第25話

文字数 3,470文字

 菜美は栄太に連れられて二階へ上がった。
「広いね。縁側もあるし」
「しかし、二階にはまだ何もありません。時々ですが、理江さんが動画の撮影に使っています」
「広いから何でもいけそうやね」
「そうですね。和室と洋室の両方に、このように縁側があります。ミニキッチンと手洗いを完備しました」
「台所もあるんや。ゆっくり生活できんね。おじさん、のんびりできるやん」
 菜美の無邪気な言葉に、栄太は苦虫を噛み潰したような顔になった。
「その言葉をお嬢さんから聞くとは。いやはや、お嬢さんは無邪気すぎていけません」
「えっ、何でなん」と菜美は不思議な顔になった。
 それには返事をせずに、栄太は縁側にある全ての雨戸を開け始めた。静まりかえっていた二階にガラガラという音が連続して響きわたる。その音に縁側の窓や床が振動していると菜美には思えた。
「音が響いてちょっと怖いわ」
 栄太は笑った。
「周りが静かだからね。本当に、ここは何もない村だよ」
「けど、静かな場所って嬉しいことやろね。何かしたいときって、周りがざわざわしてたら集中できへんもん」
「そうだ。僕はここに来て、ひとりで考え続けていた。ここは僕の思考の場でもある」
 栄太の悩みは自分のことのようだから、そんな風に言われて菜美は良い気はしない。その一方で、そこまで自分は栄太を困らせたのかとも思った。
「お嬢さん。嫌な顔をしていますね。僕の話に気を悪くしたようだ」
 栄太は暗い窓を見つめている。
「それが僕なのですよ。そして、誰もがそうなんだ」
 栄太は菜美を呼んだ。
「こちらに来て貰えますか」
 菜美は栄太の横へ行った。
「お嬢さん。よく見てください」
 そう言われて、菜美は窓ガラスに顔をくっつける。
「お嬢さんは面白い人だな」
 栄太は笑いながら窓ガラスを軽く叩いた。小さな虫達がいっせいに窓を離れる。
「僕は気にしないが、お嬢さんは虫が苦手だからね」
 菜美は大笑いして窓ガラスから顔を離した。考え事をしていると、目の前にあるものにも気がつかないものだ。
「雨戸の開け閉めのときですよ。網戸も開けるから、たまに蝉が飛び込んできます。先日の夜にもそんなことがありました。勢いよく部屋中を飛び回るのですが、あちこちにぶつかっています。羽音も大きいですよ」
「怖いね」と菜美は驚いている。
「それは違うな。怖いなんて、言ってはだめだ」
 栄太は厳しい顔をみせた。
「蝉が可哀想だと思ってほしい。蝉は頑張っていると分かってほしい」
 菜美は戸惑ってしまった。蝉が怖いと言ったことに、深い意味はなかったのだ。今日の栄太はどうしたのだろう。苛々しているのか。
 とにかく謝ろうと菜美は考えた。栄太はいつも穏やかでいて、怒ることは滅多にない。やはり、自分は良くないことを言ったのだ。
「ごめんなさい。もう言わないね」
「いいんだ。お嬢さんは素直なひとだよ」
 それきり、栄太は暗い庭を眺めている。菜美は怖くなってきた。難しい顔をして沈黙する栄太。そんな栄太に菜美は何も話せない。重苦しい沈黙が漂いはじめた。一階に戻ろうかと考えながら、菜美は庭を眺めるのだった。
「皆で花火をしたなんて、まるで夢のようだよ」
 栄太が口を切った。
「夢はね、お嬢さん。楽しくて、悲しくて、虚しいものでもあるのさ。花火をしていたとき、僕は現実の厳しさを感じたのだよ」
 菜美は黙っていた。うっかり妙なことを言ってはいけない。
 栄太は庭から夜空へと視線を移した。
「さっき僕が言いかけた線香花火の話だけどね」
「うん、何か言うてたね」
「人生は線香花火のようなのだと、僕は最近に知った。初めは勢いよく燃えるが、段々と弱まり、最後は消えていく」
「そうやったんや」
 線香花火が人生に例えられることを菜美は初めて知った。
「今夜、僕は線香花火を見ていて考えたよ。この燃え方は本当に人生のようだなあってね」
「私、線香花火が人生って聞いても分からんのよ。意味は分かるけど、なんか実感ないなあ」
 正直に話す菜美に栄太はにっこりした。
「それで普通だと思いますよ。お嬢さんは若くて元気だから。心も僕ほど汚れていない」
 ここで栄太は少し黙った。
「華やかに燃え上がるが、最後は消えていく。その運命にひとは逆らえないのだ」
「けど、綺麗な花火はみんなを喜ばすからね」
