第25話 光あるうちに光の道を・3

文字数 3,016文字

 今日であれば信仰組織の中心は「教会」である。
 司祭が常駐もしくは巡回し、ミサや葬儀や洗礼、堅信、生まれてきた子供への祝別、死の床にある者への終油等の秘跡、典礼行為を行う。
 だが米沢には神父は常駐していなかった。
 会津若松や仙台他の東北にはイエズス会やフランシスコ会等修道会の神父がいたが、山に囲まれた米沢には滅多に来なかった。
 そして教会という建物もなかった。
 ほとんど訪れない神父がやってきた際宿泊し、ミサや分かち合いという名の会食が持たれるのは指導的立場の甘糟右衛門の屋敷であった。
 信者たちは右衛門の屋敷に集まり、座敷にしつらえた祭壇を花で飾り、神父の祝福を受けキリストの霊的な「体」そのものであるホスティアという名の薄焼きパンを口に入れてもらい、赤いキリストの血たる葡萄酒を口に含ませてもらう。米沢の山々からは葡萄酒の原料となる山ブドウは豊富にとれた。
 そして聖歌を歌い、ラテン語と日本語交じりの文言で祈る。
 それは神父不在の時期も同様であった。
 右衛門の屋敷に週に一度集まり、祭壇を飾り付け、聖書の読み聞かせの時間を持ち、祈る。信徒は当時でも、信仰生活の中ではグレゴリオ暦を使っていた。
 そしてロザリオの信心を行い、分かち合いという名の会食を行う。そこには身分の上下は希薄だった。
 司祭不在時に人びとを祝福したり、洗礼を授けたり、死にゆくものへの終油の儀式を行うのは主に右衛門である。
 ミサでのパンと葡萄酒の聖変化は神父以外には行えないが、他の典礼の所作は神父から権能の一部を委託され、米沢の信徒のトップである右衛門が執り行ったのである。
 今日のカトリックで言われている信徒使徒職が、この米沢の地では何の問題もなく続けられていた。
 やっと授かった子を流産し嘆き悲しむふみをキリスト教の慰めに導き、洗礼を授けてマグダレナという洗礼名を与えたのも右衛門であった。
 パウロ西堀式部とその妻マグダレナふみ。彼ら含め藩内の有力な侍たちが次々と右衛門の手によってキリスト教信者として洗礼を受けた。
 その中には右衛門たち53人が処刑される寸前、キリスト教に転向した4人の僧籍の者もいたという。

 信徒達は甘糟右衛門を「総親」とする組の組織に分かれて活動していた。
 まず10人未満の小さな組織を地域地域に置く。
 米沢においては糠山、新藤ケ台、花沢の各地域に小組が置かれた事がわかっている。そしてその小組に責任者が最低一人ずつ付き、その上に「大組」を作り親を置く。
 小組の責任者には甘糟右衛門の二人の息子ミカエル甘糟太右衛門、ヴィンセンテ黒金市兵衛門、そして高位の米沢藩士パウロ西堀式部とマンショ吉野半右衛門がついた。
 その上に立ち司祭のいない間信徒たちを指導し、励まし、貧しい人や病気の人、寡婦や親のない子供達にキリスト教の慈善を実践し、人びとに示すのが甘糟右衛門であった。
 親のない子を慈しみ、貧しい病気の人々に手を差し伸べ、涙を流しながら共に寄り添い看病し、面倒を見る。
 そうした生活の中で新たな自分の生きる役目を得たマグダレナ西堀ふみはみるみる回復し、心穏やかに過ごすことができるようになった。
 江戸から大殉教を逃れて落ちのびてきた小さな「おはな」とその祖父母を屋敷に迎え、家中の者として手厚く保護していたのはこうした時期であった。


