第21話

文字数 4,914文字

 「どこでもええから、みんな早う座ってくれへん。料理が冷めるやんか」
 典子に急かされ、皆は急いで席に着く。遠山食堂の人々に加えて、今日は栄太の従姉もやって来た。遠山町を何度か訪問するうちに、コンビニで働く栄太の従姉とも仲良くなったのだ。
 菜美が初めて遠山町に来たときのことが、今夜の話題となった。従姉は懐かしそうに話すのだった。
 「あの日の菜美さんはなあ、バスが来んから困ってやった。ちゃんと覚えてんやで。菜美さん、肉まん二つ買うてたわ」
 菜美が何か言おうとしたら、栄太が勝手に返事してしまった。
 「それが僕らの出会いでした。しかも、おばさんは素直で明るいお嬢さんに好感を持ちましてね、理江さんのお茶会に誘ったのですよ。はい、わずか三時間とはいえ、明るい未来を感じさせる一日でしたね」
 菜美に初めて会った日を、典子も思い出して笑った。
 「よう食べる子やなって、うちはびっくりしたわ。月見うどんのあとから、天ぷらとか豚汁も食べやってん」
 「いや、白いご飯と天ぷら少々は僕が味噌ラーメンと一緒にいただきましたよ。お嬢さんは豚汁に夢中でしたし。何より、月見うどんの前に肉まんを食べてましたからね。それにしても、あの凄い食べっぷりに僕は魅せられました」
 「止めてよ、そんな話」と菜美は真っ赤になった。
「菜美さん。今夜もいっぱい食べてや」
 典子が優しい笑顔を見せた。
 理江さんが揚げたての天ぷらを運んできた。季節の野菜とたっぷりの竹輪が大皿に盛られている。栄太の顔が輝く。
 「これが楽しみでした。僕は竹輪の天ぷらが大好きです。理江さん、竹輪のお代わりは頼めますよね」
 「大丈夫やよ。そんときは言うてね」
 理江さんは面白そうに笑った。
 典子が座敷机の上を手で示した。
 「竹輪だけやないで。こっちの料理も見たってや。豪華やと思わへんか」
 幾つもの大皿に盛られた料理を見て、皆は感嘆の溜め息をついた。
 「凄いやろ。これ、たいがい理江さんが作ったんよ」
 典子が誇らしげに皆に話す。
「まさか」と理江さんは少し慌てた。
「酢の物とかは典子さんが作ってるし、南瓜は菜美さんが手伝ってくれた」
 とたんに栄太が苦い顔を見せた。
「そうなんですよ、皆さん。お嬢さんは、僕との散歩より南瓜を煮るほうが好きだと言うのです。そんなわけで散歩は中止になりました」
 菜美は下を向いて笑いをこらえた。
「違うやん。外は蚊がいっぱいやから困っただけ」
  横で聞いていた理江さんが無邪気な笑顔を浮かべる。
「何にしても、理江は菜美さんと一緒に料理して楽しかってん」
「私もやよ、理江さん」と菜美もにっこりした。
「しかし、お嬢さん。これは僕が庭で育てた南瓜です。見えないところでしたが、僕もこの南瓜の煮物に参加していたのですよ」
 むきになっている栄太に皆は笑いながら箸をとり、賑やかな食事が始まった。お喋りや明るい笑い声が部屋に溢れかえる。
「ごめん。みんな、もっと静かに騒いで」
 典子が小さな声で皆に頼んだ。
 「隣の座敷でおばさんが寝てる。周りが騒がしいと、おばさんはしんどなるみたい。うん、はじめはもっと奥の部屋で食べよかとは思てたわ。けど、おばさんはひとりにしたら寂しがるんやわ。そんなわけで、この客間でご飯にしたんよ」
 皆が気をつかって黙ったから、典子は慌ててしまった。
 「無理に黙らんといて。煩いのはあかんけど、明るい雰囲気はつくってほしいねん」
 栄太が即座に提案した。
 「では、皆でしりとりを楽しもう」
 笑うまいとして、理江さんは必死で口を押さえた。
 「何でまた、しりとりなんかね」と不思議そうに栄太の従姉が呟く。
 「しりとりなら、皆がいっせいに話さなくて済むからね。自分の順番が来たときに初めて、答えとしての単語をひとつだけ言うのがしりとりなんだよ。それ以外は黙ってゲームの進行を見ているのさ。静かに騒ぎたいとき、しりとり遊びは理想的な環境をつくりだす」
 その場にいた皆は栄太の提案に感心した。
 「栄太君、アイデアやねえ。うち、しりとりは大の得意やねん」と典子。