「そうだ。僕も皆に喜んでほしかったのだよ」
 肩を震わせる栄太を見ていて、菜美は辛かった。その理由はよく知らないが、菜美は励ましたいと思うのだ。言葉にならないほどの寂しさを栄太から感じている。
「何かあったんやね。私に話してみたら」
 栄太はうつむいた。
「良かれと思ってしたことが、実は相手を困らせたんだ。僕は余計なことをした」
 菜美は栄太の話がやっぱり分からない。
「具体的に言うてくれやな」と頼む。
「この家におばさんを迎え入れたのは、典ちゃんの希望ではなくて僕の申し出だった。春になった頃、おばさんはもう長くないと医者が言ったんだ。僕は青春時代に『遠山食堂』でおばさんに世話になった。おばさんの優しさをよく知っている。その優しいひとの人生がもうすぐ終わるんだ。おばさんに幸せな気分になってほしかった。親友の典ちゃんの助けにもなりたかったよ」
 頭を抱え栄太は話し続ける。
「おばさんは子どもの頃に戻りたかったんだ。よく話してくれていた。少女だったおばさんが住んでいた家のことをね。あの家が懐かしくて堪らないって、泣きそうになって話していたよ」
 菜美は納得した。
「それで、この家におばさんを呼んだんやね。私のおばあちゃんも、こんな和風の家に住んでるわ」
「おばさんが懐かしがっている昔風の家で、大好きな花火を見せて楽しませてあげたかったんだ」
 菜美は泣きそうになった。
「今夜、僕は自分の無力を思い知った。おばさんには花火とひやしあめを楽しむ力が残っていなかった。それどころか、疲れさせてしまったんだ。ひょっとしたら、僕はおばさんの寿命を縮めたのかもしれない。典ちゃんの哀しい顔に僕は耐えられなかったよ」
 菜美は一生懸命に考えた。
「おばさんは嬉しかったと思うけどな。体がしんどいから花火の途中で部屋に戻っただけで、おじさんの気持ちはきっと通じてるわ」
「僕は無力なのだよ。自分勝手に夢を見ていただけだ」
 栄太は泣き出しそうになっていた。
「現実の厳しさにぶつかったよ。村のひとのために、この場所に楽しい施設をつくりたかった。進学や就職で、若い人は多くが村を出て行った。人口も減っているのだよ。独り暮らしのお年寄りが仲良く暮らせたら良いなと、世間知らずの僕は思いついた。東京で挫折して故郷に戻ったのも、この土地に施設を建てるためだったと考えていたぐらいだ」
「それって、立派やん」
 菜美は心からそう思っている。
「でもね、僕はすぐに自分が理想に走っていると分かったよ。いつかも話したが、僕の夢を叶えるには財力も必要なのでね。そこで、僕は考えた」
「新しい計画を考えたんやね」
「そうだ。村の公民館的な家を作ろうって。これなら経費もなんとかなるし、典ちゃんも手伝ってくれると言ってくれた」
 この話に菜美は疑問を感じた。
「村の公民館って。それ、おじさんが自分で勝手に作ったらあかんやん」
 栄太は少し笑った。
「そうです。だから『公民館的』な家なのですよ。誰でも受け入れるつもりだ。普通に遊びに来てくれたら良いのさ。熱いお茶ぐらいは出すよ」
 この家の玄関には数えきれないほどの室内スリッパがあった。それを菜美は思いだしている。
「自分の土地ではあるが、この家を建てるにはかなりの金額が必要だった。それは何とかなったが、これからの維持費も考えなければならない。コンビニの収入だけでは無理なんだよ。僕だけではなく、母の生活もあるからね」
 栄太は夜空から菜美に視線を移した。小さな子どものように純粋な眼差しだった。
「お嬢さん。こんなに好きな貴女だが、そんなわけで僕は幸せにできない」
 菜美は大きく頷いた。栄太が言わんとしていることを、菜美はもう分かっていた。
「私と結婚するお金がないんやね」
「その通りですが、お嬢さん。怖いぐらいにはっきり言うのですね」
 栄太は困ったように笑っている。
「結婚してお嬢さんと暮らすだけの経済力と精神的余裕が、今の僕にはないんだ。いや、今だけではない。これから何年間も、お嬢さんを迎えに行くことはないだろう」
 菜美は驚かない。そんなことだろうと思っていた。資金などがないという話は、以前にも聞いている。
「私、おじさんに言いたいことがあるんよ」
  菜美は栄太を真っ直ぐに見つめた。
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