第6話

文字数 2,506文字

 遠山町へ行った翌日の深夜。
 シャワーを浴びたあと、菜美は急いで自分の部屋に入った。勢いよくパソコンの前に座り、『仲良しブログ』を開く。
 「ブログチェック、始めよっか」
 シャワーを浴びている最中も、ブログが気になって仕方がなかった。夕食のあとで書き上げたブログに、どれぐらいの「いいね」とコメントがついたか知りたい。たとえPV数は少なくても、「いいね」やコメントが多いとそれだけで嬉しい。
 「遠山町のみんな、このブログ見てくれたやろか」
 菜美は不安でたまらなかった。遠山町の人々が見ていなかったら、今夜はショックで眠れなくなる。
 「ううん、見てくれるって。ちょっと気弱になってるな」
 遠山食堂の記事をブログに載せると伝えたとき、典子はずいぶんと興奮していたし、霧子も心から礼を言ってくれた。
 「理江さんとおばさんは、もう寝てはるわ。典子さんはどやろ。まだ起きてそうや」
 栄太の顔を思い出して、パソコンの画面の右下をちらっと見た。そこに時刻が表示されている。
 「もう、十時半や。おじさん、コンビニのバイト行った後やろな」
 コンビニの仕事が忙しくて、ブログを読む時間は栄太にないだろう。菜美は少し寂しくなった。
 「ま、後から読んでくれたらええ。てか、ブログ書いてからまだ三十分やし」
 菜美は気を取り直して、自分が書いた遠山町の記事を読み始めた。だんだんと顔が緩んでいく。
 「力作やね。スケジュール組んで作った甲斐があったわ」とにっこりした。
 菜美は計画性をもってこのブログ記事を作成した。遠山食堂で皆に親切にして貰ったうえに、夜には典子が丁寧なコメントをくれたのだ。遠山食堂を多くの画像と共に記事にして、理江さんをはじめとした皆に喜んで貰いたかった。それは出来るだけ早いほうが良い。時間の効率化を考えて、菜美は綿密にスケジュールを組んだのだ。
『 はるばる行って来たよ、遠山町 』というタイトルは、朝食を食べているときに決定している。ブログに使う画像の最終選択を会社の昼休みに済ませ、これらの画像に添える文章は帰りの電車の中で一心に考えた。そのおかげで、『 はるばる行って来たよ、遠山町 』の記事は、手直しの時間をいれても一時間弱で完成している。出来上がった記事をアップした瞬間、菜美は会心の笑みを浮かべた。
 「これはブログ作成の実験的試みでもあるわな。ブログ書くんは毎日のことなんやから、スムーズにやりたいもん」
 しかし、アクセス欄をチェックしてがっかりした。
 「今日の訪問者数はひとり。『いいね』もひとり。コメントはない」
 期待は大きく外れたが、菜美はくじけない。
「今からや。今から『いいね』がつくんやから、焦ったらあかん」
 もう少し時間が経てば、この状況も変わるだろう。遠山食堂の人々は忙しいのだ。あとで菜美のブログを訪問してくれるはず。大人しく待っていよう。
 「あっ」と菜美は顔を輝かせて手を打った。
 「そうやんか。待ってる間に理江さんの記事を見に行ったらええねんな」
 理江さんがさっきブログを更新したと、フォロワーの菜美にお知らせが来ていた。タイトルが『窓辺で夜のスキャット』となっている。遠山食堂のスタジオで収録していた動画だろうと、菜美は思った。
 「理江さん、どんな歌を聴かせてくれはんのやろ」
 菜美は暖房を止め、スマホのマナーモードをミュートにした。理江さんの歌声を聴くのだから、それを遮る音はすべて消さねばならない。理江さんがもつアンニュイなムードを高めるために、部屋の照明も暗くしてみた。 
「これで準備できた。理江さん、よろしくお願いします」
 菜美は動画の再生を始めた。

 「今日は。理江です」
 理江さんの、美しいが伏し目がちな顔が現れた。黒のイブニングドレスから見える胸元や背中は、女同士であってもめまいがするほど白くて美しい。
 今にも消えそうな細い声で理江さんは話し始める。
「寒い夜にひとりでいると、理江は幸せだった過去を想うの」
 理江さんは窓辺に立ち、冬がテーマの曲を幾つか歌った。
「真冬に生まれた恋もあったわ。雪みたいに春には溶けてしまうお付き合いだったわ」
 理江さんは震える指先でそっと目を押さえた。
 画面は変わり、夜の遠山町が写し出される。暗く静かな風景がどこまでも続いていた。
「雨は、やみました。理江はこの窓辺でお星さまを待っています」
 理江さんの甘いスキャットが流れるなか、動画は静かに終了した。

 「理江さん、すごいわ。『いいね』一個では足りんわ」
 「いいね」はひとり一個しかつけられない決まりなのだ。
「さてと。理江さんにコメント書くまえに、ちょっとだけ戻ってみる」
 菜美は理江さんから自分のページにと移動した。「いいね」の数とコメントが気になっていたのだ。
 「あれ、なんのお知らせやろ」
『仲良しブログ』の運営局からメッセージが来ていた。
 「うっそお、こんなん信じられんわ」
 メッセージを読んだ菜美は椅子から立ち上がって叫んだ。
 「おじさんにフォロー申請されてる」
 コンビニのアルバイトに行く前だろう、夕方に栄太が菜美にフォローを申し込んでいた。メッセージが添付されている。
『お嬢さん。僕も「仲良しブログ」を始めましたよ。最初にフォローするのは、お嬢さんに決めました。よろしくね』
 「もう、たまらんな。三時間だけの付き合いが延長になってるわ」
 菜美は笑いながら栄太のフォロー申請を許可した。
 理江さんにコメントを書いた後、菜美はベッドに入って考え込んだ。
 「本気になりかけてる。けどな、年齢差が気になるんやわ。おじさんから見たら、私なんて子どもなんやけど。そう考えたら、この付き合い、深入りはあかんやろね」
 年齢差があっても幸せなカップルは多い。菜美はそれに気がついた。
 「けど、理江さんみたいな美人が近くにいて、なんで私やろね。おじさんと理江さんはどんな関係なんや」
 栄太との付き合いはまだまだ続きそうだ。そして、それは急激に発展すると菜美は予感している。それだから、菜美は栄太のことでいろいろ不安に思うのだった。
 とりあえず、スマホを取って目覚ましを設定した。明日も朝から仕事だ。
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