第33話 地の塩・5

文字数 3,076文字

 グレゴリオ歴一月十一日、和暦における寛永五年十二月十八日。
 この日米沢城中はただならぬ緊張感に溢れていた。
 米沢藩の若き城主上杉定勝は家臣たちの前に現れると、書記役に書かせた書状に署名した。
 それは藩内の切支丹とその家族たちの処刑の命令書であった。
 処刑の日時は明日一月十二日、早朝からの執行である。
 力及ばず唇をかみしめ顔を伏せる老家老の志田に、定勝は命じた。
 切支丹たちを捕らえて牢に繋いでおく必要はない。使いを遣り明朝より処刑の旨を伝え翻意を促すことに勤めよ。
 刀類は今日のうちに使いの者に接収せしめよ。
 当日は女子供らは縄につなぐ必要はない。また見物人共が彼らを嘲笑しないようにせよ。
 そして
 斬首の刀を振り下ろす瞬間まで棄教の有無を尋ね、少しでも改心の素振りがあれば即座に中止し解放せよ。
 切支丹たちは罪人ではあるが、その罪というのは我々と異なる禁じられた神を信じたというそれだけであった。
 藩主も家老たちも家臣たちはみなそのことが分かっていた。
 だが強大な力を持つ幕府には逆らい続けることはできない。ただでさえ関が原で豊臣方に着いた上杉家は徳川幕府から見れば信用できない存在なのだ。

 すみやかに城内各所に知らせが回り、登城していた切支丹侍たちは帰された。
 奉行所は急に忙しくなった。
 なにせ命令書に書かれている斬首となる人数は50人以上である。
 藩の処刑場である北山原の平原はすっかり雪に埋もれているため、前日のうちから雪を片づけ準備をしなければならないし、首切り役も一人二人では間に合わない。
 斬首というのは技術がいる。
 首という筋と筋肉の発達し、しかも太く固い骨がある部位を次々と切断するのには、処刑役の技能と体力も格段に必要なのだ。
 奉行所に新野尚次郎純直が呼ばれた。
 今日中に西堀の家に行き沙汰を伝える事、当日の朝も西堀を刑場まで連れてくる事、それ以外の時は刑場にて処刑に立ち会う事。
 それは奉行所に勤める下っ端の若い侍にとっては当たり前の仕事ではあったが、尚次郎は激しく動揺した。
 なぜ自分が、処刑に立ち会わなければならないのか。
 しかも尊敬する西堀式部、愛する女の夫であり永遠の目標、高い壁でもある男の処刑に。
 そして処刑の命令書には西堀の妻、マグダレナの名も記してある。
 ふみの事だ。
 尚次郎は目の前が真っ白になり、承知の返事はしたが自分が何をどうしているのか全く分からなかった。
 ふみとふみの夫を自分の手で刑場に連れて行き、土壇場に引き据え首を斬らせる。
 そしてその首を晒し台に突き刺して晒す。
 思い浮かべただけで自分の方が死にたくなってくるのだった。

 処刑の知らせを受けたパウロ西堀式部の屋敷は悲しみに沈むどころか不思議な快活さに満ちていた。
 何しろ聖母の先兵、イエズスの追随者としてキリストの教えに準じることができるのだ。
 妻のマグダレナふみも召使たちも、どうしましょう時間がないわとばかりに死出の晴れ着を揃え、それ以外の着物や道具類は知り合いの娘たちへの形見に残すもの、貧しい人々に分け与えるものときちんと分けておいた。
 夫のパウロ式部の白い死装束は柳行李の奥から出して広げ、しわを伸ばした。
 白い絹の着物と袴は明日には自分達の血で華やかな模様を染めつけられるだろう。
 西堀は角と召使たちの甲斐甲斐しい支度に満足げに微笑んだ。
 妻のふみも武家の女の嗜みとして、嫁入りの時に持ってきた白い絹の死装束はきちんと衣文掛けにかけ、帯や襦袢もそろえ、準備を整えた。
 召使たちには給金を与え、家に帰りたいものは遠慮なく帰るようにとに呼びかけたが、帰るものはほとんどいなかった。
 女たちの明るい話声や笑い声が、分厚く積もった庭や屋根の雪の間から漏れ聞こえてくる。
 そんな西堀家の前に、供周りを連れた二人の男が立った。
 ふみの父親と、兄の松川信士郎であった。
 先日訪れて信仰を捨てるようにと説得したにも関わらず頑として聞き入れない娘に激怒し、一度は見放した父親だったが、いざ死罪の沙汰が出ていると知ると居てもたってもいられず駆け付けたのだ。
 さぞ沈鬱に沈んでいるだろうと覗いてみた娘の嫁ぎ先は、意に反して微笑みと賑やかさに満ち溢れていた。

