜美は訝しげに栄太を見た。二人で何処へ行くと言うのだろう。もちろん、栄太の誘いは断るつもりだ。油断も隙もない男だったと、栄太に呆れている。
 「ここで座ってるわ。もう疲れて動かれへん。それに『従業員専用』って書いた札がかかってるし。勝手に入ったらあかんやんか」
 栄太はにっこりした。
 「僕はこの店では従業員も同然です。まあ、ボランティアですけどね。裏の畑で野菜を育てていますよ。典ちゃんは草取りが嫌いでね。虫が苦手らしい」
 「そう言えば」と菜美は思い出した。
 店に入ってきたとき、『今日の僕はお客さんなんですよ』と栄太は言っていた。ぶつぶつ言いながら傘立てを出していたようだ。
 「待っててくださいね。おばさんに断りなしで入ったら申し訳ない」
 栄太は厨房を覗いた。
 「おばさん、おばさん。スタジオへ行きます。お嬢さんも一緒ですよ」
 店主らしき年配の女が厨房から出てきた。紺色の地味なスラックスに白い割烹着という格好だ。白い三角巾のしたに、きりりとした顔が見える。
 「貴女がブログの取材に来られたお客さんですね。店長の山野霧子です。今日はありがとうございます。この店をネットで紹介して貰えて、大変に嬉しいです」
 菜美に挨拶したあと、困った顔で栄太に言うのだった。
 「栄太君。スタジオはあかん。今、理江ちゃんが撮影中なんや」
 栄太が何か言うより早く、菜美は叫んだ。
 「理江さんって、あの理江さんのことやね」
 興奮して、菜美の顔は真っ赤になっている。
 霧子は頷いた。
 「そうです。みんなが知っているあの理江さんですよ」
 菜美は両手で胸を押さえ、震える声で呟いた。
 「なんて幸せなんやろ。私はラッキーや」
 栄太が呟いた。
 「やっぱりそうだった。お嬢さんは理江さんに会いにきたのだね」
 「当たり前やんか」と菜美は叫んだ。
 「ブロガーやったら誰かてな、あの綺麗で不思議な理江さんに憧れんねん」
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