第7話 荒野にて叫ぶ者在り・2
文字数 2,936文字
新野捨丸が十二歳になった日。
身内だけの、ささやかながらも厳粛な『元服の儀』が執り行われた。
少年の髷髪を解き、さらさらとした素直な髪を切り整え、頭頂部をきれいに剃りあげる。
いわゆる「月代」を剃るのが江戸初期の武士の元服である。
捨丸は父と既に老齢にある一族の長である祖父の手で髪を切られ、月代を剃ってもらった。
そして幼名である捨丸の名を失う事になった。
新しくいただいた元服後の名前は、新野尚次郎純直という。
それまで「お捨て」「捨丸」と呼ばれていた自分がきちんと成人男子である証の褌を締め、「尚次郎」と呼ばれることにはまだ慣れない。
元服と同時に、食事の時の卓の位置も変わった。
まだひげも生えない少年の肌には、数日おきに下男に剃ってもらう月代の剃刀が痛かったが、大人になるというのはこういう事かと尚次郎は思った。
正確には彼が祝ってもらったのは前髪と小鬢と呼ばれたもみあげを剃らずに頭天だけを中剃りする「半元服」と呼ばれる略式の式である。
そこで本元服前に結ってもらった髷は「若衆髷」と呼ばれるものだった。
成人の本格的な髷の一歩手前、元結で髷を締めて二つの折った髪型である。
大半の少年が15歳で本元服を迎えるので、尚次郎の一つ年上の親友・松川信士郎もこの髪であった。
新野家の一人息子である尚次郎は、実質大人として扱われることになれていなかった。
「お捨て、じゃなくてもう尚次郎だな。おめでとう」
西堀式部政偵が道場で声をかけてくれても、尚次郎は素直に笑顔を返せないし、町内でふみに会っても今までのように気軽には話しかけられない。彼女も何となくバツが悪そうな目で尚次郎をちらと見るだけだ。
「ふみはなぜ俺を無視するんだろう」
思いつめた顔で信士郎に相談してみるが、ふみの兄信士郎はかえって驚いた顔をするだけだった。
「そりゃお前、大人になった男に今までみたいにその花をとってこいとか、あの魚を取りに川に入れとか、言うわけないだろう」
なぜ?
それがふみの望むことだったらきちんと言ってくれれば、俺は喜んでそうするけど。
「俺は言われてもいっこうに構わないのだが……」
信士郎はひっそりとため息をついた。
こいつは武士なんだよな。足軽とはいえ越後から御屋形様についてきた、古くからの侍の一族の跡取りなんだよな。
本当にこいつ大丈夫か。
「お前新野の家の跡取りだろう。しっかりしろよ。でないとふみが気を遣う意味がないじゃないか」
「なんでだ?」
「ああもういい。武士というものについて、もう一度書を読み学べ。お前は男だろう」
「男だが」
「今のままでは誰もお前を男としては見ていないぞ。俺も含めて」
「おふみも?」
「あいつが一番お前の事を小童扱いしてるんだよ」
尚次郎は決意した。ちゃんとした男になろう。
信士郎と尚次郎はより一層勉学に励み、道場に通い剣と格闘術の稽古に励んだ。
また、当時の米沢藩中の者にとって、初代上杉謙信公が心酔した仏教の信奉も大事な勤めであった。
謙信公は毘沙門天を我が仏と信仰し、また真言宗の高野山より「宗心」という法名を賜り、また若き頃は菩提寺である越後の曹洞宗林泉寺に足しげく詣でている。
景勝の代で移ってきた米沢にも古くからの寺や神社が多く、人心を集めていた。
石高を大きく減らされ、越後より山をいくつも超えた米沢に一族郎党、妻子もろとも移り住み、開墾や治水にと苦労の連続だった上杉家の者たちには神仏への信仰が大きな拠り所になっていた。
折も折、信士郎と尚次郎は上杉家が篤く保護している長泉寺に、経典についての講義を受けに来ていた。
今でいう寺のセミナーである。
ふと参道で、彼らが通るのを道のわきに控えている若い娘たちと農民たちの一群を見た。
半元服しか終えぬ若侍である彼らだが、身分の上では一応武士。
脇に退いて控える農民たちの目の前を堂々と歩いたが、娘たちが粗末な着物の首に、長い数珠のようなものをかけているのを見つけた。
立ち止まってよく一団を見ると、百姓たちは継ぎ当てだらけの野良着の腰ひもに、その数珠を絡ませている。
やけに長い数珠だとまじまじと見る尚次郎の目に、数珠の先に木彫りの十文字が下げてあるのが映った。
「おいどうした、尚次郎」
先に行った信士郎が戻ってきて声をかけた。
真夏の寺の庭は杉の大木にしがみついたアブラゼミの声が木霊のように降り注いでいる。
