第31話 地の塩・3

文字数 4,668文字

 寛永五年
 1628年12月24日夕刻。
 米沢城下のキリシタンたちは、それぞれの組の親の家に集まった。
 恐らく彼らの生涯最後になるであろう、ナターレの祝いのためである。
 おりからの吹雪はやみ、屋根に届くほどに降り積もった雪が重く軒に垂れ、つららが鋭い槍のように何本も垂れ下がる。
 それらが家の中からの明かりに映えて、冷たいながらも美しい冬の夕べだった。
 さく、さく、と雪を踏みしめ尚次郎は歩いていた。背後には珍しく召使が付き従い、藁で包んだ細長いものを数本背負っていた。
 雪が止んでいるとはいえ千切れるような寒さだ。
 なのに、西堀の屋敷に向かう道を歩くにつれ、少しずつ人が多くなっている。
 夜の闇にともる蝋燭の明かりが、自分と同じ方向と進んでいくのだ。
 その数は次第に増え、西堀の屋敷に着くと、門の内はもう大勢の人でにぎわっていた。
 みな

「おめでとうございます」
「まこと目出度い事でございます」
「雪が上がったというのも天の思し召しでございます」

と言葉を交わしている。
 町民も農民も上がり、宴の支度を整えているようだ。
 台所から賑やかな女中たちの声に交じり、おはなの笑い声が聞こえてくる。

「尚次郎さま」

 馴染みの下足番の召使が、尚次郎と下男を見つけて声をかけた。

「やあ弥兵衛。西堀様か奥方様に渡したいものがあって来たんだが、お忙しい最中かな」
「いえいえどうぞお寄りくださいませ」

 下足番は、もう一人の召使に尚次郎の来訪を取り次ぐように頼むと、雪にまみれた尚次郎と従者の足を拭く乾いた布をくれた。

「松川のお家から信士郎様もおいでになっております」
「信士郎が。珍しい事もあるものだ」

 自分とて手ひどく拒否された直後なのに、こうして手土産持参で女々しく訪れているではないか。
 尚次郎は苦笑した。

「おお尚次郎。よく来てくれた。せわしなくしていてすまんの」

 首からロザリオを下げ、立派な晴れ着を着た西堀式部が出迎えに現れた。

「いいから上がれ上がれ」

 西堀の後ろに松川信士郎も控えている。心なしか顔が暗い。
 足をきちんと拭き屋敷の中に入ると、尚次郎は侍者の担いできた荷物を出した。

「よく肥えた鯉が手に入りましたので何匹か持って参りました。伴天連たちはナタレの儀式に大きな魚を食べると聞きましたもので」

 冬の鯉は脂がのり、味もよく栄養も豊富で、ここ米沢では貴重なものとされてきた。

「よく知っているな尚次郎。お前は切支丹以上に知識を持っているではないか」
「いえ、江戸に参りました時に、ジョアン原主水様にお聞きしたことがございます。内緒ですが」
「そうかお主、原様にお会いできたのか。それは羨ましい」
「はい。甘糟殿にお連れいただいて。ただその後命を落とされましたが……」
「おはなに聴いておる。お前は無事でよかったな」

 先に立って歩く西堀は、振り返って爽やかな笑顔を向けた。

「今宵はぜず様の御降臨祭だ。皆集まっているが、見て行ってくれ」

 奥の座敷に祭壇が設えてあるのだ、と西堀は嬉しそうに笑った。

「もう二度と、この地で御降臨を祝う事はないかもしれんからな」

 代々上杉家の家来を勤める式部の屋敷はとても広い。
 三人はその廊下を延々と歩いた。
 すると、すれ違う信者の女たちは皆一様に白い布切れを頭にかぶっていた。

「あれは?」
「あれは西洋の頭巾だ。清らかさを表す布を、切支丹の女は礼拝の時被るのだ」

 信士郎が浮かぬ顔で並んで歩いていた。
 先程まで西堀式部の影に隠れていたのはなぜなのか。

「信士郎、お前はなぜ来たのだ?」
「親に言われてな。親父殿は先日ふみに、式部殿と離縁して家に帰って来いと言いに来たのだが、きっぱりと拒まれた」
「それは俺も見た。俺がふみ殿に説得に来る前にいらしていた」

