第17話

文字数 4,207文字

 「古代に生きる少女を演出してみたんよ。地中海に近い国のイメージ、見てるひとに感じてもらいたいねん」
 典子は楽しそうだ。理江さんもはしゃいで、白い衣装を指先でつまんでひらひらと揺らす。
 「今からの動画、時間の設定は夜にしてる。もうすぐ電気消すけど、びっくりせんといて。菜美さんは夜のホールも撮影も初めてやね。ここは外も暗いし、ちょっと怖いかもしれん」
 栄太は珍しく難しい顔をして菜美に言う。
 「お嬢さん。夜の遠山町では我がコンビニだけが明るいのだよ。朝まで眩しいコンビニは、この村では異彩を放つのさ。遠山町の夜は暗くて静かだからね」
 「あのコンビニは道端にぽつんとあるから、バスから見てても目だってたね」
 周りには何もない田舎道だった。そこに、赤い太陽をマークにした看板だけが、緑の山を背にして浮かび上がっている。
 「残念だが、あの店がこの村での現実なんだ。いろいろな意味でね、象徴的存在になっている。論理的にはそれを予想して、僕は開業に懐疑的になってはいたんだ」と栄太は菜美に笑いかけた。
 菜美は正直に言った。
 「話が『何とか的』ばっかりで意味が分からん。おじさんの話はいつも抽象的なんやね」
 栄太と典子は声を合わせて笑った。
 「お嬢さんも『抽象的』だと言いましたよ」
 栄太は笑いながらも、興味深い眼差しを菜美に向けた。
 「この村にスーパーやコンビニはなくても良い。しかし、それは理想に近いものがある。僕はこの村には昔ながらの」
 「那美さん。その話は栄太君の夢物語の一部なんよ。うちはもう聞き飽きた」
 典子は素っ気なく栄太の話を遮った。
 「それ、お年寄りに栄太君が聞いた昔話の影響やねん。栄太くんの頭、インプットされやすいからな。自分でコンビニ経営して儲けといてから、結局はそんなこと言うんや。もう話にならんわ」
 典子の手厳しい意見を栄太は素直に認めた。
 「そう、典ちゃんが言った通りだ。僕って、もう話にならんわ」
 典子は「あはは」と笑った。

 遠山町の夜にネオンはない。何もないこの村では、街灯と民家の明かりだけが夜の闇に穏やかな光をもたらす。遠山食堂も営業終了と同時にすべての灯りを落としている。そのあとは、暗い鼠色のなりをして夜の静寂に佇むのだった。
「栄太君。窓、いつも通りに頼むわ」
 栄太は道路に面した窓の前に立ち、窓枠やカーテンを外した。典子がホールの照明を落とす。
 真っ暗になったホールに戸惑い、菜美は思わず栄太に身を寄せた。そこに光がないと、見慣れた場所であっても緊張を覚える。栄太は菜美に尋ねた。
「お嬢さん。暗いところが怖いですか」
「怖い。でも、この雰囲気は楽しいと思てる」
 菜美は眩しい笑顔を栄太に向けた。その言葉は本当だった。菜美は今、少し怖いがとても楽しい気分でいる。
 菜美は高校の文化祭で舞台劇をした経験がある。行方不明の恋人を探して夜の森をさ迷う役柄だった。劇中のものだと分かっていても、舞台の上は手足が震えるぐらいに暗くてスリリングだった。
 あのときのように、菜美は暗いホールにいて冒険をしている気分になっている。
「理江さん。始めるよ」と典子。
 窓に近い一角だけに、昼間のように明るい色の光があった。背が高いスタンドライトを使って、広いホールのそこだけを照らしているのだ。そこに白い衣装をまとった無表情な理江さんが近づいていく。理江さんの優美な足取りと共に、柔らかそうな白い布地がさやさや揺れる。その微かな衣擦れの音を、菜美は息を詰めて聞くのだった。
 理江さんは窓の前で立ち止まった。あたりの空気は透明なのに、霧に包まれたように戸惑いながら、理江さんは胸に手を置いてため息をついた。
 「真夜中に遥か昔のひとに出会った思いだ」
 栄太の呟きに、典子が微笑んだ。
 「こんな時間に撮影なんかして、自分でも変やなと思うけどな。今夜は晴れたから」
 窓の近くには湿った土が敷き詰めてあった。その土のうえに理江さんはそろりと座る。編んで頭に巻いた髪がよく似合っていた。
 「そっから顔を上げて空を見てや」
 典子が注意する。
 「理江さん。もっと右な。窓枠に近寄りすぎたらあかん。動画に窓枠が入らんようにしてな」
 理江さんは典子に言われ、慌てて右に寄った。
 「それでええよ」と典子はにっこりする。
 理江さんは不思議そうに空を見たあと、土の上に寝そべり、そのまま眠るのだった。
「これで終わり。短いねん」
「これが序章なんだよね」と栄太が典子に尋ねる。
 典子は菜美に解説を始めた。
 「これの本編は現代の日本。白いセーターを着た三つ編みの文学少女は、ギリシャ神話を読みながら、こんな風に夜空を眺めるんよ。自分もまた空にあがって恋や冒険がしたいって」
「ロマンチックですね」
 菜美は心からそう感じている。
 典子は興奮気味に菜美に話すのだった。
「神話に出てくる神様や英雄を思いを馳せて、ひたすら星座を眺めている少女という設定。まあ、理江さんはもう少女の年齢やないけど、純粋そうな顔してるから行けると思うねん」
 「素敵だ。理江さんのイメージにぴったりだよ」
 典子の企画を栄太が褒めた。
 「ありがとね」と典子は頬を染めた。
 