 「はて、どうでしょうね。典ちゃんは僕のしりとり自慢を忘れたようだ」
 栄太がにんまりした。
 「学生時代の典ちゃんはしりとりが得意でした。しかし、僕も高校のしりとり大会では、学年代表として出場したのだよ。あのときは一年生の典ちゃんが優勝したのだが。そうだ、今夜の僕は二十年來の雪辱を果たすとしよう」
 理江さんが菜美にもたれかかり、「理江、すぐに負けそうな気がしてんねん」とささやいた。
 「私もや。自信ないわ。しりとりは意外と難しいんよねえ」
 菜美は理江さんと顔を見合わせた。それを見た栄太は微笑んだ。
 「皆さん、緊張していますね。自分の順番を待っている間に、美味しいご飯を食べてリラックスしてください」
 こうして、時計回りの順番でしりとりが始まった。
 まだ熱い竹輪の天ぷらをひとつ、栄太は取り皿に載せた。
 「では、僕からスタートしますよ。『竹輪』を最初のワードに設定しましょう。あ、この竹輪は僕がいただきます」
 栄太は竹輪を食べながら、隣に座っている理江さんを促した。
 「理江さん。『竹輪』の『わ』から始まる言葉をお願いしますよ」
 「それじゃ」と理江さんはVサインを高く掲げてから明るく発表した。
 「わっ、ひっさしぶりい~」
 そうして、理江さんは自分に小さな拍手を送るのだった。しかし、皆は苦笑いを浮かべ、いっせいに首を傾げた。
 「そんなん、あかん」
 典子が口を尖らすと、栄太は笑った。
 「やや変則的だが『ひっさしぶりい~』として受けつけよう」
 「ありがとう、栄太君」
 理江さんは嬉しそうに肩を揺すった。
 理江さんの次は菜美だった。しかし、菜美は頭を抱えている。何と答えたら良いのだろう。
 『ひっさしぶりい~』の『い~』に対応できないでいるのだ。自分の運の悪さを菜美は感じている。
 「これはちょっとなあ。『い~』から始まる言葉なんて、私は知らんもん。『い』だけにしてほしいねん」
 栄太は菜美を励ました。
 「お嬢さん、くじけちゃだめだ」
 答えられない菜美を典子も力づける。
 「難しいことはええねん。ラフに答えてや」
 それならと、菜美は思い付くままに言ってみた。
 「じゃ、私は『い~湯かげん』にするね。これであかんかったら、やり直すし」
 典子が眉をひそめた。
 「答をやり直すなんて、言わんほうがええよ。簡単にやり直したら『い~湯かげん』やなくて『い~かげん』な話になってしまうやんか」
 「そうやったんや」
 菜美はますます困ってしまう。
 「あれれ、菜美さん」
 理江さんが慌てて菜美の顔を見た。
 「どっちにしたって失格やね。菜美さんが言うた『い~湯かげん』は『ん』で終わってる」
 こうして、菜美はあっという間に失格した。
 しりとりは典子が圧倒的な強さで優勝した。典子の語彙力に栄太は負けしてしまったのだ。理江さんは感心している。
 「典子さん、凄いんやねえ」
 栄太が無愛想に言った。
 「典ちゃん。そろそろご飯と味噌汁ください」
 「あ。しりとりやってて、ご飯忘れてたわ」
 典子は声を立てて笑いだした。
 「理江さん、手伝い頼むわ」
 「私も手伝います」
 座って食べるだけでは申し訳なくて、菜美も炊事場へ行った。
 茄子と玉葱の味噌汁を典子が椀に盛っている。理江さんはご飯茶碗としゃもじを持って炊飯器の前に立った。
 「菜美さんは、これ持って行って」
 菜美は典子から二つのタッパーを渡された。手に持ってみれば両方ともかなり軽いが、それぞれ明るい緑色と黄金色に満ちて美しい組み合わせだ。ただ、黄金色のタッパーはかなり熱くなっている。
 「栄太君はこれがないとご飯が終わらへんから」
 「あ、分かった」
 菜美はいそいそタッパーの蓋を開け、呟いた。
 「ああ、葱の新鮮な匂いがする。最高の組み合わせやわ」
 タッパーの中は、みずみずしい刻みネギと、ふっくらとした揚げたての天かすだった。
 「今夜はねこまんま。菜美さんはこれを好きなんやね」
 「はい、大好きです。典子さんのねこまんまが食べれて嬉しいです」
