第27話 光あるうちに光の道を・5

文字数 3,217文字

 切支丹擁護派の老家臣・志田はキリシタン厳罰派の家老・広井出雲を牽制し、まずはキリシタンを束ねる若き西堀式部政偵を凋落させることにした。
 息のかかった美しい女人を西堀家に送り込み、その色香で信仰を忘れさせようというのだ。
 愛妻家で知られる西堀の事だから望みは薄かったが、それでも3000人を超える藩内の信徒を処刑することが回避できたら、と一縷の望みに賭けたのだ。
 西堀を凋落できれば、その姿に失望して信仰を捨てる信徒が出てくるはずだ。
 そうすれば一人でも多くの命が救える。
 その機会は家老・広井家での宴会の席であった。
 美しい女人が広井によって紹介された。
 故あって故郷を離れた同情すべき身の上の、身分卑しからぬ家柄の高い婦人だという事であった。
 女人は凛として西堀に挨拶をすると、宴会の中次第次第に西堀に近づいていった。
 彼に子がない事を知る広井や志田の配下の御家来衆は、素晴らしい女人ではないか、いっそそなたの妻にどうだとしきりと進めた。
 女も美しい目にたっぷりと媚を含んで西堀との会話をこなしていた。
 教養もあり頭も切れる女人だという事は彼もすぐ見て取った。
 だが当の西堀は一笑に付した。
 西堀は家老衆の怒りも叱責も、女の美しさも情けも、がんしてとはねつけた。

「お母様、お父様。お兄様!」
「なんじゃふみ、たまに顔を出したと思ったら親を呼びつけるか」

 西堀ふみが松川の実家に急いで駆け込んできたのはそれから間もなくだった。
 師走の米沢の城下には既に雪が降り、辺りはうっすらと綿毛のような雪と氷に覆われていた。
 血相を変えたふみが両親と兄がくつろぐ奥の間にやってきた。
 大股で着物の裾を荒々しく跳ね上げ、美しい顔は目が吊り上がり激しい怒りをあらわにしている。
 近所とは言え流産の後体調を崩していたこともあり、余り帰ってこなかった娘が足音も荒く乗り込んできたのは理由がある。
 と、入口からおずおずとした声が聞こえた。

「御無礼仕ります。こちらのふみ殿に呼ばれたのですが……」

 玄関に立っているのは、当惑した不思議そうな顔の尚次郎だ。
 ふみに、西堀の家ではなく実家である松川の家に呼び出されるなど考えられない事だ。

「ふみ、お前尚次郎まで呼び出したのか」

 奥の間で勉強をしていた兄の信士郎があきれ顔でやってきた。

「はい。皆に問い糺したいことがあり、このように無礼をいたしました。尚次郎殿どうぞ上がってください」

 促されるままに末席に座る尚次郎はやはりふみの前では素直なわんこのようだ。

「父上、母上、兄上。話は他でもありません。先日夫の西堀が、城中の宴にてご家来衆から女人を引き合わせられるという目にあったと、聴き及びました」
「まあ、うかれ女が入った宴であればそういう事もあろう」
「いえ、そうではありません。はっきりと我が夫に狙いを定め、凋落しようとあてがわれたのでございます」
「それはそれは…ご家来たちが?」
「はい。相手は元は身分卑しからぬ出の女だと聞きましたが、その際……」

 ふみは苦しそうに言葉を飲み込んだ。
 尚次郎は思わず声をかけた。

「おふみ、辛いんだったら無理して言わなくともいいんだぞ。西堀様に限って」

 ふみは尚次郎の言葉を無視した。子供の時のままの上下関係だ。

「その女をあてがうにあたり、御家来衆は……私に子がない事を揶揄し、妻としてはいかがかと言われたと……」
「ふみ、そのような事を」
「しかし本当の事ではないか。西堀の家とて後継ぎがなければ困るであろう。わしらも……」