 撮影が終わったあと、理江さんはもう一度お風呂に入った。土のうえに座ったり寝たりしたから、お風呂できれいに洗いたいと言うのだ。結い上げた髪もほどいて洗い、もとのストレートなスタイルに戻したいようだ。
 「撮影はいつも大変なんよ。理江さんもメイクやなんやで忙しいわ」と典子は笑う。
 「うまくいけば、この遠山町からスターが生まれるかもしれないね」
 栄太は真面目な顔で言う。
「理江さんの人気は『仲良しブログ』だけではなくなってきている。まだまだではあるが」
 しかし、典子は不安そうに呟いた。
「理江さんはどこまでいけるやろ」
 詳しいことは知らないが、菜美は思いきって意見を言ってみた。
「私は理江さんの『ナイグラ』もフォローしてます。ブログで理江さんの綺麗な写真見たひと、『ナイグラ』もフォローすると思いますけど」
 「ああ、写真のアプリの『ナイスググラフィック』やね。あれも理江さんは頑張ってるわ」
 典子はにっこりした。
 「初めは理江さんの生き甲斐になると思てね、ブログを書くように勧めたんよ。それが、気が付いたらこんな風になってたわ」
 栄太が穏やかに言う。
 「良いじゃないか。将来に絶望していた理江さんは、ブログを始めてから気力を取り戻したんだ。自分の存在を喜ぶひとがいてくれると、よく分かったのさ」
 典子が大きく頷く。
 「生き甲斐見つけたから、理江さんは元気になってんね」
 「典ちゃんもだよ。料理の上手さでこの店を繁盛させてからは、明るい笑顔が増えたよ」
 三人は窓から寒くて暗い大地を眺めた。
 「なあ、菜美さん」
 典子はしみじみと話す。
 「子どもの頃、この古びた店が自分の生き甲斐になるとは思てなかった。中学生になったとき、うちは山野のおばさんに救われたんよ。ここでおばさんと暮らし始めてからやね、やっと年齢相応に楽しい毎日になったわ」
 「典ちゃんは美少女だったうえに、勉強もよくできたんだ。ただ、家庭的には寂しいものがあったのさ。それを知った山野のおばさんがここに引き取って親代わりになった。大学まで行かせてくれたんだよ。典ちゃんは優秀に生まれてきたし、勉強が好きな子だからってね」
 典子がしかめっ面をした。
「栄太君。ひとの身の上話をさっきからべらべらと喋ってんやね。本人が隣にいてんのに」
「すみません」
 栄太は素直に謝った。
「ええよ。菜美さんはあれから何度もブログでうちの店を紹介してくれてる。今はもう遠山食堂のスタッフで、おばさんの身内のひとりやね」
「有難うございます。夢みたいです」
 遠山食堂の皆に受け入れられて菜美は嬉しかった。
「うちも夢見てる気分やわ」
 典子の声が低くなった。
 「大嫌いな理江さんの面倒見ることになったんは、本来はあり得ん話やからね。時々な、この暮らしは現実やないと思うんよ」
 菜美は返事に困ってしまった。
 「理江さんは小さいときから我が儘で自惚れも強うて、自分が正妻の子やからうちにも威張ってた。おばさんはうちらのお父さんの妹やねん。それで、町からしょっちゅう遊びにきてた。夏休みの宿題、うちにやらせて自分は遊んでた子や」
 「あ、はい」と菜美は下を向いた。
 そのような話をする典子の顔が見づらい。
 「理江さんのお母さんは大人しいひとやったけどな。理江さんはそんなんやったわ」
 「今の典ちゃんは理江さんを嫌いではない」
 栄太がとりなした。
 「理江さんもそんな自分を恥じている。だから、典ちゃんは理江さんを許したんだよ」
 「今は大遠山町の妹らよりも理江さんのほうが大事やねん。可愛いと思てる」
 まだ返事ができないでいる菜美に、典子はにっこりしてみせた。
 「ちょっと奥で横になってくるわ。理江さんがお風呂出たら、一緒に動画の編集もしたいし」
 典子は厨房の奥へ入って行った。
 典子の姿が見えなくなると、栄太が菜美に手を差し出した。
 「では、お嬢さん」
 「えっ。手なんか出してきて、急にどうしたん」
 「お嬢さん。今夜と明日の二日間は僕の正念場だ」
 「正念場って。なんの話か私には分からんわ」
 「お嬢さんがこの村にいる二日間に、僕の未来をお嬢さんに見せたい」
 栄太は自信たっぷりでいる。
 「これからの遠山市は発展して、この辺りにもマンションが建つだろう。僕はそれが嫌なんだ。この土地は、昔のままの未開の地にしておきたい」
 菜美は考えた。
 「けど、いつまでも未開発では村のひとは困るんやないかな。病院も遠山市駅まで行かなあかんみたいやし。遊歩道はあるんやから、すでに観光地になっていそう」
 栄太は菜美を褒めた。
 「そうだよ。遊歩道は緑溢れる散歩コースだ。宿泊施設などはないが、それで良かったと僕は思っている。観光客のための遊歩道ではないのだ」
 もう一度、栄太は菜美に手を差し出した。
 「僕は村のためになりたい。村の人々を癒す土地をお嬢さんに見せたいと考えています。その土地の空気を嗅いで、緑の明るさを見て、僕の夢を知って欲しいんだ。車で行きます」
 菜美は不安になった。
 「こんな夜中に出かけんの、怖いやんか」
 栄太は素直に諦めた。
 「では、止めます」
 菜美は呆れて叫んだ。
 「簡単に止めんやな」
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