第9話
文字数 3,487文字
栄太の車で菜美は遠山食堂に着いた。
「懐かしいわ、ほんまに」
菜美は遠山食堂の入り口に立ち、しみじみと呟いた。ここに来るのは二ヶ月ぶりだった。
「おや、意外ですね。お嬢さんのことだから『わっ、ひっさしぶりい~』とか言って騒ぐと思っていましたよ」
面白がって笑う栄太に菜美はむきになって抗議する。
「悪いけどな、うちはもう『わっ、ひっさしぶりい~』なんて言わへんで。言うとしたら『はあ~い』やね」
「理江さんは『わっ、ひっさしぶりい~』を言いそうですね」
栄太は自信たっぷりに言いきった。
菜美は「なんで理江さんをここで出すねん」と再び抗議する。急に理江さんの名前を出されて驚いたのだ。なにより、栄太の言葉は理江さんのイメージを大きく壊すものだった。理江さんは退廃的で神秘的な美貌の持ち主だ。そんな憂いを含んだ美人が『わっ、ひっさしぶりい~』などと言うはずがない。
「理江さんがそんなん言うわけないやん。美人のイメージ、ぶち壊さんといて。理江さんやったら『ああ、なんて久しぶりなのかしら』ってそっと涙ぐむんやから」
「お嬢さん。本気で怒っていますね」
栄太は爆笑した。
「では、店に入りましょうか。理江さんはもう来ていますから、お嬢さんと僕のどちらが正しいか分かりますよ」
「さっきからえらい自信たっぷりやん。理江さんと私に失礼やな。おじさんの勘違いやったら、私のおやつとして、一年分のチョコレートと缶コーヒー買うてもらうわ」
「僕が勝ったら、今夜は一緒に星を見てくださいよ。遠山食堂から見る夜空は本当に綺麗ですよ」
菜美は本当に驚いた。栄太から夜のデートに誘われたからだけではない。おとぼけの栄太が夜空の星を眺めるとは思わなかった。どのような顔をして栄太は夜空を見上げるのだろう。菜美はそれを想像してみたが、ロマンチックな栄太の顔がどうしても浮かんでこなかった。
「そうなんや。おじさんって、星見てるんや」
とりあえず、菜美はそう言っておいた。
「いつも見てますよ。深夜のバイトでコンビニへ行っていますが、その合間にも僕は夜空を見上げて物思いに耽るのです」
栄太の意外な一面に触れ、感動に少し似たものが菜美の胸にこみ上げてきた。しかし、菜美は素直でない。つい、憎まれ口を叩いてしまう。
「星ばっかり見てやんと、真面目に仕事してや」
「了解しましたよ、お嬢さん」
栄太は笑いながら遠山食堂の戸を開けた。
「おばさん。お嬢さんが着きましたよ」
栄太が厨房にいる霧子に声をかける。霧子は満面の笑みで厨房から出てきた。
「菜美さん。お久しぶりですね」
菜美も笑顔で霧子に挨拶する。
「はい、お久しぶりです。理江さんの誕生会に招待してもらって有難うございます」
「こちらこそ。こんな遠くまで呼び出して申し訳ないですね」
霧子は栄太にも礼を言った。
「栄太君。街で買いだし、ご苦労さんです。この辺りには店がないからねえ、栄太君のおかげでいつも助かってるわ。コンビニが出来てからは、まあ便利やけどな」
栄太は穏やかに頷いた。
「いつでも遠慮なく言ってください。ここは何もない村ですから、毎日の買い物も大変だ」
霧子は厨房の奥にいる理江さんを手招きした。
「理江ちゃん。菜美さんが来てくれた」
「はーい」と元気な返事はあって、理江さんが厨房から飛び出してきた。霧子の手伝いをしていたようで、白いエプロンをつけている。
菜美を見て理江さんは顔を輝かせて叫んだ。
「わっ、ひっさしぶりい~」
理江さんの言葉に、菜美はぼう然としている。栄太は思いきり吹きだした。
「やはり、ぼくの勝ちですね。チョコレートと缶コーヒーは、夜空の星を眺めながら僕と一緒に頂きましょう」
菜美は負けていない。
「天気予報、ちゃんと見てないやろ。今夜は雨のはずや。どっちにしても星は見えへんよ」
「ひどいな、お嬢さん。そんなことを嬉しそうに言うのですね」
理江さんは驚いた。
「おばさん。栄太君が菜美さんに負けてる」
「ああやって遊んでるんだよ、あの二人」と笑う霧子。
「仲がよい証拠やね」
理江さんも納得した。
「理江さん、ちょっと」
典子が厨房で大声を出した。
「理江さん。ええから、お皿ならべてや。自分の誕生日は自分で準備するもんや」