「いえ、この者たちの首や腰にかけている数珠が、ちと変っているなと」
「ああ、それは数珠ではない。この者たちは切支丹だから」
「切支丹?」
「お前たちそうだな?」
信士郎が声をかけると、控えていた農民たちの長と思しき若者が顔を上げた。
「そうでございます。わしらは皆切支丹で『ろざりおの信心』をするためにこのお寺さんの隅に寄らせていただきました」
「きりしたん? あの『ぜず様』とやらの信者か」
尚次郎はおぼろげな記憶をたどっていた。
確か成長してから訪ねて行った、自分の面倒を見てくれた乳母の家にも素朴な木彫りの母子像があって、「まりやさまとぜずさま」と教えられた。
あの乳母は若くして死んでしまったが、終わりの日にみんな一緒に甦りますから悲しまないでくださいと、苦しい病の息の下で笑って逝った。
「そうでございます」
寺でも度々そうした輩の信心に、場所を提供することもあるのだ。
「その長い数珠は?」
「ロザリオと申します。祈りを唱えながら百万遍のように皆で回して珠で数えるのでございます」
おいもう行くぞ。
信士郎が急ごうと声をかける。
「尚次郎は知らんのか。城下に切支丹は多いぞ。ご家中にも大勢いる。西堀式部さまも、甘糟右衛門様の教えを受けていると聞いた」
「西堀様が?」
「そうだ。貧しいものや食い物がない水のみ百姓のために食べ物を恵んだり、色々善き徳を積んでいるらしい」
西堀様が……
尚次郎は切支丹というものに全く無関心だった。
伊達や蒲生の土地から逃げて来た者たちが郊外の原方衆として住み着いたり、山の中で鉱山を掘ったりしているのが当時の米沢だったが、幼い尚次郎は知らなかった。
「ふみは?」
突然尚次郎は猛烈に気になって、前をずんずん歩く信士郎の肩をつかんでとめた。
「何をするのだ」
「おふみは確か西堀様に焦がれていたはず。ふみも切支丹なのか?」
「まさか。その気配は全くないよ」
「そうか」
よかった、尚次郎はほっとした
初めて目の当たりにした切支丹という異なる信仰を持った人たちだが、なんとなく得体が知れず警戒の念が沸き上がるのを禁じえなかった。
「だが、父上も叔父上も母上も、ふみが天主教を信じたいのなら別に構わないと思っているようだ。お偉い甘糟様も信じておられるほどの尊いものらしいから」
尚次郎耳から、姦しいセミの鳴き声がすうっと消えた。
「お前は? 信士郎」
「俺は嫌だ。気味が悪い」
即答だった。尚次郎は安心した。
「行こう。今日も住職の講義は長いぞ」
身内だけの、ささやかながらも厳粛な『元服の儀』が執り行われた。
少年の髷髪を解き、さらさらとした素直な髪を切り整え、頭頂部をきれいに剃りあげる。
いわゆる「月代」を剃るのが江戸初期の武士の元服である。
捨丸は父と既に老齢にある一族の長である祖父の手で髪を切られ、月代を剃ってもらった。
そして幼名である捨丸の名を失う事になった。
新しくいただいた元服後の名前は、新野尚次郎純直という。
それまで「お捨て」「捨丸」と呼ばれていた自分がきちんと成人男子である証の褌を締め、「尚次郎」と呼ばれることにはまだ慣れない。
元服と同時に、食事の時の卓の位置も変わった。
まだひげも生えない少年の肌には、数日おきに下男に剃ってもらう月代の剃刀が痛かったが、大人になるというのはこういう事かと尚次郎は思った。
正確には彼が祝ってもらったのは前髪と小鬢と呼ばれたもみあげを剃らずに頭天だけを中剃りする「半元服」と呼ばれる略式の式である。
そこで本元服前に結ってもらった髷は「若衆髷」と呼ばれるものだった。
成人の本格的な髷の一歩手前、元結で髷を締めて二つの折った髪型である。
大半の少年が15歳で本元服を迎えるので、尚次郎の一つ年上の親友・松川信士郎もこの髪であった。
新野家の一人息子である尚次郎は、実質大人として扱われることになれていなかった。
「お捨て、じゃなくてもう尚次郎だな。おめでとう」
西堀式部政偵が道場で声をかけてくれても、尚次郎は素直に笑顔を返せないし、町内でふみに会っても今までのように気軽には話しかけられない。彼女も何となくバツが悪そうな目で尚次郎をちらと見るだけだ。
「ふみはなぜ俺を無視するんだろう」
思いつめた顔で信士郎に相談してみるが、ふみの兄信士郎はかえって驚いた顔をするだけだった。
「そりゃお前、大人になった男に今までみたいにその花をとってこいとか、あの魚を取りに川に入れとか、言うわけないだろう」
なぜ?
