第21話 罪なき者のみ石もて打て・5

文字数 3,114文字

 列は進み、沿道の野次馬たちの数はますます膨れ上がって行った。
 この時代、公開される死刑は一種のデモンストレーションであり、庶民たちへの見せしめであった。
 尚次郎も野次馬たちに交じって、上杉家屋敷に戻るどころかその前を通り過ぎ、芝そして三田へと冬の町を罪人の列についていった。
 罪人行列が向かった先は、札の辻である。
 現在の田町駅前からほど近い、街道沿いに東京タワーがはっきりと見える交通の要所であるが、江戸時代は幕府や奉行所の発令した高札を掲げる掲示場であった。
 そこに罪人の列は止まり、見物人たちの列も止まった。
 既に50本もの火刑(火炙り)用の柱と、支柱を立てる為に掘られた穴が用意してあった。
 火刑は本来鈴ヶ森や小塚原の刑場でなされるものである。
 特に前者での執行は多く、品川の海に面しているため浜風が吹き、火刑の炎がなかなか燃え上がらず、罪人が大いに苦しみながら死んだという話が残っている。
 だが今回は違った。
 品川宿も近く、より多くの人びとが行き交う札の辻が選ばれたのは、晒し者の意味合いが一層強かったのであろう。
 同じ死罪と言えども、小伝馬町の牢屋内で人目に触れられず処刑されるよりも、ずっと重い刑罰であった。
 馬上から次々と降ろされる五十人もの切支丹たちは、縛りあげられてはいるが、その一挙手一投足が群衆の注目を浴びた。
 すらりと背の高い尚次郎は白い顔をより一層青白くして、縄を解かれるや否や火刑柱に括り付けられ、燃え落ちてしまわぬよう泥を塗りこんだ縄で縛り上げられる彼らの姿を見詰めていた。
 その目に、群衆の中でぶつぶつと何事か呟きつつ、やはり食い入るように罪人たちを見詰めている男を見とめた。

「甘糟様!」

 駆け寄る尚次郎に甘糟右衛門は振り向いた。

「おお新野。貴様その様子では朝帰りの途中ではないのか」
「はい、恥ずかしながら……途中で彼らの列に出くわしまして。あの、原様が……」

 甘糟は目で尚次郎の言葉を制しながら、うつむいて低く念仏を唱えた。
 だが念仏と聴きとれたのは、キリスト教の祈りの言葉であった。

 Salve regina, mater misericordiae
 vita, dulcedo, et spes nostra, salve.
 Ad te clamamus, exules, filii Hevae.
 Ad te suspiramus, gementes et flentes,
 in hac lacrimarum valle.

 Eia ergo, advocata nostra,
 illos tuos misericordes oculos ad nos converte.
 Et Jesum, benedictum fructum ventris tui.
 nobis post hoc exsilium ostende.
 O clemens: O pia:
 O dulcis virgo Maria.

 元后、憐れみ深き御母、
 われらの命、慰め、および望みなるマリア、
 われら逐謫の身なるエワの子なれば、御身に向かいて呼ばわり、
 この涙の谷に泣き叫びて、
 ひたすら仰ぎ望みたてまつる。
 ああ、われらの代願者よ、
 憐れみの御眼もてわれらを顧みたまえ。
 またこの逐謫の終わらん後、
 尊き御子イエズスをわれらに示したまえ。
 寛容、仁慈、甘美にまします童貞マリア。