「おはな、風呂炊き番に今夜は熱めに湯を沸かすようにと言ってちょうだい。旦那様も明日に備えて身を清めなければ」
「はい。わかりました奥様」
「お前も今夜はたんとおあがり。明日は朝餉もとる暇はないと思うから」

 降りしきる雪の中、静かに母屋の様子をうかがっている松川家の一行に西堀家の下男が気付いた。

「松川様、気がつかず失礼いたしました。旦那様にお知らせいたしますので」
「いやいい。主人の耳に入れる必要はない、わしらはもう帰る」
「父上……」

 信士郎が咎めるように見詰める視線を、ふみの父は避けた。

「それでは失礼。帰るぞ信士郎」

 二人は無足橋近くの西堀家を辞し甘糟家に向かった。
 パウロ甘糟右衛門の一族も、娘婿の西堀同様処刑の沙汰が出ているのだ。
 切支丹の総親である右衛門の口から、ふみを実家に戻してくれるよう説得してもらうよう、頭を下げるためである。
 だが、甘糟家でも家中の様子は一緒であった。
 新雪に埋もれかけている甘糟右衛門の屋敷もまた暖かな明かりが漏れ、長男ミゲル太右衛門とその妻ドミニカ、そして三歳の孫娘ジュスタ、黒金家へ養子に出ていた十七歳の二男のヴィンセンテ市兵衛とその妻のやはり十七歳のテクラ、そして一歳の孫娘ルチア。
 幼児のたわむれる声と赤子の喃語と健やかな鳴き声。子守女や一緒に遊んでやる下女の声、殉教の喜びを語り合う右衛門と二人の息子達、そして最後までついていく覚悟の召使たちの興奮した声と、西堀家より一層生き生きと生命が躍動している。
 罪を得て斬首され晒されるというのに何故だ。
 松川の男達には考えてもわからない。それが幕府が恐れる切支丹の力、団結というものであろうか。信士郎は妹の入ってしまった世界に恐怖を感じた。
 幼い頃から生意気で気が強く、自分を兄とも思わない鼻っ柱の強い妹が手の届かない遠くまで行ってしまったように感じた。
 だが今ともにいる父親には、同じ思いが一層強く身に刺さっているに違いない。

「首を落とされるって痛い?」
「痛くないですよ、ジュスタ様」
「でもここを斬られるんでしょう。昨日障子紙で指を切ったらとても痛かった。それより痛いの?」
「いいえ、一瞬の事ですから息を一回吸って吐いている間に終わって、気が付くと暖かくて素晴らしい天国にいらっしゃいますよ」
「お父様やお母様も、爺様も一緒においでになります」
「勿論ばあやたちもお供させて頂きますよ。天国は年中美しい花がたくさん咲いているところだそうです。皆でたくさん遊びましょう」
「楽しみ!」

 行こう、信士郎。もうわしらの力の及ぶものではない。
 いざとなったら腕をつかんでかどわかしてでも連れて帰ろうと思っていたが、あやつはそうしたとしても抜け出して刑場に走っていくだろう。
 もうどうしようもないのだ。
 父の後ろ姿は見たこともないほど小さく弱々しく信士郎の目に写った。
 西堀式部の妻ふみの父と兄は、また吹雪いてきた薄暗い通りを黙って帰って行った。
 真冬の日の暮れは早く、分厚い雪雲に覆われて日差しもない米沢の盆地は三時を過ぎると急速に暗くなっていく。
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