第22話 罪なき者のみ石もて打て・6

文字数 2,472文字

 不意にやや離れた処で子供の泣き声が響いた。
 火刑見物の騒ぎの中で親とはぐれてしまった子供か?
 長身の尚次郎が見物人の頭越しに見ると、先日自分に血止め草をくれた童女だ。
 肩を震わせて泣いている。

「おとうが、ぱーどれが」

 周りの大人が慌てて童女の口をふさぎ、連れ出そうとした。
 尚次郎と甘糟は素早く彼らを両脇から挟んだ。

「こちらへ来い」

 心配しなくともよい、と尚次郎は目で童女「おはな」に合図を送り、笑いかけた。
 周囲の見物人たちは侍二人の挟まれて連れていかれる童女と老人二人を何の気なしに見送った。
 彼らにとっては今目の前で繰り広げられている処刑の方がずっと関心のある事なのだ。

「切支丹か?」

 人込みから離れ、三田の鬱蒼と茂る竹林の近くまで急いだ甘糟と尚次郎は、おはなの連れの老人と老女に問うた。

「我らは公方さまの役人どもではない。もしお前らが切支丹であるなら助けてやろうと思うて声をかけたのだ」

 黙っている老人2人に挟まれ、童女おはなが涙にぬれたつぶらな目を上げた。

「わしも、切支丹なのだ」

 Pacem domine
 ラテン語の平和の挨拶を甘糟が呟くと、老人たちとおはなは地獄に仏、という必死な顔になった。

「お侍様、私らもそうでございます。このおはなの父親は、今さっき皆と一緒に火に焼かれて死んだ一人にございます。お願いです、お助け下さい」
「相分かった。わしらと一緒に上杉藩の屋敷に参れ。そこまで来ればもう安心だ」

 尚次郎と甘糟はおはなたちを庇うように、なるべく目立たない道を選んで急いだ。

「屋敷の門番小屋で一休みしたら金と旅支度を与えるから、奥州米沢に逃げよ。途中の役所を抜けるための手紙は書いてやる。甘糟右衛門ノ介信綱に直々に呼び出されたと書くから、問われたらそう言え」
「はい」
「米沢に西堀式部正禎という役人が居るから、その屋敷を尋ねよ。その男も、その妻も切支丹だ。私が文を書く」
「ありがとうございます」

 童女おはなとその祖父母は、江戸の伴天連に教えを受けた切支丹であった。
 甘糟に礼を言いつつ、ぺこぺことお辞儀をしながら一緒に歩いている。
 大人の急ぎ足に必死でついてくるまだ幼いおはなの小さな足は、辛そうだった。
 先程の惨劇を目の当たりにした衝撃で、まだ涙を流して怯えた顔をしている。無理もない。まだ五つくらいか。

『兄上に死なれた俺くらいの年か……』

 おはな、足が痛そうだ。おいで。
 尚次郎はひょいと童女を抱き上げ腕に抱えて歩き続けた。

「辛い思いをしたな。怖かっただろう。米沢に行けばもう大丈夫だ」
「お侍さんの生まれたところなの?」
「ああ。父上と母上もそこに住んでいる。お前たちが頼っていく西堀殿の妻は俺の幼馴染だ。優しくてきれいないい人だぞ」

 泣きじゃくる童女を慰めつつ、尚次郎は優しく言い交わした。

「お侍様の手、もう血は出ないね」
「ああ、おはなの薬草のおかげで治った」
「手の血とは何だお主の古傷か?」

 甘糟が急ぎ足を保ったまま、不思議そうに問うた。
 実は、と癩病院の帰りに突然起こった謎の出血を甘糟に話すと、彼はたちまち目をむいて驚いた。

「尚次郎、傷のない掌から出血する、それはイエズスが受けた十字架につけられた傷と同じだ」
「ええ、またそんなでたらめを」
「でたらめなものか。お前の懐に逃げて来た『小さき者』を助けよという神の印だ。俺はそう思う」

 尚次郎は慌てて否定した。

「私は切支丹などではありません。甘糟様」
「人の命を助けるのに切支丹かどうかなど関係がない。手を掴めば助けられるのに掴まなかったら後悔する。それだけだ」

 おはなたち江戸の切支丹三人を、甘糟と共に上杉家上屋敷に送り届けると、尚次郎は一人麻布台の中屋敷に戻った。
 幼いおはなは怖がって尚次郎の懐から離れようとしなかったが、なだめすかし甘糟に託したのだ。
 中屋敷に帰ると当然のように厳しく叱責されたが、甘糟が自分が私的な用事で呼び出し手伝ってもらったと伝えてきたので、それ以上追及はされなかった。
 それほど甘糟は上杉藩では隠然とした地位を保っていたのだ。
 坂の下にある札の辻で行われた最大規模の火刑。その匂いは風に乗って中屋敷のある麻布狸穴まで漂っていた。
 この処刑に大きな衝撃を受けた新野尚次郎純直は、翌年藩主上杉定勝の帰郷に伴い、米沢に戻った。
 帰郷後の尚次郎はその実直な性格と刀の腕を見込まれ、半の奉行所勤めへと移った。
 役職は同心で、江戸における同心と上杉藩ではやや意味合いが違い、足軽クラスの侍のことも『同心』と呼ぶ。
 勿論足軽身分の中では鉄砲隊と同じく最上位に位置する。

「無事帰って来たな。西堀様やふみも会いたがっていたぞ。小さな子供を助けたと、それまでとはお前の評価が偉く変わってな」

 米沢に帰って落ち着くなり、親友の松川信士郎は江戸の話を聞かせろと押し掛けた。
 貴様の性豪ぶりはこちらにもだいぶ聞こえているからな、江戸の女はどうなんだ。
 尚次郎は途惑った。女を抱いてもちっとも安心できなかったし、心も踊らなかった。むしろどんよりと自己嫌悪に陥るだけだったからだ。

「なんだつまらん。貴様のやり方は、お前自身も相手の女をもないがしろにするやり方だぞ」
「そんなことはわかっている。時におふみ……様と西堀様はどうだ。息災か」

 米沢の家で酒を酌み交わしながら、尚次郎は苦笑しつつ尋ねた。

「ああ。2人とも元気だよ。仲睦まじいが、残念なことにまだやや子ができなくてな」
「そうか。早く子ができるといいな。あの美男美女の子だからさぞ美しい子になるだろう」

 ふみと西堀。
 2人の睦まじい様子に安堵するとともに、尚次郎は自分の後ろを振り返った。
 何もない。俺が歩いてきたところには足跡一つ残っていない。
 自分は一生孤独なままに生涯を過ごし死ぬのだろうか。
 新野尚次郎は煩悶した。
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