第17話 罪なき者のみ石もて打て・1

文字数 2,721文字

 新野尚次郎は、湯屋の女の死を胸に抱えたまま江戸へ上ることとなった。
 下級武士の足軽としては異例の抜擢であるが、江戸と米沢を行き来し殿の近くに仕える甘糟右衛門の推挙もあり、江戸の上杉家中屋敷詰となったのだ。
 切支丹仲間内で信頼のあつい西堀式部政偵の馴染みであるこの若者を、甘糟は以前から見知っていた。
 少女のように線の細いその容貌に似合わず、町で下級の遊女を泣かせたり(死に追いやったとの噂さえあった)、狼藉を働いた密猟者を切り捨てたりと、彼について回る血生臭い話も知っていた。
 だが城中でちらりと見かける新野尚次郎は生気のない青白い顔をした、手のひらに大きな傷跡のある少年で、日々の仕事を過不足なく淡々とこなしてはいるが影が薄い。
 いうなれば
「彼でなければならないということはない、誰でも替えが効く、日々を無為に過ごしている勤め人」
そのものだった。
 そんな尚次郎を甘糟は江戸に上る際の供回りに抜擢した。
 雪の江戸に尚次郎達一行が到着したのは年の瀬も押し迫ったころだった。

 上杉家の江戸屋敷は二か所にあった。
 江戸城に近く藩主が滞在する上屋敷と、やや離れてはいるがより広く、客人などをもてなす別邸の意味合いもあった中屋敷。
 藩によっては江戸近辺に物品貯蔵や家来の待機、また避難所としての意味合いを持たせた下屋敷をもつところもあった。
 人口密集地であった江戸は火災その他の災害も多かったからである。
 上杉家の上屋敷は桜田門の近く現在の千代田区霞が関1丁目一番地、法務省庁舎が建っている場所にあり、中屋敷は港区麻布台、外務省飯倉公館と麻布郵便局の敷地の一部が相当する。
 双方に家臣のための小屋敷や家来衆のための長屋、厩舎などが供えられていた。
 尚次郎が務めたのは麻布台飯倉の中屋敷である。
 勝手のわからぬ江戸住まいにまごつく尚次郎だったが、先輩足軽たちの指導の下、徐々に江戸の暮らしにも馴染んでいった。
 また米沢の城に出仕していた時も仕事は暇だったのだが、江戸ではなおさらこれといった仕事もなく、若い彼は無聊をかこっていた。
 このとき新野尚次郎は十八歳。君主上杉景勝の子・定勝も同じ十八歳であった。
 年明けに二代将軍秀忠に目通りする予定の若き藩主の嫡男は、母親が早世したため重臣直江兼続夫妻に育てられ、偉大な武将である父の背を必死に追おうとしていた。

 1623年(元和九年)二月十三日、次期米沢藩主・上杉定勝は江戸城に登城がかなった。
 二代将軍秀忠に接見したのは定勝五歳の時、1610年(慶長十五年)以来である。このとき彼は幼名である千徳という名を秀忠より賜ったのだ。
 自分の息子家光と同い年の上杉の嫡男の凛々しい姿に、体調の優れぬ秀忠は目を細めた。
 秀忠は陸奥の若武者を従四位下という位に叙し、己の侍従に任官した上に弾正大弼を兼任させた。
 表向きは若い定勝に好意的な姿勢に見えたが、戦国の世を父家康と共に戦い抜いた秀忠にとって、上杉の子というだけで全幅の信頼を寄せるというわけにはいかない。
 ただし病身の身、同い年のおのれの嫡男と良き主従関係は結んでもらいたい。
 太平の江戸の世を開いたとはいえ、生き馬の目を抜く戦国の心理戦を生き抜いた秀忠は、父家康にもまして人を信じるということに懐疑的であった。
 父の旧臣本田忠勝の娘婿でありながら、上田城から沼田城へと真田信之を移封させたのも、過去の敗戦に対する嫌がらせであるとの説がある。

 一方、父の期待する出世に対する焦りを感じ、若さを持て余した尚次郎は、徐々に江戸の市中に繰り出すようになっていた。
 その清潔な容貌から女っ気などない堅物と思われ、先輩の足軽から軽んじられていた尚次郎だが、たまたま先輩といった遊女屋での、女あしらいを見た者たちは、その若さに似合わぬ冷淡さと男ぶりに驚いた。
 新しく米沢から送られてきた新野という若者は、ただのお固い朴念仁ではない、なかなかに隅におけぬ男らしい。
 退屈な江戸暮らしに飽き飽きしていた足軽たちは、面白がってこの新参者を江戸の市中に連れ出した。
 若く容貌も優れた尚次郎は女たちの人気者になった。
 だが不思議なことに、尚次郎が好んだのは湯屋や茶屋、一膳飯屋などいわゆる正規の花街ではない場末の遊女たち、湯女や飯盛り女といった一段低い身分な女たちであった。
 もともと薄給の身分ということもあるが、そうした本来なら武士が行かないような場所に通い、しかも愛想の一つも言わない、かといって侍風を吹かせるでもない。
 ただ心を閉ざし、淡々と女の性的なもてなしを受け、にこりともしない尚次郎は、難物の客として品川宿や汐留の女たちの話題にのぼった。
 俺はなぜ江戸にいるのだろう。死なせてしまった湯女や、自分を決して許さない、真っ白な雪のように清廉で厳しい西堀の妻ふみ、そして身分不相応に息子の出世を望む現実の見えていない父。
 そういう人たちから逃れるためか?
 自分は情けない、期待に沿えない人間だ。
 湯屋のみじめな、でも自分を愛し頼った女が最後まですがっていた「ぜず様」の『ろざりお』の紐を断ち切った。
 愛をダシに誘いこむのが目的だったと思った瞬間、美しい女の姿が得体のしれない化け物にしか見えなくなったのだ。
 だが今思えばその化け物は、自信のない自分そのものの化身だ。
 彼女は無知だったが、無知なりに自分が本当に素晴らしいと思ったものを、愛する尚次郎に無邪気に勧めただけなのかもしれない。
 信仰ゆえに全てを失った女は、信仰の連れ合いを尚次郎に求めたのだ。
 頭ではわかる。今になれば落ち着いて考えられる。
 だがその時、それを受け入れられたかというと、無理だ。
 たとえ尊敬する西堀式部政偵、そしてその妻、初めて愛した女ふみが信じているものであっても。
 知識と理解の結果の拒否ではない。本能的に拒んでしまう。

「兄上、捨丸はまだ自分の技量で生きていくなんて無理です」

 暮れ始めた麻布台の上杉家中屋敷を出て、東海道を品川の宿に向かって歩く尚次郎は、やはり生気のない目で、行き交う往来の人々をぼんやりと、見るとはなしに見ていた。
 伊勢参りの装束を着た者、草履売りの商売人、荷物を運ぶ荷車。街道筋の駕籠かきの人足。
 みな目的があって路を歩いている。でも自分は?
 夭折した兄は幼い自分を死の床に呼び寄せ、最期に「これからは自分自身で生きろ」と諭した。
 自分の後ろばかりを雛鳥のようについてくる弟に対する励ましだったのだが、尚次郎の心にはその言葉すらも重くのしかかっていた。
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