第38話 トマスの指先・4・

文字数 3,300文字

 刑場に近づくにつれ、冷たい血の臭いが鼻を突いた。
 朝まだ暗いうちから甘糟一族十五名の斬首にて始まり、尚次郎が西堀を迎えに行っている間にも、第二組として、総家老志田修理の家来・ヨハネ板斎主計の一族七人が処刑されていた。
 甘糟一家と同じく板斎の二人の孫、五歳のパウロと一歳の孫娘マルタも、恐らく何が起こったかわからないうちに、首をはねられた。
 そして西堀たちが刑場に着く直前には、家老・広井出雲の家来、シモン高橋清左衛門他一人が斬首されたばかりであった。

 高橋は仕えていた広井から再三棄教を迫られ、禄を取り上げられ左遷もされたが、けして信仰を捨てなかった。
 彼の妻はキリスト教を捨て生きることを選んだが、十三歳の娘テクラは父に倣って殉教する意思を隠さなかった。
 だが処刑の朝、妻の実家や他の家族が、テクラを行かせまいと、屋敷の中に軟禁した。
 父もまだ幼さが残る娘を連れて行くに偲びず、おのれ一人で検使に付き添われて、死出の旅に歩き出したのである。
 彼の前には、ヨハネ板斎の一族七人の処刑が行われていたので、刑場に着いたシモン清左衛門はしばらく待った。
 その間板斎一族の息子や嫁たち、幼児たちが次々と切られ、白い雪を溶かして広がる赤い色が刑場を血の海にした。
 寒の最中凍てつく寒さであったが、切られた首と胴体からほとばしり出る血に、刑場は受刑者や刑吏たちの足の踏み場もないほどに濡れていた。
 いざ高橋清左衛門の番となり、新雪を撒いて綺麗に均された雪の土壇場に筵が敷かれ、名前が呼ばれ進み出ると、見物人の間から怒号と叫び声、そして一角で揉み合う動きが起こった。
 刑吏が制圧に向かい一喝すると、人びとの間から小柄な少女が走り出て、垣根の隙間から刑場に飛び込んだ。
 首からいつも祈りに使うロザリオが掛けられ、少女は藁の雪靴を脱ぎ捨て、裸足になった。
 自分は高橋清左衛門の娘テクラで切支丹であること、父を追って走ってきたこと、どうしても父と共に殉教したいと、娘は奉行にはっきりと申し出た。
 奉行も担当の検使も刑吏も、みな娘を翻意させようと説得した。
 お前が父を慕い敬う気持ちはよく分かった。だがお前はまだ幼い。一時の激情で命を捨てるなど母やご先祖が嘆き悲しむ。
 娘テクラは頑として聞き入れず、自ら父の隣に坐り、着物の襟元を広げて処刑の刃を待った。
 父も仕方のない娘だというように優しく微笑み、その微笑んだ顔のまま首を落とされた。
 娘も聖母と神に祈りつつ、口元に無上の喜びを讃えつつ斬首された。

 奉行は朝から何度、その風景を見せられたことだろう。
 彼ら役人たちは、刃を振り下ろすその瞬間まで翻意を促し、一言「待ってください」と言われるのを待った。
 だが信者たちは誰一人として躊躇することなく、むしろ自ら処刑役が切りやすいように首を伸ばし、笑顔で切られていった。
 奉行たちの頭の中には、次第にふつふつと怒りがわいてきた。
 年かさの大人が信仰の故に死んでいく、というのは分かる。
 彼らは、自分達が殿のために命を捨てるがごとく、殿の上に天井の大殿を設け「神」として崇め、そのために命を捨てるのだ。
 だがなぜ、自分達で考えることも判断することも、まして「否」という事も出来ない幼子たちをも連れていくのか。
 まして自分たちは最期の瞬間まで、せめて幼子だけでも助けようと散々説得を試みて、拒否され続けているのだ。
 その行動は、役人たちの理解を越えていた。
 やはり恐ろしい、切支丹の教えは人の道を蔑ろにする邪教なのだ。
 先日まで自分達と一緒に城に上り、働き、談笑していた共に苦労してきた仲間が、自分たちのわからぬ考えを振りかざし、善き徳を積むはずの切支丹なのに、幼子をも嬉々として死に伴う。
 自分達と同じ顔かたち、そして小さなころから見知った仲間でありながら、別の人間になった者たちがそこにいた。
 奉行の眼に、処刑の順番を待つ最後の一人、パウロ西堀式部政偵の姿が映った。
 西堀の妻も確か切支丹のはずだ。だがここには来ていない。
 嫁の実家総出の嘆願で殿の心が動き、妻ふみだけは助けるようにと命令が出たことを、奉行は知っていた。
 先程飛び入りで刑に処された十三歳のテクラのように、追いかけてこないうちに、さっさと処刑そのものを終えてしまいたい。

