第20話 罪なき者のみ石もて打て・4

文字数 3,507文字

 1623年、徳川将軍が二代秀忠より、年若い息子の三代家光に移った。
 徳川家将軍としては数少ない正室の嫡男として生まれ、なるべくして将軍職に就いた家光は秋、天皇より征夷大将軍任命の儀を受けるべく京へ滞在し、江戸に戻ってきたのだ。
 弱冠十九歳の若い将軍。奇しくも米沢上杉家の三代目藩主定勝、そして足軽の子、新野尚次郎と同じ歳である。
 若い将軍が江戸に戻ってまずしたことは、将軍の権威と力を世に示すことである。
 とはいえようやく長きに渡った戦国の世も終わり、人々に安定がもたらされた頃である。
 家光の標的は禁教を破り信仰を捨てぬ「まつろわぬ民」、江戸周辺の切支丹であった。

 新野尚次郎が甘糟右衛門に連れられて引き合わされたヨハネ原主水は、潜伏先の岩槻の里山で捉えられた。
 幕府の役人が示した報奨金に目がくらんだ、元の自分の使用人に売られたのである。金額は銀三百枚。
 他にも、米沢に立ち寄り信徒を指導した経験もある、イエズス会東北・蝦夷宣教担当のデ・アンジェリス神父が江戸の信徒・竹谷権七の屋敷で、バレンシア生まれのスペイン人、フランシスコ会士のガルベス神父も鎌倉に潜伏中、宿としていた信徒の日本人と共に捕らえられた。
 ガルベスも仙台伊達藩の厚遇を受け、仙台から最上藩内の布教をしていた人である。
 他にも関東、江戸市中内外、いたるところで信徒や宣教師が捕らえられ、小伝馬町の牢にて厳しい責めを受けた。
 そして冬の寒さが肌に突き刺さる十二月四日を迎えた。

 霜の降りた朝のことであった。
 新野尚次郎は着物の襟元と背中心を気にしながら新橋から虎ノ門、麻布台へ通じる道を急ぎ足で歩いていた。
 既に市中は人々の活動が始まっている。
 街道沿いの早い店は小僧が前を掃き清め、埃がたたぬよう水を撒き、手代が暖簾を整える。
 飯屋からはみそ汁と煮つけ、納豆、飯の炊ける良い匂いが漂い、小間物屋や悉皆屋、鋳掛屋も皆動き出す。
 坂道を力を込めて駆け上がると草履が土埃を上げ、足の裏がざらざらするのは、かなり長い距離をひたすら歩いてきたからだ。
 昨夜、赤坂氷川町の溜池のほとりの岡場所で、茶屋の女を相手に一晩過ごしたのだ。
 溜池は江戸の町の水源で、周囲は大小の武家屋敷と町屋がまばらに建つ、赤土むき出しの寂しい土地であったが、夏場は蛍が飛び交い茶屋の女や夕涼み目当ての客が訪れる。
 今は吐く息も白い師走に入ったところ、朝の冷気に手足だけでなく急いで身支度した顔も白く凍てつかせ、尚次郎は上杉家中屋敷に戻るべく急いでいた。
 十九歳の尚次郎は甘糟からの上屋敷勤務への栄転も断り、中屋敷で無為に過ごし、頻繁に色町に出ていく若者としてちょっとした有名人になっていた。
 米沢の家族からも心配する書状が届いたが、尚次郎は不安な気持ちと持て余す若さを、女にすがることで忘れようとしていた。
 既に戦の世ではない。武勇で身を立てるという望みはもうかなわないだろう。
 俺はこのまま漠然とした一生を送るのだ。
 女に遊び、適当に仕事をこなし、俺でなくてもいい位置に仮初めの席を置いて……
 草履の緒が切れかかっている。尚次郎は転びそうになった。
 連日の江戸各所の花街への遠出で、緒がへたってきたのだ。

「なんてことだ……」

 急いでいるのに。朝の賑わいを見せる街中で尚次郎は屈んで草履の緒を直し始めた。

「罪人行列だ。咎人の列が通るぞ」
「ほう、また大勢の罪人だわい」
「こいつはすげえ」

 町人たちの言い交わす声が聞こえ、人波が一気に沿道に出てきた。
 赤ん坊を背負った子守の娘、大勢の子を連れた女房、職人たち、朝一番の仕事を終えた魚市場や、やっちゃ場の男たち。
 みるみる街道は人垣ができた。