理江さんはテーブルにグラスや皿を並べ始めた。ときどき、皿を見て叫んでいる。
「きゃー。このお皿、可愛い」
菜美が知っているアンニュイな美人の理江さんではなかった。
「いつもの理江さんと全然ちゃうやん。ドレス着てへんし」
今日の理江さんは、薄手のピンクのセーターにデニムという軽装であるし、化粧も薄くてほぼ素顔のように見える。どこかで見た顔だと、菜美は理江さんの切れ長の目を見つめた。しかし、それが誰なのか思い出せない。
「なあ、菜美さん」
霧子はしみじみと話すのだった。
「びっくりしたやろ。あれが本来の理江ちゃんなんや。小さい頃から理江ちゃんはお転婆やった。顔もあれやし、元気いっぱいで可愛い子やったわ」
菜美は目を丸くした。
「理江さんがお転婆って意外でした。憂いがある美人の印象が強いです」
「理江ちゃんは苦労したんや。この辺りでずっと暮らしてたら、今でも元気いっぱいやったかもしれん。村の皆はそう言うとるよ」
栄太がしみじみと言う。
「遠山食堂にいるときだけ、理江さんは昔に戻って元気いっぱいになるんだ。可哀想なぐらいにね」
霧子は栄太の話に頷きながら、訴えるような眼差しで菜美を見つめた。
「そうなんよ。初めて菜美さんとお茶飲んだときは、理江ちゃんも初対面のひとやから緊張してた。実は警戒心もあった。今は菜美さんに心を開いてるから、ああやって騒いでるけどな」
「そうだったんですか」としか菜美には言えなかった。
「そうだよ。理江さんは寂しがり屋だ」
栄太は感慨深く話すのだった。
「あれから遠山食堂の皆はブログを通して、お嬢さんとこんなに仲良くなれました。もともと理江さんは友達がほしかったから、お嬢さんが大好きになったのです」
栄太の話を聞きながら霧子は呟いた。
「理江ちゃんが可哀想でならんわ」
栄太はとりなすように霧子に言うのだった。
「理江さんは運が悪かったのですよ」
栄太は穏やかに言葉を続ける。
「それでも、理江さんは素直で純粋なままです。それだから、いくつになっても理江さんは優しく美しく、少女のようなひとなのです」
霧子は栄太の言葉にゆっくりと頷いた。
「素直で純粋な性格は母親譲りなんや。それは良かったと私は思とるよ」
その場は妙に重苦しい雰囲気になってきた。
「栄太君、栄太君」
大きな声で典子が栄太を呼んだ。手にお玉を持っている。
「ごめんな、菜美さん。今ちょっと忙しいから、後でちゃんと挨拶するわな」
菜美にそう断ると、典子は再び栄太を呼んだ。
「栄太君。菜美さんをスタジオを案内したって。そのあと、荷物置いたらホールに降りてきてや」
菜美は栄太の後に続いてホールの奥へと行く。見覚えがある木のドアを開けると、狭くて急な階段があった。所々がすり減っている。いつからのものかと菜美は考えた。遠山食堂はかなり古くからあるのではないか。
「お嬢さん。スタジオに僕らの写真が飾ってありますが、笑わないで下さい。僕らの子ども時代のものがありますから。でも、あの典ちゃんが凄い美少女だったから、お嬢さんは見てびっくりしますよ」
菜美は頷く。口は悪いが、典子は和風の美人だ。美少女だったのは十分に想像できた。
「典ちゃんの了承はとってあるから、昔の写真を一緒に見ましょうね」
「ありがとう。理江さんの写真もあるの」
「理江さんの写真は殆どありませんよ。正月とか村祭りのときぐらいかな。やはり美少女でしたが」
菜美はがっかりした。
「理江さんは街の子でした。ここの住人ではなかったのです。そんなわけで、写真は多くありません。その代わりに僕の写真を見て下さい。お嬢さん、きっとびっくりしますよ。だってね、」
栄太の言いたいことを菜美は察して牽制した。
「私が写真見てびっくりするんは、おじさんが凄い美少年やったというオチやな」
栄太はがっくりした。
「いやはや。残念な会話になったものだ。お嬢さんが僕より先にオチを言ってしまった」
「知らんがな」と菜美は大笑いする。
やれやれとため息をつきながら、栄太はスタジオの扉を開けた。
「お嬢さん。ご覧下さい」
栄太は得意そうだ。
「ここが子どもの頃からの、僕らの秘密基地ですよ」
秘密基地に足を踏み入れたその瞬間、菜美は思い切り叫んだ。
「わっ、ひっさしぶりい~」
「懐かしいわ、ほんまに」