 二人は次第に歩みを遅くし、前に立って歩く西堀と距離をとった。

「お前もか。……それでもおふくろ殿は諦めきれず泣きついてな。親父殿に言われて、俺がまたこうして来た」
「俺の説得はこっぴどく断られた。兄のお前ならもしや」
「いや、俺もさっき笑って拒否された。あれはもう死にたいのだ。死んでも構わないと思っているのだ」
「信士郎、ちょっといいか?」

 尚次郎は、奥の座敷まであと一歩というところで、親友をすっと陰に引き入れた。

「今日志田様が、殿に直々にお申し入れに行ったそうだ。殿の御心中は今年中にも、いや今日明日中にも、処刑の命令書に署名するおつもりだったのだ」
「お前それは?」
「奉行所の上役たちが話していた。それで志田様は、藩内にはキリシタンがざっと数えただけでも三千人は下らないと、それを全て処刑したら藩政は立ち行かなくなると説得なさったんだ」
「確かに」
「それに……切支丹の書で定められた十の戒めを説き、キリシタンたちは皆これを規範としているので、藩に害を与えるものではないと」
「それで殿は何と仰せられたのだ?」

 信士郎の問いに、いつの間にか戻ってきていた式部が答えた。

「殿は、処刑の命令書に署名なさるのをしばし待つと、志田様に仰せになった。我らは少なくとも、正月明けまでは命拾いしたことになったな」
「式部殿!」
「西堀殿、そのように気持よさげに笑っている場合ではありません。殿にお時間を賜ったというのなら、それは、妹共々棄教するようよく考えよという事なのですよ」

 信史郎が声を荒げた。

「それに、ここに集まっている娘たちや年端もゆかぬ子供達、赤子たち……皆死なせたくなどないのです」
「まあ落ち着け。ここで論議してもまた堂々巡りだ。それよりナターレの祈りを始めるぞ」

 式部が二人を連れてきた奥の座敷には、もうすでに藩内の信徒組織「聖母の組」の民がぎっしりと座っていた。
 座敷を埋め尽くし、廊下や、そこにも入り切れず雪の積もった庭まで立って、礼拝にあずかろうという人たちの数に、尚次郎と信士郎は圧倒された。
 普通なら掛け軸をかけるべき壁面には、慈しみ深い微笑みを浮かべた西洋の女人の画。聖母マリアというらしいイエズスの母親の画だ。
 なんという優しく悲しげな眼をした母親だろう。
 式部の説明を聞きながら尚次郎はこちらまで悲しみが移るような心持だった。
 御画の前には小さな木でできた祭壇が設えられ、十字架、そしてこの日のために信者たちが丹精込めて作ったロザリオや、聖母マリアとイエズスの木彫りの刻印、浮彫の彫像、そしてありったけの蝋燭が、そこかしこにぎっしりと並べられている。

「この世は闇に閉ざされているが、神は我々にひとり子を与えて下さった。その御子こそが世の光である」

 座敷の外から、晴れ着を着た式部が厳かに宣言し、蝋燭を手にした。
 背後からふみが近づき、夫の蝋燭にそっと火をともす。

「イエズスは世の光。闇が覆う事の出来ない光」

 響き渡る言葉と共に、式部は白い西洋風の衣を羽織った数人の少年たちの手にした蝋燭に、次々と明かりをともしていった。
 少年たちのあどけない顔がぼうっと照らされ、至福の表情を浮かべているのが見える。
 式部の先唱で信徒たちが聖歌を歌い、その中を少年たちは真っすぐ祭壇に歩き、沢山の蝋燭に次々と火をともしていった。
 暗い夜、白く浮かび上がる雪あかりに対抗するように、座敷は明々と燃える蝋燭の光で満たされた。
 信士郎と尚次郎は驚いて、この異教の祭りを眺めるばかりだった。
 歌も尚次郎たちが知っている唄とはまるで違う。
 しかも彼らにわかる言葉と、まるっきりわからない異国の言葉が混じっている。
 だが歌う信者たちの表情はうっとりとして、自分たちに命の危機がすぐそこまで迫っていることなどどこ吹く風といった風情だ。
 夫が祭壇の前に歩き出て人々に