「来たぞ」

 坂道の下から高々と掲げられた紙の幟が何本も見えてきた。
 そして裸馬のむしろを敷いて鞍代わりにした馬に跨らせられた、拷問の傷も生々しい、痩せ衰えた罪人たちの姿が見えてきた。
 見る間にその数はどんどん増してきて、それが尋常ではない大量の処刑であることを示した。
 周りを取り囲み、一緒に歩いているのは弾左衛門配下の男たちの姿。
 幟より丈が短いため位置が低く、すぐにはわからなかったが、罪状を書いた木札を捧げ持つ者も前を一緒に歩いている。
 そのすぐ後ろは剥き身の朱槍を掲げた男が二人。
 馬上の罪人の両前を、槍を高く高く掲げながら歩いている。
 その刀身が朝の太陽に光る。
 重罪人の市中引き回しの行列であった。
 列についてぞろぞろと歩く子供達、暇な若衆達、物見で家々から飛び出してきた者達で通りはたちまちごった返した。
 みな罪人を見ようと大騒ぎであった。

「あいつら伴天連だぞ」
「本当だ、南蛮人の顔だ」

 尚次郎は弾かれたように顔を上げた。
 目の前をゆっくりと晒し者にされながら過ぎていく、馬の背に揺られた年老いた苦難に満ちた顔は、紅毛碧眼の異人であった。
 それが何人も何人も続き、そのあとは切支丹と書かれた日本人の男たちがまた続いた。
 皆長い年月牢に閉じ込められ打擲されてきたせいか、やせ衰え、どす黒い顔色をしている。
 スペイン人やポルトガル人、イタリア人の伴天連たちが載せられた馬が通るたびに、沿道の人々の興味の目がその異人たちの顔に注がれた。
 キリスト教が日本に入ってきて何十年、と言っても江戸の市中ではっきりと西洋人を見たことのあるものはまだまだ少ない。
 鼻が高いのう。
 目が焼き物のような色だのう。
 でも西洋人は人の血を飲み肉を食らうというぞ。奴らは人を奴隷としてかどわかしていくらしいぞ。
 切支丹が薄焼きせんべいのような聖餅をキリストの体、ブドウでできた赤い南蛮酒をキリストの血として儀式の中で口にすることを、知らない人間はそんな風に恐れたのだ。
 続いて日本人の宣教師、伝道師、伴天連の協力者たちが同じく馬に載せられ、周りを槍や幟持、逃亡した時用のさすまたを持った男達に取り囲まれて通って行った。
 それらの数は、指を折って数えても足らず、口でひい、ふう、みいと呟いても間に合わず。
 ぞろぞろと大行列が後から後からやってきて、シャンと顔を上げている者、長い獄中生活で病み衰え、馬上で体を支えるための背もたれをつけられている者、若い者、壮年の者、老人。
 実に五十人の馬上の罪人が列をなして進んできた。

 尚次郎は唖然として、通り過ぎようとする列を眺めていた。
 これは大変なことだ。
 この者たちは禁じられた邪教を信じて転教に応じない不埒者、よって死罪とすると触れが回る。
 これだけの人数を?
 今はもう戦いの世でもないのに。
 ふと、馬上で埃と汚辱にまみれて揺られていく、背の高い壮年の男が、群衆の頭越しに尚次郎の目に飛び込んだ。
 額に付けられた十文字の焼き印に、はっきりと見覚えがある。

「原様!……」

 尚次郎は思わず叫びそうになり、慌てて手で口を押さえた。
 その声にならない声に気付いたわけでもなかろうが、馬上のヨハネ原主水は顔を上げ、自分の名を呼ぶ者を探して視線を周囲に巡らせた。
 そして気配を殺して人込みに潜む若者の上でひた、と留まった。

『尚次郎、来てくれたのか』

 確かに唇はそう動いた。原主水はほっとしたような笑顔を浮かべ、また馬に揺られて目の前を過ぎて行った。
 尚次郎の足が勝手に動いた。
 罪人をはやし立てながら面白がってついていく子供たちのように、ふらふらと人々の間をぬって歩き出した。
 原の馬列から目を反らすことができない。なぜこの人垣の中で自分がわかったのだろう。
 小伝馬町の牢獄から出発した罪人の辿った途を説明すると、現在の神谷町の駅が当時の市中引き回しの道筋上にある。
 そして芝寄りにだいぶ来た飯倉交差点のすぐわきに、現在ロシア大使館、宗教法人の施設、そしてカザフスタン共和国やアフガニスタン大使館の固まっている、警備の極めて厳しい一角がある。
 その狸穴という、江戸時代から続く地区を六本木寄りに少し入ったところが、新野尚次郎の常駐する上杉家中屋敷であった。
 現在その地には瀟洒な麻布郵便局、外務省の外交資料室が建っている。
 今は東京タワーや洒落たファッションビルが林立する整備された道だが、1600年代初めはタヌキやヘビ、野生動物が出没する江戸の郊外であった。
 その旧街道沿いを今から約400年前、死刑に処される罪のない切支丹、伴天連たちがぞろぞろと引廻されていたのだった。
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