菜美は遠山食堂の入り口に立ち、しみじみと呟いた。ここに来るのは二ヶ月ぶりだった。
「おや、意外ですね。お嬢さんのことだから『わっ、ひっさしぶりい~』とか言って騒ぐと思っていましたよ」
面白がって笑う栄太に菜美はむきになって抗議する。
「悪いけどな、うちはもう『わっ、ひっさしぶりい~』なんて言わへんで。言うとしたら『はあ~い』やね」
「理江さんは『わっ、ひっさしぶりい~』を言いそうですね」
栄太は自信たっぷりに言いきった。
菜美は「なんで理江さんをここで出すねん」と再び抗議する。急に理江さんの名前を出されて驚いたのだ。なにより、栄太の言葉は理江さんのイメージを大きく壊すものだった。理江さんは退廃的で神秘的な美貌の持ち主だ。そんな憂いを含んだ美人が『わっ、ひっさしぶりい~』などと言うはずがない。
「理江さんがそんなん言うわけないやん。美人のイメージ、ぶち壊さんといて。理江さんやったら『ああ、なんて久しぶりなのかしら』ってそっと涙ぐむんやから」
「お嬢さん。本気で怒っていますね」
栄太は爆笑した。
「では、店に入りましょうか。理江さんはもう来ていますから、お嬢さんと僕のどちらが正しいか分かりますよ」
「さっきからえらい自信たっぷりやん。理江さんと私に失礼やな。おじさんの勘違いやったら、私のおやつとして、一年分のチョコレートと缶コーヒー買うてもらうわ」
「僕が勝ったら、今夜は一緒に星を見てくださいよ。遠山食堂から見る夜空は本当に綺麗ですよ」
菜美は本当に驚いた。栄太から夜のデートに誘われたからだけではない。おとぼけの栄太が夜空の星を眺めるとは思わなかった。どのような顔をして栄太は夜空を見上げるのだろう。菜美はそれを想像してみたが、ロマンチックな栄太の顔がどうしても浮かんでこなかった。
「そうなんや。おじさんって、星見てるんや」
とりあえず、菜美はそう言っておいた。
「いつも見てますよ。深夜のバイトでコンビニへ行っていますが、その合間にも僕は夜空を見上げて物思いに耽るのです」
栄太の意外な一面に触れ、感動に少し似たものが菜美の胸にこみ上げてきた。しかし、菜美は素直でない。つい、憎まれ口を叩いてしまう。
「星ばっかり見てやんと、真面目に仕事してや」
「了解しましたよ、お嬢さん」
栄太は笑いながら遠山食堂の戸を開けた。
「おばさん。お嬢さんが着きましたよ」
栄太が厨房にいる霧子に声をかける。霧子は満面の笑みで厨房から出てきた。
「菜美さん。お久しぶりですね」
菜美も笑顔で霧子に挨拶する。
「はい、お久しぶりです。理江さんの誕生会に招待してもらって有難うございます」
「こちらこそ。こんな遠くまで呼び出して申し訳ないですね」
霧子は栄太にも礼を言った。
「栄太君。街で買いだし、ご苦労さんです。この辺りには店がないからねえ、栄太君のおかげでいつも助かってるわ。コンビニが出来てからは、まあ便利やけどな」
栄太は穏やかに頷いた。
「いつでも遠慮なく言ってください。ここは何もない村ですから、毎日の買い物も大変だ」
霧子は厨房の奥にいる理江さんを手招きした。
「理江ちゃん。菜美さんが来てくれた」
「はーい」と元気な返事はあって、理江さんが厨房から飛び出してきた。霧子の手伝いをしていたようで、白いエプロンをつけている。
菜美を見て理江さんは顔を輝かせて叫んだ。
「わっ、ひっさしぶりい~」
理江さんの言葉に、菜美はぼう然としている。栄太は思いきり吹きだした。
「やはり、ぼくの勝ちですね。チョコレートと缶コーヒーは、夜空の星を眺めながら僕と一緒に頂きましょう」
菜美は負けていない。
「天気予報、ちゃんと見てないやろ。今夜は雨のはずや。どっちにしても星は見えへんよ」
「ひどいな、お嬢さん。そんなことを嬉しそうに言うのですね」
理江さんは驚いた。
「おばさん。栄太君が菜美さんに負けてる」
「ああやって遊んでるんだよ、あの二人」と笑う霧子。
「仲がよい証拠やね」
理江さんも納得した。
「理江さん、ちょっと」
典子が厨房で大声を出した。
「理江さん。ええから、お皿ならべてや。自分の誕生日は自分で準備するもんや」
理江さんはテーブルにグラスや皿を並べ始めた。ときどき、皿を見て叫んでいる。
「きゃー。このお皿、可愛い」
