第16話

文字数 2,099文字

 典子は栄太が夢だけを見ていると話していた。現実を振り返らない栄太と結婚したら、その妻は大変だと言うのだ。菜美は納得した。
 栄太はこの村を改革すると熱く語るが、それは途方もない話だと菜美は思うのだ。それがどれぐらいの規模のものかは知らないが、かかる費用はどうやって賄うのだろう。
 「お嬢さんは僕の計画に呆れていますね。これは困ったぞ」
 栄太は明るく笑う。
 「呆れてないけど、大変な話やからびっくりしたんよ。立派なことやけど、お金とかいろいろ大変やからね」
 菜美は考えながら答えた。栄太の計画は決して悪い話ではない。その奉仕の精神は素晴らしいものだ。あまりに現実離れしているから残念だとも思う。
 「典ちゃんは僕に言うんだ。実現不可能な夢を見ていないで、さっさと定職に就いて結婚して落ち着くべきだってね。僕の空いた時間にだけ、村の人々にサービスすれば良いとも言っていたな」
 菜美は栄太に頷く。
 「うん。私もそう思う」
 「お嬢さんは平均的感覚の持ち主だな。良いことだよ。平均的感覚の持ち主なら、周囲から『変わり者』だとか『不思議なひと』だとか、そんなことを言われなくて済むからね。平均的感覚でいたら人生の失敗が少なそうだ。それは良いことだろう。しかし、人生での何かに成功する可能性はないかもしれない」
 菜美は笑い出した。
「そうなんや。おじさんは『変わり者』とか『不思議なひと』って言われてるんやね」
「そうです。自分でもそう思っていますよ。僕は『変わり者』で『不思議なひと』に間違いありません」 
 栄太が大真面目にそう答えるから、菜美は笑えなくなった。栄太の人間性についてもう少し話してみたかったが、最初の話題に戻ることにした。
「村のひとが幸せになるために、なんかの施設を作るって言うたやん。その施設が完成してみんなが喜んで来てくれたら嬉しいね」
「そうだよ。それが僕の使命だと思っている」
 栄太は夜空の下に輝く道を指さした。
 「あの向こうにある土地を父が僕に残してくれたのも、典ちゃんや理江さんが大阪からこの村に戻ってきたのも偶然ではない。すべてが僕に与えられた運命だった。三十代も終わりになって自分の生き方に迷ったとき、祖母が死に母が弱ってしまった。その後、典ちゃんが泣いたんだよ。次は、理江さんが遠山食堂に飛び込んできたんだ。皆の涙が、この村に残ることを僕に決心させた。その全てが僕の人生には必然の出来事だったと信じている」
 菜美は考えをまとめている。栄太の話には難しい言葉があるうえに、その内容も一度聞いたぐらいでは理解できないものだった。
 「僕が東京で挫折したのは良い偶然だった。物事は適材適所だ。この村でなら、この僕も生きていけるのさ。それは僕だけではない。典ちゃんや理江さんもそうなんだよ。彼女らは、あまりにもこの村の人間だった。傷ついて大阪から帰ってきた二人は、この村で一緒に育った僕を頼った。それは必然のことだよ。僕らは皆、山野のおばさんもだけど、傷ついてこの村に戻ってきたんだよ。大袈裟な言い方かもしれないが、この村は『僕らの原点』だからだ。僕の『原風景』はこの村にある」
 菜美は黙っている。何か言わなければと焦るが、栄太の話がまったく分からない。分かるのは、栄太は遠山食堂の人々とこの村で一緒に生きていること。
 「お嬢さん。この話はいったんお休みだ」
 栄太は菜美の手を引いて室内に入った。
「さ、今から理江さんの撮影が始まるんだ。僕らも見に行こう」
「今頃に撮影するんや。もう暗いし、危ないやんか。今夜は寒いしな」
 「心配ないよ」
 栄太は笑った。菜美の手を引いたままスタジオを出て階段を下りて行く。ホールへ続く木のドアを開ける前に、栄太が少し得意そうに言った。
「お嬢さん。期待に満ちて、この先を見てください。ここが今夜の撮影場所だ」
 信じれらないという顔をする菜美。ホールは会社の会議室のように殺風景なところだった。
「お嬢さんと僕が夜空を見ている間に、典ちゃんがホールを改造したのさ」
 改造された遠山食堂のホールが、今夜の撮影場所になっているようだ。
「改造って、どんな風にしたん」
「それはお楽しみだ。典ちゃんは理江さんのプロデューサーもしているんだよ。ブログの理江さんは典ちゃんと僕が作り上げた虚像に過ぎない。憂いを含んだ儚い美女の演技をしているのさ。それが今は、理江さんもやりがいを感じて頑張っている。万単位のフォロワーやPVに触発されたようだ。実際の理江さんはお茶目で可愛いひとだ」
 菜美は頷いた。栄太の言う通りで、菜美もブログで見る理江さんの美しさに夢中になったのだ。その思いが高じて、遠山町まで理江さんに大阪から会いに来てしまった。実際に仲良くなってみれば、理江さんは意外にも明るく元気な性格だと分かった。
 栄太はドアをノックして叫んだ。
「典ちゃん。入るよ」
 ドアが開いて、理江さんが現れた。
「オーケー。準備万端で、今夜も理江はやる気満々」
 菜美は「ああ」とため息をついた。理江さんの美しさにめまいがして、気絶してしまいそうだ。
「典ちゃんはギリシャ神話が好きなんだよ」
栄太が笑った。
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