第36話 トマスの指先・2

文字数 3,196文字

 北山原の処刑場は現在の米沢市の北部、羽州街道の出口にある。
 今でこそ近くに市役所が移転し、ホームショップや外食チェーン店が立ち並ぶが、当時は町はずれ、何もない広い湿地帯が米沢藩の公式処刑場だった。
 前日の処刑のお達し以来、一晩中雪を片づけ踏み固めていた甲斐があり、真っ白い広場ができていた。
 竹矢来では雪の重みに負けてしまうので、群衆と処刑の場いわゆる土壇場の間には、しっかりとした木材を縄で組んだ垣根を張り巡らせてあった。
 刑場の中央には筵が長々と敷かれ、奥に切り落とした首を刺して固定する、とげのついた晒首台がある。
 端には、斬首後の体を入れるための木の鉢がいくつも置いてある。
 明らかに小さな鉢が二つあるのは、一歳の赤ん坊テクラと三歳の幼女ジュスタ用であろう。
 そして一行を待ち受けるのは、処刑場担当の奉行所同心・新野尚次郎純直たち大勢の役人だった。
 ここ数日全くと言っていいほど眠ることができなかった尚次郎は、常にも増して蒼白なやつれた顔で、目の下は蒼黒い隈ができていた。
 夜が明けた光の中、ナターレの時に見た聖母の画を旗印に、粛々と列が向かってくるのを見た彼は、自分がこの場に居なければならないのを呪った。

 垣根の外には、集落のはずれの寂しい地にもかかわらず、既に大勢の見物人たちが集まっていた。
 白い着物の小姓たちを先頭に、雪雲の間から差し込む朝日を浴びて、吐く息を凍らせながら進む一行は、その表情から輝かしい凱旋の兵士たちのようにも見える。
 だが、先頭の旗持ちの後ろに続く赤ん坊たちの姿を目にすると、見物人たちは、悲痛な声を上げた。
 まだ事の是非も分からない赤ん坊ではないか。何とか助けてやれないのか。
 人びとは垣根にしがみつき、顔を押し付けて同情の声を上げた。
 その時奉行が静粛にするように、と声を上げた。

「皆聞け。ここで死ぬ者たちは罪を犯したわけではない。
 彼らが日々善行を行い徳を積み、武士としても模範的な者たちであることは衆目の知るとおりである。
 彼らは罪のゆえではなく、ただ信仰のためにのみ死んでゆく身分の高い者たちである。
 みな平伏して見送るようにせよ」

 奉行の言葉はまことに異例で、幕府に知られでもしたら、米沢藩として不利になる。
 事実、マカオのイエズス会経由でこの米沢の処刑の様子を手紙で報告したポーロ神父は、信徒ではない米沢の人々の様子や、なるべく命を助けたいと最後まで説得にかかる奉行や検使、役人たちの様子を驚きを持って生々しく書いている。

 捕り手たちが新雪をどかして踏み固め、血だまりのための穴を掘った淵に筵が敷かれた。
 手練れの首斬りの武士たちが、既に身ごしらえをして待ち受けている。
 キリシタンたちは刑場の中心に立てた聖母の旗印の周りをぐるりと円を描いて立ち止まった。
 列に付き従ってきた、処刑の名簿に載っていない切支丹が、持参したメダイ(メダル)を一人一人に見せた。
 首からロザリオを下げた奥方たちも召使も、男も老人も、みな歓喜をもって静かにメダイに口づけし、祈りを口にした。

