第39話 トマスの指先・5
文字数 2,539文字
これにて本日の仕置きは終いだと上役が述べ、警備の侍衆が見物人をせっついて帰させた。
あとは下人たちが、全員の首を突き刺した髤首台を街道沿いに晒し、先程尚次郎が書いた罪状書きの捨て看板が添えられる。
切られた胴体の方は、処刑されたそれぞれの一族の身内が、埋葬のために桶に詰め持ち帰る。
そして再び降り出した雪が大勢の血を吸った処刑場の上に降り積もり、純白の雪原に戻すまでそう時間はかからなかった。
尚次郎は一旦奉行所に戻り、残りの職務を片づけた後、西堀の屋敷に向かった。
供周りもつけず、玄関にふらりと現れたその姿に、急いで出迎えたはなとその祖父母ははっと立ち止まった。
雪にまみれた袴の裾と草鞋が鮮血に濡れ、着物の胸元や袖、襟元にも点々と血しぶきが散っていたからだ。
「ふみは?」
「お言いつけ通り土蔵の中にいらっしゃいます。見張りの為のお兄様とご一緒です」
尚次郎は頷くと、草鞋を脱いでずんずんと屋敷に上がって行った。
主人亡き西堀の屋敷には、誰も尚次郎を制止するものはない。
屋敷の奥から入る事の出来る『内の倉』に、ふみは軟禁されていた。
重い扉を開けると、持ち込んだ火箱の脇に髪を振り乱し放心したふみ、そして兄の信士郎が坐っていた。
「ただいま戻りました、ふみ殿、信士郎」
「大変だったな尚次郎……」
ふらりと入ってきた尚次郎の血染めの姿に信士郎は言葉を飲み込み、ふみは声にならない悲鳴を上げた。
「西堀殿は、処刑役の刑吏が急病でお役目を果たせなかったため、私がこの手で介錯いたしました」
「お前が……?」
ふみはうわごとのように返した。
「はい。私が。堂々たる見事な最期でございました」
ふみは絶叫が冬の空気を割いた。
傍らの信士郎が止める間もなく、火箱の真っ赤に熱した炭を火バサミでつかむと、尚次郎めがけてとびかかった。
じゅうーっと音がして、辛うじて遮った尚次郎の右の掌が、炭の塊をつかんでいた。
人の肉の焦げる嫌な臭いが鼻を突き、尚次郎は激痛に歯を食いしばった。
「ふみ!」
信士郎が慌てて妹の体をつかみ、引き離して床に転がした。火バサミと熱い炭も土間に転がる。
尚次郎は、真っ赤に焼けただれ肉が見える掌を見詰めながら、まるで罰を受けるかのように立ち尽くしていた。
「お前が死ねばよかった! 私を死なせなかったくせに、なぜお前は生きている!? なぜ私を死なせてくれない!?」
「……貴女をお守りせよと言われたからです。西堀殿にあなたを天国でお渡しするまで、守ってくれと言われたから……」
だから私は死ねないのです。貴女と同様生きなければならないのです。死ぬことを許されないのです。
はなが雪で傷口を冷やし、油薬を塗って布で覆ってくれるまで、尚次郎は凍りついたように立っていた。
半狂乱のふみは、信士郎はじめ松川の家の者が抱きかかえ、無理やり実家に連れ帰った。
家に帰った尚次郎は、火傷から細菌に感染したのか、高熱を出して床に臥せった。
夢の中に何度も、切り落とした自分の首を抱えた西堀が現れ、親し気に話しかけた。
そのたびに浅い眠りは破られ、自分の叫び声で目を覚ます。
尚次郎は、奉行からねぎらいの手当てが渡されたことも、ふみの父や兄が見舞金と品を持参し、頭を下げに来たことも知らずに床に臥せっていた。
数日間は床に就いていたが、一度目覚めて熱が引いた後の尚次郎の回復は、周囲が心配するより早かった。
尚次郎が臥せっている間、西堀の家は空になっていた。