 青葱と天かすをいれたねこまんまは絶品の味わいだ。しかも、味噌汁の出汁は料理上手な典子がとっている。今から食べるねこまんまの味を想像して、菜美の胸は期待でふくらむのだった。
 「自分が作った料理を喜んでもらえるって、凄い幸せなことなんやね。もっともっと美味しく作ろって思うわな」
 しかし、理江さんはそうではなかった。理江さんは一生懸命に話す。
「理江は食べる方が好きやね。大阪から帰ってきて、おばさんと典子さんの家庭料理にほんま幸せ感じたもん」
「菜美さんはどうなん。作るほう、食べるほうのどっち」
 典子に聞かれて菜美は笑った。
「そこまで料理できんから、私は必然的に食べるほうやね」
 理江さんは「それやったら、菜美さんと一緒やわ」と喜んだ。
 菜美達三人が笑いながら客間に入ると、栄太は縁側にしゃがみこんでいた。典子が客間から声をかける。
 「栄太君。何やってんの。ご飯やから座って」
 「蚊取り線香を焚いておくよ。ご飯のあと、今日こそ約束の花火をしようね」
 典子は寂しく微笑んだ。
 「ありがとう、栄太君」
 「今夜はお嬢さんがいるし、風も強くない。皆で花火をして楽しもう」
 栄太は蚊取り線香に火をつけた。庭からのゆるい風を受けて、蚊取り線香の煙が揺れている。
 「これがないと、お嬢さんは縁側から逃げ出すぞ。蚊がいっぱい飛んでるとか何とか言ってさ」
 栄太は笑いながら、広い縁側に流れる蚊取り線香の煙を見守っている。典子は泣き出しそうになりながら、座敷机に味噌汁を並べはじめた。栄太の従姉がそれを黙って手伝っている。
 「おお、炊きたてのご飯だ」
 栄太が部屋に戻ってきた。
 「待ちかねましたよ。お腹が空いて思うように体が動かないのです」
 「それは大変やな」
 まだ悲しい顔をしていたが、典子は庭を指さして話すのだった。
 「まんげつそう、庭で育てるわな」
 「わはは、それは凄いじゃないか」
 栄太は漫画に登場する愉快な人物のように、陽気な笑い声を辺りに響かせた。そんな栄太に典子はまた悲しい顔になるのだった。
 栄太は話を変えた。
 「楽しみだなあ。今日も味噌汁の二杯目はねこまんまですよ」
 明るい声で話ながら、栄太は二つのタッパーを引き寄せた。典子はそっと頷く。
 「今日の味噌汁は茄子と玉葱やから。おばさんも大好きな具やねん」
 典子は小さな盆に粥と味噌汁を載せた。
 「これはおばさんのご飯な。うちがあっちでお給仕するから、皆は先に食べてや」
 霧子の傍らに行くと、典子はそっと盆を置いた。
 「おばさん。あとから食べてもかまへんよ」と話しかけている。
 そんな二人の姿を見て、菜美は考えていた。霧子には、縁側での花火は煩くはないのだろうか。花火は裏庭でするのが良いかもしれない。さっきも典子は皆に静かにしてほしいと頼んでいた。
 「お嬢さん。心配することはない」
 そんな菜美の迷いに栄太は気がついたようだ。
 「夏という季節をおばさんは好きだからね。夏祭りに行ってはしゃいでいるおばさんの写真を見たことがある。その頃に着ていた浴衣を今も大切に置いてあるぐらいだ」
 菜美は「あれやね」と呟いた。
 霧子の部屋にあった衣紋掛けに、朝顔の浴衣と赤い帯がかけられていた。やはり、あれは霧子のものだったのだ。道理で懐かしい匂いがしていたと、菜美は少し色褪せた朝顔の花を思い出している。
 「おばさんには今が最後の夏かもしれないね。夏祭りはさすがに無理だが、せめて花火をしておばさんに見せてあげようよ。おばさんが昔のように喜んでくれたら良いのだが」
 話す栄太の顔は深い慈しみに満ちていて、その優しさが菜美の胸を詰まらせた。
 「お嬢さん。今夜は静かな夏祭りですよ。あの星達のもとで」
 遥かなる山脈より高いところにある夜空に、栄太は澄みきったその目を向けるのだった。


 ※
 すみません。
 今回もドラクエから『まんげつそう』のアイテムをお借りしました。
 メンバー全員がしびれると、たしかゲームは終了でしたね!
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み