「いと高き聖なるご聖体の秘蹟は讃美されますように」

 そしてまず子供を連れた婦人たち、召使の女たちが筵に座り、役人の手によって襟元を開かれた。
 刀の刃が着物の襟に遮られることなく、少しでも苦しまずに首を落とせるようにである。
 首をすくめたり体をよじらないように下人たちが切られるものの肩と背中、足を押さえる。
 そして、静かにアベマリアの祈りを唱える若い母親たちの細い首に、刑吏の刀が振り落とされた。
 首は驚くほどの大量の血と共に前方に飛び、雪に掘った穴の上に落ちた。
 母の手に抱かれた三歳の幼女ジュスタは、目の前を転がった母の静かな顔に驚き、よく見ようと首を伸ばして確かめようとしたその瞬間、刀が振り下ろされた。
 人びとの悲鳴と共に、母と娘の真っ赤に染まった小さな首は、寄り添うように雪の穴に転がり落ちて行った。
 見物人のすすり泣きとキリスト教の祈りの声、仏教徒の読経など地鳴りのように響く中、続いて甘糟家の二男の嫁、十七歳の若い母親ルチアが首を斬られた。
 その胸に抱かれた一歳の赤ん坊は、余りに幼なすぎたので、まず刑吏が胸を一突きにして息の根を断ち、そののちに、両手に載るほどに小さな首を切り落とした。
 見物人は皆、余りに幼い命のために泣き、祈った。
 戦国の世にあって、戦場で命のやり取りをしてきたはずの手練れの刑吏たちも、さすがに沈痛な面持ちで女子供の処刑を続けた。
 次は母子についてきた召使女たちが切られ、首のない遺体は筵にくるまれて、刑場の脇に置かれた樽に入れられていった。
 首は吹き出す血をぬぐい、晒し首の台に刺されて固定され、斬首を待つ者たちや垣根の向こうの見物人に見えるように置かれた。

 つつがなく処刑を勧められるように、その死体の始末の指示をするのが、新野尚次郎の役目であった。
 女たちの処刑が終わると、一旦血に染まった雪の上に新雪を撒き、筵も敷きなおされて刑場が整えられた。
 今度は赤ん坊たちの父親である甘糟家の息子たちの番である。
 男たちはみな緩く後ろ手に縛られてはいたが、しゃんと背筋を伸ばし、落ち着いて妻子が命を落とした土壇場に座った。
 そしてやはり、祈りを唱えつつ後ろから刀を受け、首を落とされていった。
 人を斬るとこれほどの血が出るものか。
 凍てつくような寒さの中、首を切り落とされ、どうっと前のめりに倒れていく遺体からは、白い湯気を立ち昇らせた真っ赤な血が、井戸で汲みだしたように吹き出した。
 下人が持ってくる首を、名簿の名前と照合しながら台に刺して、板に名前を書いていく。
 尚次郎は心を殺したまま黙々と仕事のみを進めていった。

 八十歳の老人、甘糟家に寄宿していた切支丹浪人が首を斬られて殺され、処刑第一陣の順番は最後の一人、甘糟右衛門の番になった。
 人びとの祈りや聖歌の声が一際大きくなった。
 尚次郎は斬首が行われている場に背を向けて、黙々と仕事に打ち込み、けして見ようとしなかったが、このときばかりは振り返った。
 新たに筵が引き直された血まみれの土壇場に静かに座り、目を閉じて祈っているのは、江戸で自分を原主水に引き合わせてくれた甘糟その人である。
 やさぐれ腐った気分のまま無為に過ごしていた自分を、江戸の切支丹達に引き合わせ、幕府による弾圧から小さなおはなと祖父母を救い、米沢にかくまってくれたその人である。
 下っ端役人の尚次郎にとっては遥か上の、非の打ち所の無い立派な家臣の最期の姿だ。
 顔に布をかけられず縄もかけられなかった右衛門は、大声で聖母の祈りを唱えたまま首を斬られ、殺された。
 上杉景勝公の代からの重臣・甘糟家から派生した右衛門の家系は、ここに途絶えた。

 処刑はここでいったん中断された。
 なにしろ大量の処刑を一日でこなさなくてはならないので、刑場を整え直さなくてはならないし、刑吏たちも交代させなければならない。
 首切り役人は、一度にこれほど大量の処刑などしない。
 刀も替えなければならないし、なにより吐く息が凍てつくような寒さの中、渾身の力を込めて首を断っていくのである。
 刑吏たちの体力は容赦なく奪われた。

 奉行は尚次郎に、西堀式部とその妻を連れてくるように命じた。
 北山原の刑場では甘糟家に引き続き、別の切支丹家臣の一家が続々と到着し、処刑の準備が進んでいたが、順番で行けば西堀とその妻が最後になる。
 日が傾くまでに、全員の処刑と後始末まで終えねばならない。
 新野尚次郎は数人の捕り手と共に笠をかぶり、足ごしらえを整えると、雪の道をお城の南西の侍町まで戻って行った。
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