菜美が知っているアンニュイな美人の理江さんではなかった。
「いつもの理江さんと全然ちゃうやん。ドレス着てへんし」
今日の理江さんは、薄手のピンクのセーターにデニムという軽装であるし、化粧も薄くてほぼ素顔のように見える。どこかで見た顔だと、菜美は理江さんの切れ長の目を見つめた。しかし、それが誰なのか思い出せない。
「なあ、菜美さん」
霧子はしみじみと話すのだった。
「びっくりしたやろ。あれが本来の理江ちゃんなんや。小さい頃から理江ちゃんはお転婆やった。顔もあれやし、元気いっぱいで可愛い子やったわ」
菜美は目を丸くした。
「理江さんがお転婆って意外でした。憂いがある美人の印象が強いです」
「理江ちゃんは苦労したんや。この辺りでずっと暮らしてたら、今でも元気いっぱいやったかもしれん。村の皆はそう言うとるよ」
栄太がしみじみと言う。
「遠山食堂にいるときだけ、理江さんは昔に戻って元気いっぱいになるんだ。可哀想なぐらいにね」
霧子は栄太の話に頷きながら、訴えるような眼差しで菜美を見つめた。
「そうなんよ。初めて菜美さんとお茶飲んだときは、理江ちゃんも初対面のひとやから緊張してた。実は警戒心もあった。今は菜美さんに心を開いてるから、ああやって騒いでるけどな」
「そうだったんですか」としか菜美には言えなかった。
「そうだよ。理江さんは寂しがり屋だ」
栄太は感慨深く話すのだった。
「あれから遠山食堂の皆はブログを通して、お嬢さんとこんなに仲良くなれました。もともと理江さんは友達がほしかったから、お嬢さんが大好きになったのです」
栄太の話を聞きながら霧子は呟いた。
「理江ちゃんが可哀想でならんわ」
栄太はとりなすように霧子に言うのだった。
「理江さんは運が悪かったのですよ」
栄太は穏やかに言葉を続ける。
「それでも、理江さんは素直で純粋なままです。それだから、いくつになっても理江さんは優しく美しく、少女のようなひとなのです」
霧子は栄太の言葉にゆっくりと頷いた。
「素直で純粋な性格は母親譲りなんや。それは良かったと私は思とるよ」
その場は妙に重苦しい雰囲気になってきた。
「栄太君、栄太君」
大きな声で典子が栄太を呼んだ。手にお玉を持っている。
「ごめんな、菜美さん。今ちょっと忙しいから、後でちゃんと挨拶するわな」
菜美にそう断ると、典子は再び栄太を呼んだ。
「栄太君。菜美さんをスタジオを案内したって。そのあと、荷物置いたらホールに降りてきてや」
菜美は栄太の後に続いてホールの奥へと行く。見覚えがある木のドアを開けると、狭くて急な階段があった。所々がすり減っている。いつからのものかと菜美は考えた。遠山食堂はかなり古くからあるのではないか。
「お嬢さん。スタジオに僕らの写真が飾ってありますが、笑わないで下さい。僕らの子ども時代のものがありますから。でも、あの典ちゃんが凄い美少女だったから、お嬢さんは見てびっくりしますよ」
菜美は頷く。口は悪いが、典子は和風の美人だ。美少女だったのは十分に想像できた。
「典ちゃんの了承はとってあるから、昔の写真を一緒に見ましょうね」
「ありがとう。理江さんの写真もあるの」
「理江さんの写真は殆どありませんよ。正月とか村祭りのときぐらいかな。やはり美少女でしたが」
菜美はがっかりした。
「理江さんは街の子でした。ここの住人ではなかったのです。そんなわけで、写真は多くありません。その代わりに僕の写真を見て下さい。お嬢さん、きっとびっくりしますよ。だってね、」
栄太の言いたいことを菜美は察して牽制した。
「私が写真見てびっくりするんは、おじさんが凄い美少年やったというオチやな」
栄太はがっくりした。
「いやはや。残念な会話になったものだ。お嬢さんが僕より先にオチを言ってしまった」
「知らんがな」と菜美は大笑いする。
やれやれとため息をつきながら、栄太はスタジオの扉を開けた。
「お嬢さん。ご覧下さい」
栄太は得意そうだ。
「ここが子どもの頃からの、僕らの秘密基地ですよ」
秘密基地に足を踏み入れたその瞬間、菜美は思い切り叫んだ。
「わっ、ひっさしぶりい~」
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