 おはなはすぐに女主人のふみを探し、母屋に連れて来た。

「おふみ殿、突然の訪問申しわけない」
「いいえ。尚次郎殿が突然いらっしゃるのはいつものことです。お元気そうで何より」
「西堀様共々、日々満ち足りていらっしゃる由、私のようなものから見たら羨ましい限りです」
「これでもだいぶ元気になりましたの」
「ふみは、色々あったからな。何か冷たいものでも持ってこさせて、あちらで休んでいなさい」

 夫の式部が労わるように言う。
 ふみが初めての子を流産し体を酷く害して床に臥せっていたのは、自分が江戸に居る間だと尚次郎は聴いた。
 今はふっくらした色白な頬に撫子の花のような薄紅色がさし、歩く姿やくるくる動く瞳にも活力が戻っているが、一時期は本当に自ら命を絶たんばかりの有り様だったと、人づてに聞いた尚次郎は心痛めるばかりだった。
 切支丹として夫を支え皆と協力して祈りと奉仕に打ち込む暮らしが、間違いなくふみの回復を助けていた。

「おはな、お前わしらの子になったらどうだ。爺様も婆様もその方が安心なのではないか?」

 子供好きな西堀が。小さいくせにしっかりしたはなを呼び寄せ、微笑みながら話しかけた。

「はなはもう皆の子です。奥様にも旦那様にも、尚次郎さまにも育ててもらってます」
「お前は良い子だな」

 尚次郎も庭に面した縁側に腰を下ろしながら、小さなはなに声をかけた。
 子供が成長するのはあっという間だ。
 江戸の大勢の神父やはなの親を含めた武士たちが火炙りになった大殉教から平穏な米沢の地へ。
 君主について戻ってきた尚次郎は、自分も含めてようやく落ち着いた日々に身を任せることができる。
 そう安堵していた。つい先日までは。
 一旦奥に引っ込んだ若奥様のふみが下女を伴って戻ってきた。

「季節の終わりのとろとろになったものですが、貴方は小さなころから柿がお好きだったでしょう、尚次郎殿」
「ええ。でもむしろ貴女の方がお好きでしたね、おふみ殿」
「兄のいない時に屋敷に柿を持ってきてくれた時がありましたね。あれはまだほんの子供だった時でした」
「いえ、そう子供でもないですよ。元服間近、私が貴女に初めての求婚をした時です」

 そんなでしたっけ、とふみはふんわりと笑った。

「私がまだ神様の籍に加えられず、御名をもらっていなかった自分ですね」

 そしてふみは静かに下がって行った。
 尚次郎は厳しい顔つきで西堀に向き直った。

「御内密にお耳に入れたいことがあるのです。他の者に聴かれない所での方が……」

 わかった。奥に行こう。
 西堀もまた、話の内容を察知したように毅然とした顔で立ち上がった。

 米沢でふみに求婚を断られ、一番尊敬する『到底かなわない』と思う相手、亡き兄の親友西堀式部の元に嫁がれた新野尚次郎は、地元米沢でも江戸でも大いに荒れすさんだ。
 だが常に武芸の鍛錬と、自身の勉強と城中の仕事だけは人一倍熱心につとめた。
 米沢で反発を覚えた切支丹たちに対しても、江戸で大量に処刑されていく無垢な信者や宣教師たちを見て、考えが徐々に変わって行った。
 やがて剣の腕と実直さと向上心が買われ、藩内奉行所の同心に抜擢された。
 他藩と違い、米沢藩では重要な役も足軽が担当することがある。同心も身分は足軽ながら重要な役職だ。
 身分の違いから、城内では既に尚次郎のずっと上の役職である親友の松川信士郎も、大いに喜び、妹や義理の兄、西堀式部に報告してあった。
 あとは良い嫁をもらい新野の家をますます栄えさせるだけですね、と周囲に言われるたびに、尚次郎は困ったようにほほ笑んだ。
 未だにふみは尚次郎の想い人だったからである。
 夫・西堀式部との仲睦まじい姿を見て安心しては、自分は一生結婚はすまい、ふみ以上の女性は自分には考えられない、ふみと夫の幸せな生活を守り見届けることに生涯を賭けようと誓っていたのである。
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