第35話 トマスの指先・1

文字数 2,675文字

 グレゴリオ暦1629年、一月十二日の夜が明けようとしていた。
 雪あかりで真っ黒にはならない夜空の墨の色が、徐々に薄くなっていく中を、「検使」たちの雪を踏む、音のない音が動いていった。
 彼らの役目は罪人を刑場に連れてゆく事である。
 本来なら、事前に捕り手たちに捕縛され牢に繋がれた罪人たちを、引き立てていくのが彼らのお役だが、このたびは様子が違った。
 分厚い雪雲に覆われた米沢は、朝になったと言っても太陽が輝く事は滅多にない。
 そのただでさえ沈鬱な夜明け前の街を、検使たち一行はキュッキュッと雪を鳴らしながら歩いた。
 向かうのは本日処刑が決まっている切支丹たちの屋敷である。

 パウロ甘糟右衛門。この上杉家の切支丹家臣は二人の息子、二人の孫、使用人、そして身を寄せている浪人とその妻までが、みな正装で検使たちを待っていた。
 座敷の中央には聖母マリアの布絵が旗印のように立っている。その周りに一同集まり、祈りながら夜を過ごしたのだ。
 気分が高揚しているせいか、ほとんど転寝もできなかったようだ。
 男たちは白い絹の袷の着物、女性と子供は一番上等の晴れ着を着てそれぞれロザリオの祈りを捧げている。
 十七歳の若い母親、甘粕家の次男市兵衛の妻ルチアは赤ん坊のおむつを替え、乳を含ませ、一同安らかな顔で役人たちを待ち受けた。
 最初の捕縛手は、当主の右衛門以外の男性信者に縄をかけた。
 すなわち甘粕家の長男ミカエル甘糟太右衛門、十七歳の次男ヴィンセント黒金市兵衛門、右衛門の召使であるペトロ弥兵衛、マティア彦助、江戸の大殉教を逃れてきた客人・ティモテオ大峡治郎兵衛、八十歳の老人ヨハネ五郎兵衛たちである。
 とはいえ逃げる怖れなどないのだからほとんど形式だけのものだ。
 他の女子供はそれぞれ子供の手を引き、赤ん坊を抱き、雪で足元が不安定な暗い道を支え合って歩いた。
 長男太右衛門の娘ジュスタは、自分の足で歩きだしたものの流石に眠そうで、藁の雪靴を履いた足の運びも鈍りがちで、刑場への長い道々母や召使に度々抱っこされていた。
 赤ん坊のテクラは乳をお腹一杯のみ安心しているのか、十七歳の母ルチアの腕の中、すやすやとあどけない顔で眠っている。
 一同を刑場に引っ立てる警備の侍もその姿にはたまらず、なるべく目をやらないように脇を歩いた。
 右衛門の二男・十七歳の市兵衛門から八十歳のヨハネ五郎兵衛まで、老いたものもまだ白皙の少年も、夜明けの人通りの少ない町を晴れやかに歩いた。
 先頭は座敷の立ててあった聖母マリアの旗印を旗指物のように掲げた十二歳の小姓、そして暗闇に『世の光』を放つような長い燭台を掲げた小姓。そして数人の甘糟家の家来たち。
 一見罪人が処刑場に連れていかれる引廻しの行列とは見えない、登城する重臣のような美々しい列である。
 検使も捕り手も、その上の奉行もそのような栄光に満ちた道行を黙認した。
 夜通し降っていた雪もやみ、一同はしゃんと顔を上げ、微笑みさえ浮かべて雪を踏みしめて歩いていた。
 遅れないための配慮か、子連れの嫁たちと男女の召使が先導のすぐ後ろを歩き、続いてティモテオとヨハネの二人の客人、そして右衛門の二人の息子たち。最後に右衛門本人が悠然とした態度で歩を進めた。

 行列が進みだして間もなく、一行はパウロ西堀式部の屋敷の前に差し掛かった。
 右衛門は護衛の武士を介して先に立って歩く家来に命じ、西堀の屋敷へ挨拶を遣わした。
 使者役の家来は西堀家の門番に取次ぎを頼んだ。
 西堀の屋敷も流石に起き出していた。
 使いは西堀に主人の伝言を言づけた。
『先に旅立ち天の御国で皆を待っている』
 それが米沢の信徒の総親・甘糟右衛門の、若い信仰の友に対する遺言になった。
 その時西堀の屋敷から独りの男が走り出て、警備の捕り手たちに懇願し始めた。
 男は甘糟もよく見知った顔だった。
 米沢郊外で半農半武の郷士達の多い地域、和田村の土地持ちの農民、ヨアキム三郎兵衛であった。
 彼は西堀が親を務める信徒の組の一員で、一年少々前に洗礼を受けて切支丹になった男で、処刑が行われるという噂を聞き、自分も殉教に加えてもらうべく家を出て、西堀の屋敷に逗留していたのである。
 彼は他の信徒より信仰活動に熱心で、当時日本で布教をしていた修道会の一つ、フランシスコ会の在世会の一員にもなっていた。
 在世会というのは「世俗にあって師父フランシスコはじめとする修道士のような清貧の生活を送り、神に対する謙遜の心を持ち続ける」現在まで続く会である。
 検使や捕り手たちと一悶着あったが、ヨアキムの処刑追加は渋々認められ、列は再び進みだした。
 マリアの旗絵や燭台を持つ小姓たち、先導になっている家来たちは処刑の対象ではなく、実は洗礼を受けていない者もいたし、処刑される主人に最後まで仕えることはないと、給金を与えられ職を解かれていた。
 しかし彼らは自分達も切支丹であると訴え、主人たちと行動を共にすることを望み、役人に供まわりを申し出て許可を得て、行列に加わっている。

 処刑の列はゆっくりと進み、彼らが育ち日々生活し、隣人と親しく交わった街の中を通る。
 城下の掘割、今は雪に埋もれている細い裏通りの武者道。同僚の屋敷の門。剣術の稽古に通った道場。
 みな今となっては紗幕で一つ一つ覆われていくように、自分達から去っていく感覚があった。
 だが、朝もまだ明けきっていないのに、街角や辻々、屋敷の前に大勢の人が立って彼らを見守っていた。
 みな越後の地から山々を越えてこの米沢の地に移り、苦労して土地を切り開き、水路を整えて町を興してきた仲間たちだ。
 涙と寒さで鼻まで真っ赤にしている者、一行を手を合わせて拝む者、彼らの名を呼ぶ者、赤ん坊と婦人たちが不憫だと泣くもの。
 そして幾多の見知った信者たち、右衛門やその息子たちの教えを請い、世話になった切支丹たちの顔があった。
 さらに危険を冒して会津から来たのか、日本人修道士であるイルマン・山ジョアンの姿も見えた。
 六十二歳の老修道士は伴天連追放令の際に一度マカオに追われたが、密かに再入国し潜伏している外国人宣教師を助けて布教に勤しんでいた。
 このときはおそらく、会津の蒲生氏領に潜むジョアン・バブチスタ・ポーロ神父の代わりに、キリシタンたちに力を与えるべく来たのであろう。
 右衛門は安心したように頷き、自分達を見送る人びとに感謝のまなざしを返しつつ歩いた。
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