 西堀は小姓の持つ鋏箱を尚次郎に託した。
 そして奉行の前に一礼して言った。

 「この刑場の近くに重い癩病人が住まう家があります。その者に、この箱の中身を与えてほしい。
 箱の中身は我が家に伝わる金子なので、彼らが金に換えれば、死ぬまで飢えることなく生きられましょう。
 どうかこの愚かな家臣の願いを聞き入れて下さい」

 奉行は承諾し、処刑がすべて滞りなく終わったのちに、その者に間違いなく与えようと誓った。
 西堀は安心して奉行に感謝し、晒し台に突き立てられている、先に殺された切支丹たちの首にそれぞれ祈った。
 前夜まで共に過ごした甘糟右衛門とその家族、共に祈りの集いを催し、貧しい人たちを訪れて、体を洗ったり食事の世話をして回った右衛門の二人の息子達、訪れるたびににこやかに迎えた嫁達、一緒に遊んだ幼児達。
 ナターレを祝った仲間達、娘達……。
 いくら拭ったとはいえ血がこびりつき、髪を乱して目や口が腫れあがってはいたが、間違いなく天の国への旅を共にする同行者達だった。
 西堀は静かに土壇場に座り、刀を首に受けるべく祈った。

 その時不測の事態が起きた。
 朝から何人もの首を斬り続けてきた、斬首役の刑吏の具合が悪くなり、誰一人としてまともに立てず、刀を振るえなくなってしまったのだ。
 今でいう血栓か低体温症であろうか。
 これは奉行としても、職務に泥を塗る恥ずべき事態であった。

「私が代わりに」

 新野尚次郎が、思いつめた様子で奉行の前に申し出た。

「お役目を務めさせていただきたくお願い申し上げます」

 奉行は尚次郎を、西堀が親しい友達とは知らなかったが、奉行所内での地位は低いが剣の腕は確かな若者だとは、小耳に挟んでいた。

「よかろう。お前が介錯してやれ」

 尚次郎は急いで袖をたすき掛けにし、打刀を抜いて、筵の上に静かに座る西堀式部の左わきに立った。
 幼い頃から追い続けていた年上の友人は小袖を脱ぎ、白い絹の襦袢姿で、その隆々とした肩と首をむき出しにしていた。

「尚次郎、頼む」

 西堀の静かな声を合図に、尚次郎は刀を振り下ろした。
 刃は見事に首関節の骨と骨の間に入り、ゴシッという固い感触を手に残して切断された。
 見慣れた穏やかな顔のまま、打ち落とした西堀の首は転がり、尚次郎に見てほしいように上を向いて止まった。
 あとは首を失った逞しい胴体が前のめりに倒れ、雪の上にどくどくと血があふれ出すばかり。
 尚次郎は懐紙で刀の血を拭きとると、静かに鞘に収めた。
 赤い色が大きく広がり、尚次郎の足を濡らした。

「ご苦労だった」

 奉行が労い、傍らに控える下働きが晒しの布を差し出した。
 顔や首に着いた返り血を拭けと言うのだ。
 腕の立つ当番同心の処刑役ならば、ほとんど返り血も浴びず、鮮やかに首を落としたのだろうが、尚次郎はそこまでの余裕はなかった。
 布を受け取って顔を拭くと、極寒にもかかわらず吹きだした脂汗と共に、西堀の首を落とした時の血しぶきが点々としみこんでいた。
 途端に子供のころを思い出した。
 今はマグダレナ西堀となっているふみが、喧嘩をして怪我をした自分に、顔を拭くようにと布を手渡してくれたことがある。
 尚次郎の脳裏に一瞬で情景が浮かんだ。
 ふみは花のような艶やかな姿で、仕方ないなあとばかりに自分に活を入れてくれた。
 その時も西堀が庇ってくれた。
 そして、亡き兄の後ろを泣いてついてくるばかりの子供だと思っていたが、今日はお前を見直したと言ってくれた。
 あの日はもう二度とこない。
 尚次郎は布を握りしめて立ち尽くした。
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