それがふみの望むことだったらきちんと言ってくれれば、俺は喜んでそうするけど。
「俺は言われてもいっこうに構わないのだが……」
信士郎はひっそりとため息をついた。
こいつは武士なんだよな。足軽とはいえ越後から御屋形様についてきた、古くからの侍の一族の跡取りなんだよな。
本当にこいつ大丈夫か。
「お前新野の家の跡取りだろう。しっかりしろよ。でないとふみが気を遣う意味がないじゃないか」
「なんでだ?」
「ああもういい。武士というものについて、もう一度書を読み学べ。お前は男だろう」
「男だが」
「今のままでは誰もお前を男としては見ていないぞ。俺も含めて」
「おふみも?」
「あいつが一番お前の事を小童扱いしてるんだよ」
尚次郎は決意した。ちゃんとした男になろう。
信士郎と尚次郎はより一層勉学に励み、道場に通い剣と格闘術の稽古に励んだ。
また、当時の米沢藩中の者にとって、初代上杉謙信公が心酔した仏教の信奉も大事な勤めであった。
謙信公は毘沙門天を我が仏と信仰し、また真言宗の高野山より「宗心」という法名を賜り、また若き頃は菩提寺である越後の曹洞宗林泉寺に足しげく詣でている。
景勝の代で移ってきた米沢にも古くからの寺や神社が多く、人心を集めていた。
石高を大きく減らされ、越後より山をいくつも超えた米沢に一族郎党、妻子もろとも移り住み、開墾や治水にと苦労の連続だった上杉家の者たちには神仏への信仰が大きな拠り所になっていた。
折も折、信士郎と尚次郎は上杉家が篤く保護している長泉寺に、経典についての講義を受けに来ていた。
今でいう寺のセミナーである。
ふと参道で、彼らが通るのを道のわきに控えている若い娘たちと農民たちの一群を見た。
半元服しか終えぬ若侍である彼らだが、身分の上では一応武士。
脇に退いて控える農民たちの目の前を堂々と歩いたが、娘たちが粗末な着物の首に、長い数珠のようなものをかけているのを見つけた。
立ち止まってよく一団を見ると、百姓たちは継ぎ当てだらけの野良着の腰ひもに、その数珠を絡ませている。
やけに長い数珠だとまじまじと見る尚次郎の目に、数珠の先に木彫りの十文字が下げてあるのが映った。
「おいどうした、尚次郎」
先に行った信士郎が戻ってきて声をかけた。
真夏の寺の庭は杉の大木にしがみついたアブラゼミの声が木霊のように降り注いでいる。
「いえ、この者たちの首や腰にかけている数珠が、ちと変っているなと」
「ああ、それは数珠ではない。この者たちは切支丹だから」
「切支丹?」
「お前たちそうだな?」
信士郎が声をかけると、控えていた農民たちの長と思しき若者が顔を上げた。
「そうでございます。わしらは皆切支丹で『ろざりおの信心』をするためにこのお寺さんの隅に寄らせていただきました」
「きりしたん? あの『ぜず様』とやらの信者か」
尚次郎はおぼろげな記憶をたどっていた。
確か成長してから訪ねて行った、自分の面倒を見てくれた乳母の家にも素朴な木彫りの母子像があって、「まりやさまとぜずさま」と教えられた。
あの乳母は若くして死んでしまったが、終わりの日にみんな一緒に甦りますから悲しまないでくださいと、苦しい病の息の下で笑って逝った。
「そうでございます」
寺でも度々そうした輩の信心に、場所を提供することもあるのだ。
「その長い数珠は?」
「ロザリオと申します。祈りを唱えながら百万遍のように皆で回して珠で数えるのでございます」
おいもう行くぞ。
信士郎が急ごうと声をかける。
「尚次郎は知らんのか。城下に切支丹は多いぞ。ご家中にも大勢いる。西堀式部さまも、甘糟右衛門様の教えを受けていると聞いた」
「西堀様が?」
「そうだ。貧しいものや食い物がない水のみ百姓のために食べ物を恵んだり、色々善き徳を積んでいるらしい」
西堀様が……
尚次郎は切支丹というものに全く無関心だった。
伊達や蒲生の土地から逃げて来た者たちが郊外の原方衆として住み着いたり、山の中で鉱山を掘ったりしているのが当時の米沢だったが、幼い尚次郎は知らなかった。
「ふみは?」
突然尚次郎は猛烈に気になって、前をずんずん歩く信士郎の肩をつかんでとめた。
「何をするのだ」
「おふみは確か西堀様に焦がれていたはず。ふみも切支丹なのか?」
「まさか。その気配は全くないよ」
「そうか」
よかった、尚次郎はほっとした
初めて目の当たりにした切支丹という異なる信仰を持った人たちだが、なんとなく得体が知れず警戒の念が沸き上がるのを禁じえなかった。
「だが、父上も叔父上も母上も、ふみが天主教を信じたいのなら別に構わないと思っているようだ。お偉い甘糟様も信じておられるほどの尊いものらしいから」
尚次郎耳から、姦しいセミの鳴き声がすうっと消えた。
「お前は? 信士郎」
「俺は嫌だ。気味が悪い」
即答だった。尚次郎は安心した。
「行こう。今日も住職の講義は長いぞ」