「喜べ、皆の祝福された約束の地、パライソはもうすぐ我々を迎え入れてくれる」

と高らかに宣言する間、妻のふみは涙を流さんばかりに陶酔した表情を浮かべている。
 祭壇のイエズスの母マリアの画の悲しみとは、なんという違いだろう。
 子を抱く母親達も皆ふみのような、一種の術にかけられたような、とろけんばかりの微笑みを浮かべている。

「嘘だ。これはどう見ても、怪しい術にかけられている者のようではないか」

 そう尚次郎の耳元で呟く信士郎は、沈鬱な顔で式部とその妻、妹のふみの顔を見詰めている。

「ああ。もし本当に母親であるならば、共に処刑されるという自分の子の運命を知ったら、あの絵のイエズスの母のように悲しみの顔になるだろう。あのマリアという母はイエズスの死を喜んだことなど一度もなかったはずだ」

 尚次郎もぎりっと唇をかんだ。
 だが二人の煩悶をよそに、歌い、式部が説教し、皆で祈るナターレの礼拝はいよいよ荘厳に、熱狂の純度を増していくのだった。
 座敷の続きの間には信徒が木を削って作ったのであろうか、素朴な木像が幾つか置かれている。
 いつの間にかふみが来て、その木の地蔵のような仏たちを御母マリア、イエズス、イエズスの人間の父ヨゼフだと教えてくれた。

「プレゼピオと言うのです。会津若松の同宿の方とイルマンが教えてくれました。お生まれになったぜず様たち、聖家族を表しているのです。年明けの一月六日までこのままにしておくのですよ」

 嬉しそうなふみはこう続けた。

「一月六日は御公現というお祝い日なのです。その日が生きて迎えられるかはわからないですが……」

 夫・西堀の祈りの先唱を妨げぬよう、ふみは極く小声で説明する。
 兄の信士郎は後ろからその肩を押さえた。
 びっくりする妹の眼を鋭く見つめ、信士郎は声を殺して言った。

「いいかふみ。そんなにのんびりした話ではない。お前だけでも逃げて来い。あとは俺たちが何とかする」
「またそのお話ですか、兄様」
「もう時間がないんだ。城内でもご家老の志田様たち、切支丹擁護派が旗色悪くなっている。幕府からの使者も来ている。藩内の切支丹処刑の命令が下るのも時間の問題だ」
「だから私達には死は尊いお恵みだと」
「いいか。お前の主人の西堀様は、余りにも顔と名が広まっているから無理だが、親父殿と俺と尚次郎でお前だけは守れる」
「ふみ殿、貴女とおはなだけは守りきります」

 ふみはするりと兄の手から離れた。

「何度でも言います。私達は覚悟はできています。兄様たちのお気持ちはもったいないのですが、私たち二人とおはなだけでなく、皆一緒に神様の元へ行きますので安心してください」
「お前たち切支丹はいつもそうやって物事の真実をはぐらかす」

 いつも感情をあまり表に出さない信士郎が、怒りに震える声で妹に語り掛けていた。

「今やっと国同士の戦いが戦いが静まって、無駄に民が死なないで済むようになったのだ。戦でもないのにお前たちの神は女子供、赤ん坊まで命を捨てさせ、それを美徳とする。そんな教えは人間の都合のいい解釈だ」

 俺たちは帰る。邪魔をしたな。
 信士郎と尚次郎はずんずんと廊下を歩いて行った。
 もっとゆっくりしていくと思ったのか、休んでいた尚次郎の下男があわてて腰を上げた。
 また音もなく雪が降りはじめ、俯いて雪粒の舞い散る中に踏み出した尚次郎と信士郎の背後で、ナターレの祈りの声は雪崩の前兆のように響き続けた。
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