 その祈りの呟きは、火刑柱の罪人たちの中からも聞こえてきた。
 罪人たちの顔は死を前にして不思議に輝き、不気味なほどに静かで、皆一斉に祈りを唱え始めたのだ。
 外国人の神父たちの一際大きな歌声が響いた。それは江戸の民衆にとっておそらく最初で最後の西洋の音楽、グレゴリオ聖歌やアンブロジオス聖歌、それらの祈りの音楽であった。
 役人たちは下働き達に、刑の執行の準備を急げと檄を飛ばした。
 焦った男達は荒っぽく切支丹たちを扱い、ぎりぎりと縄で締めあげたものだから、火刑の前に窒息しそうな信徒もいた。
 何しろ数が半端ではない。
 これまでも大勢の切支丹たちの処刑はあったが斬首が主で、時間と準備に手間のかかる火刑にこれだけの規模はなかった。
 一本一本火刑台に罪人を縛り付けて、柱を穴に入れ固定して、根元の地面を固めるだけでも相当の時間がかかる。
 やがて柱に括り付けられながら、バードレと呼ばれる神父たちは見物人に向かって大声で説教を始めた。
 私達は死を恐れない。これは栄光ある永遠の生への第一歩に過ぎないから。
 火と炎に包まれて苦しんだとしても、次の瞬間には私たちはマリア様に導かれて天国にいる。
 そこで私たちは永遠に生きる。私達だけではない。父と子と聖霊なる神を、神の一人子であるイエズスを信じる者は、お前たちの中の誰でも天国に行ける。
 恐れることはない。怯えることも悲しむこともない。今日は幸せの日だ、喜びの日なのだ。

 尚次郎は心底ぞっとした。
 死を前にして、自分自身だけでなく、自分がたぶらかした大勢の人が殺されていくのを前にして、いまわの際に彼らは何という事を云うのだろう。
 だが傍らでそれを聞く甘糟右衛門の目は輝き、呼応するように何度もうなずいた。
 甘糟様も伴天連の一派なのだ。私には理解できない人種だ。
 だが、自分には彼を役人に突き出すことはできない。
 上杉の殿様が切支丹をそのままにそっとしておいている。彼らに生きる場を提供して、生きる時間を与えている。
 それは守って行かなければならない。
 自分がわかる、わからないではないのだ。それが「義」だ。
 尚次郎は甘糟の後ろに控えて、息を詰めて処刑の準備が整っていくのを見詰めていた。
 火刑の柱がすべて地面に立てられると、今度は罪人を焼くための藁の準備である。
 まず罪人たちの足元に届くまでわらが積み上げられ、足の裏がじかに焼けるようにする。
 そして収穫後の田んぼに積み上げた稲の束のように、罪人の体をぐるりと藁で包み、頭の上まですっぽりと覆う。
 ただし顔の部分は小窓のように残しておき、最後まで焼け死んでいく苦痛の表情を民衆に見せるようにするのだ。
 全ての準備が整うと役人の下司が飛び、男達が次々と火刑台の藁に火をつけて行った。
 冬の乾燥した空気の中、赤い火は初めチロチロとくすぶっていたが、すぐに大きく赤々と燃えだし炎の舌が罪人の足を嘗め始めた。
 顔だけ出されたキリシタンたちは苦痛の叫びをあげ、獣のような声でイエスの名を呼んだ。
 それが狂人の叫び声のようにいくつもいくつもこだまし、次々と火をつけられていくその先で叫び声が新たに起こる。
 全ての罪人に点火し終えるころには、初めに火をつけられた火刑柱は罪人の胸元から顔近くまで炎を立ち昇らせ、人間の皮膚や肉が焼ける阿鼻叫喚の様が群衆たちに示されていた。
 何本もの絶叫する赤い大きなたいまつが、札の辻の空を明々と照らした。
 まだ冬の昼間だというのに、火刑で立ち上る煙とすすは青い空を真っ黒く覆い、風に乗って広がった。
 太陽は隠れ、息を飲んで見守る群衆の前で50人もの人間が生きながら焼かれていく、酸鼻を極めた光景が繰り広げられていた。
 炎のはぜるぱちぱちという音と、もう祈りにもならない焼け死ぬ人の獣の吠え声、金切声、イエズス、イエズス、マリアという絶叫。
 そして時折群衆や役人から浴びせられる罵声が混然一体となって、そこはまさしく地獄の炎のるつぼの中だった。
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