 両親は嘆き怒る娘に困った様子で言い放った。
 嫁がせた身として西堀の家に対しては常に申し訳なさを感じていたし、折角懐妊したのに流産したとあれば離縁されても仕方のない事でもあった。
 当然両親は自分を慰めて一緒に怒ってくれるだろう。
 そう思い込んでいたふみはハッとして顔を上げた。
 子供の時なら、娘の時分なら両親は常にふみを肯定し、庇って好きにさせてくれた。
 なのになぜ、いま一番優しい言葉がほしい時に。
 ふみの目にはみるみる大粒の涙があふれ、末席から見つめる尚次郎の心は乱れた。
 だが普通の女人のように泣き崩れたりしないのはさすが西堀ふみだ。涙をこらえつつ唇をかみしめ両親と兄、そして尚次郎を睨みつけている。

「尚次郎殿は城下で何か聞き及んではおりませぬか?」
「いや何も……この前お屋敷に出向いて申した通りだ」

 お願いだよ、泣き止んでくれよ。お前のそんな顔見ているとこちらまで泣きたくなってしまう。

「西堀の家まで行って申したこととは?尚次郎」

 ふみと信士郎の父親が聞きとがめた。

「……城中でもご家老広井様が改宗に応じない御家来の扶持を取り上げたり、殿にキリシタン処刑を注進していらっしゃいます。お気をつけなされませと」

 尚次郎はふみの顔を見ないように視線を落としながら答えた。

「そうか。かたじけない。お前には子供のころから世話になってばかりだ」
「いいえ松川様。私にできることはなく……でもおふみ殿、貴女の夫である式部様を信じましょう。あの方は貴女を裏切りなどしない」
「でも」
「でもなどと言うようだったら、いっそ離縁されてしまえ、ふみ」

 突然冷たい声が浴びせられた。
 はっと顔を上げた先には美しい顔のまま妹を見下ろす兄、信士郎がいた。

「妻のお前が身近な夫である式部様を疑い実家に泣きついてくる。周りから何と言われようとお前を守ってくださる夫の愛情すら信じられないような女が、どうして『神の愛』などという大仰なことを言えようか。違うか? 」

 ふみは怒りに燃えた目で兄のすました顔を見返した。
 信士郎はいつもの、人を小馬鹿にしたような涼しい目で傷ついた妹を見下ろしている。

「人それを偽善者というのだ。神は人が一人で生きるのはよくないと言い、男と女の形で人を作ったのではないのか。お前らの言葉を聞いていると自然と覚えてしまったわ」
「信士郎、お前あまりに言い過ぎだぞ」

 尚次郎はさすがに酷いとふみを庇いたくなった。

「いや、そういう事だ。この妹は万事この調子なのだ。人を信じられず人を試す。きっとお前たちの神に対してもそうなのだろう。いっそ信徒など辞めてしまえばよいのだ」

 言い放った信士郎の瞳が一瞬申し訳なさそうに瞬いた。
 兄としても妹を助けたいのだ。妹の愛している夫を助けたいのだ。
 信士郎は城内でも親友・尚次郎より上の職に就いているので家臣たちの動向や噂は頻繁に耳に入ってくる。
 尚次郎が聞き及んでいるよりずっと、切支丹たちを取り巻く事態が切迫していることも知っていた。
 ただ頑固で気が強い妹に輪をかけて、兄の信士郎も意地っぱりだ。
 素直に進言したところで妹が聞き入れるとは思えない。逆を言ってブチ切れさせる算段なのだがこのときばかりは見当が狂った。

「分かりました。兄上たちの言う通りですね。ふみがひ弱すぎでした」

 毅然と顔を上げたふみは、両親、そして兄と尚次郎に一礼した。

「私は旦那様を信じます。もう揺らぎなどしません。皆様の言葉を頂いて、ふみは強くなれた気がします」

 そして悠然と帰って行った。

「俺はあれを見くびっていたようだ、尚次郎……」

 信士郎は庭の木に手をかけ、がんがんと悔しそうに叩きながら親友に漏らした。

「事態は妹が思っているよりもずっと危うくなっている。俺は……式部様は駄目でもあいつだけは助けたい。お前もそうだろう?」
「ああ。だが俺には力がない」

 尚次郎も木の幹をがんと叩きながら呟いた。
 奉行所勤めとは言え下っ端役人の、しかも若僧である尚次郎にはどうにも手だてがないのだ。
 それは兄の信士郎も同じであった。
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