第9話 荒野にて叫ぶ者在り・4

文字数 2,939文字

 新野尚次郎、松川信士郎、ふみ兄妹らの年上の友人・西堀式部政偵が、どのようにキリスト教に惹かれていったのか、記録にはない。
 ただ城内でも側用人として城主の近くに仕える右衛門の、切支丹としての堂々とした信仰生活は評判になっていたから、彼からの手引きであったことは間違いないだろう。
 歳は若いが高位の侍である西堀家の出の政偵である。
 甘糟右衛門のように城主の江戸詰めの際同行し、既に禁教になっていた江戸の切支丹に触れたのかもしれない。
 それは幕府の禁を犯すことであった。
 だがそもそも上杉家の米沢への転封の一つの原因が、この徳川家への反骨心である。
 関ケ原の合戦の年の春、上洛を促す徳川家康に対して景勝および直江兼続が痛烈な批判の書状を送るという、家康にとっては噴飯ものの行為を示したのも、この反骨心のゆえであろう。
 周囲の東北諸藩では切支丹の弾圧や処刑が相次ぎ、険しい山道を越えて米沢の地に落ちのびてきた者たちを、甘糟はよく庇い、面倒を見た。
 城主の景勝はキリスト教の理解者でもなく信徒でもなかったが、彼らの信仰生活を妨げようとはしなかった。
 しかも前述した通り、徳川家からの再三の、藩内の切支丹改めの催促にも

「当領内には一人の切支丹も居ない」

と返事を送っている。
 会津若松や酒田、鶴岡からの潜伏外国人宣教師の決死の移動宣教も、米沢の信徒達や命からがら逃げ込んできた 他国の信徒たちにはこの上ない喜びだった。
 転封されてきた際の元々の領民はけして多くはなかったが、山に囲まれた米沢盆地には3000人と言われる信徒が、仏教徒や寺、神社と平和に共存していた。
 過剰なキリスト教への忠誠心から、他教の建物や僧侶、神職を迫害する切支丹大名も存在した中、切支丹たちにとってこの平和な共存は一つの理想郷であった。
 彼らは朝の仕事の前に祈り、昼に夕に寝る前にと主に感謝し、平和な日々と神の加護を祈った。
 他国から流れた来た信徒たちは、いかに友好的とはいえ元々の住民のコミュニティーにいきなり入ることは困難である。
 厳しい東北の地において集団に入ることができないという事は致命的である。
 そこで陣頭に立って活躍したのが甘糟右衛門であった。
 甘糟家は父の自害を経て石高が減らされ、けして潤沢な経済情勢ではなかったが、右衛門は貧しいものに食べ物を運び、病を得たものを介抱し、武家への布教だけでなく郊外にひっそりと住む庶民の切支丹たちに惜しげなく私財を費やした。
 甘糟殿が切支丹の洗礼とやらを受けたらしい、貧しい農民や、ろくな農地を持たない落ちのびてきた民にも私財を分け与えているらしい、食料を恵んでいるらしいという事は、狭い米沢の城下にすぐ知れ渡った。
 西堀の屋敷と甘糟右衛門の屋敷とは掘盾川を挟んで目と鼻の先にあったので、食べものを下男たちに持たせ、郊外の糠野目や南原に出かける姿をたびたび見ていた。
 若い西堀はいつの間にか自分も甘糟に同行するようになっていった。
 西堀家も身分の高い古参の侍であり、父祖の代から面倒を見た領民たちが釣った魚や田んぼの罠にかかったスズメや鳥を持ってくることもあったが、西堀は極力甘糟の家へ下男に届けさせた。
 いつの間にか

「西堀殿は切支丹になってしまわれた」

という噂が立ったが、式部はそれを否定しようとも思わなかった。

 ある秋の日のこと、ススキの穂が白い綿毛を飛ばす頃、最上川の河原に釣竿を垂らした西堀式部政偵の姿があった。
 城内に役職を得ているとは言え、毎日出仕する必要もない身である。
 雪が降り出し川が凍ってしまう前にと魚を捕りに来ていたのだ。
 と、山用の足ごしらえをした若い娘が、下男や下女を伴って通りかかった。
 きびきびとした身のこなしと、笠に半分隠れているが丸い顔は、近くに住む松川家の娘、ふみと見て取れた。
 美しいが気が強く、風変わりな小娘として評判になっているふみだが、今回は下男と下女に重そうな籠を背負わせている。

「ずいぶん勇ましい格好だな、松川の妹御」

 道場や町中で、彼女の兄の信士郎はよく見かける。
 しかしその妹も、武家の娘とは思えぬほど野原を駆け巡って遊んでいる姿は、兄に劣らずよく見かけていた。

「どこからの帰りですか。ずいぶん重そうだが」

 ふみは、河原からわずかな供を連れて声をかけてきた侍に一瞬身構えたが、それが西堀式部政偵だと知るとにっこりと笑った。

「山へ栗を拾いに行ったのです。ちょうど時期だと山の者が教えてくれたので」
「ほう、それでそんなに」
「はい。いがで手を刺してだいぶ難儀しましたが、たくさんの山栗が取れました」
「女の其方がわざわざ行くこともないのに。下男たちに命じて屋敷で待っていればいいではありませんか」
「いえ、こういうのは自分でとるからこそ楽しいのです。大人しく家で待っているなんて私の性にはあいません」
「なるほど。噂にたがわぬ御転婆のようだ」

 式部はにやりと、この美しい、物怖じしない風変わりな娘を眺めた。
 ふみは白い頬を染め、下男たちにもう行こうと促した。

「お待ちなさい。松川の妹御にお願いがあるのです」
「何でしょうか。私も急ぐのですが」

 それまで鼻歌を歌いながらのんびりと山を下りて来たのに、ふみは急にせかせかとした素振りで顔をしかめた。

「その栗を少し私に売ってはくれませんか。勿論松川殿の家でお使いになる以外の余りの分で構わないのだが」

 ふみはあっけにとられて、怖れも忘れて西堀を見つめた。

「売るだなんてそんな。でもどうして。召し上がるのであれば西堀様の地所でもたくさんとれましょうに」
「我が家で食すのではない。農地がなく貧しい切支丹の者たちに持って行ってやりたいのだ」
「切支丹に?」
「そう。殿にお仕えする甘糟殿が、今さっき糠の目の切支丹集落の方に施しにお出かけなのを見た。今から急げば間に合うかもしれない」
「そういうわけならば、少しと言わず全部お持ちください。母上には手の届く分はもう猿や熊が取ってしまっていたと申しますから」

 ふみは愛くるしい笑顔で西堀を見かえした。

「かたじけない。では」
 西堀は自分が連れていた供周りに、ふみの下男と下女の背負い籠を負わせた。
「私も一緒に参ります」

 ふみが意外なことを口にした。

「でもあなたのような若い娘が……母上たちがお待ちなのでしょう」
「採ったものだけ置いて行け、はないでしょう。私もその者たちを見たいのです」
「しかし」
「兄から西堀様はとても雄々しく、見識の広い方だと聞きました。私にも狭い家の中と違う他所の世を見せて下さい」
「面白い子だと聞いてはいたが、どうやら貴女は、私の考えの外を行く女人のようだ」

 西堀は明るく笑って、では行きましょうと先に立って歩き出した。

「でも遅くなるようだったらすぐに帰しますから、それには従いなさい」
「帰らなくては、と私が納得したらお言葉に従います」

 わざと大股で早く歩く西堀式部政偵の後を、山用の足ごしらえのままのふみと下男・下女たちは急ぎ足でついていった。
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