召使たちも夫々、あらかじめ手配されていた給金を手に別の家に雇われたり、家に帰った。
まだ幼いおはなとその祖父母は、尚次郎の手当と看病をしていたが、彼が目を覚ました後は正式に独身の尚次郎の召使に加わり、身の回りの世話に当たった。
そのころ彼は、まだ新野の実家で両親と暮らしていたが、切支丹処罰時の功績で、多少ではあるが奉行所内の地位が上がり、正式に同心身分となった。
火傷の感染症ですっかり体力が弱ってしまった上に、右の掌という、刀を握るにも文字を書くにも大切な箇所が傷ついたせいで、尚次郎は仕事に復帰してもやって行ける自信がなかった。
そんな主人にまめまめしく世話を焼くのは、使用人の中で一番小さなおはなだった。
ようやく体力も回復し職務に復帰出来るという矢先、尚次郎の家を松川家の当主・七左衛門が訪れた。息子の信士郎と一緒である。
熱が引き、火傷の傷にも薄皮が貼ってきた時期ではあるが、すっかり痩せて弱々しくなった体を尚次郎は恥じ、会うのをしばしためらった。
だが、改めて尚次郎への謝罪と共に出された申し出は、彼にとって仰天することだった。
松川の当主と息子は、尚次郎にふみを娶ってやってほしいと頼みに来たのだ。
「尚次郎殿がまだ若く、いくらでも立派な嫁を迎えられる男だという事は、我々もよく知っている。だがそこを曲げて、是非ふみを嫁にもらっていただけまいか」
松川の父はそういって深々と頭を下げた。
数年前、自分がふみを好きだと風のうわさで知り、さっさと西堀との祝言をあげさせたその張本人が、である。
その思惑は分かっていた。
事もあろうに夫が斬首刑になり、死に別れた出戻り娘を家に置いておくのは、松川家としてとても体裁が悪い。
かといって子供が産めないと噂になっていた、既に若くはない娘に、この先後家としても良縁は見込めないだろう。
困っているところに、ちょうど良い男がいることに気付いた。
幼い頃から娘を一途に思い続け、家柄と身分は低いが努力で地道に出世もし、息子の友人でもあり仁義に固い男、新野尚次郎である。
一度袖にした男だが、頼み込めばこの後家を引き取ってくれるに違いない。
その代り、松川の婿として充分に各方面への便宜ははかる。
松川家の申し出は、ざっとこんな具合であった。
新野尚次郎の両親はずいぶん憤慨したが、尚次郎の答えは決まっていた。
自分でよければ喜んで。
両親は尚次郎の面子のなさにまた憤慨したが、彼には何の役にも立たないプライドなどなかった。
あとは下人たちが、全員の首を突き刺した髤首台を街道沿いに晒し、先程尚次郎が書いた罪状書きの捨て看板が添えられる。
切られた胴体の方は、処刑されたそれぞれの一族の身内が、埋葬のために桶に詰め持ち帰る。
そして再び降り出した雪が大勢の血を吸った処刑場の上に降り積もり、純白の雪原に戻すまでそう時間はかからなかった。
尚次郎は一旦奉行所に戻り、残りの職務を片づけた後、西堀の屋敷に向かった。
供周りもつけず、玄関にふらりと現れたその姿に、急いで出迎えたはなとその祖父母ははっと立ち止まった。
雪にまみれた袴の裾と草鞋が鮮血に濡れ、着物の胸元や袖、襟元にも点々と血しぶきが散っていたからだ。
「ふみは?」
「お言いつけ通り土蔵の中にいらっしゃいます。見張りの為のお兄様とご一緒です」
尚次郎は頷くと、草鞋を脱いでずんずんと屋敷に上がって行った。
主人亡き西堀の屋敷には、誰も尚次郎を制止するものはない。
屋敷の奥から入る事の出来る『内の倉』に、ふみは軟禁されていた。
重い扉を開けると、持ち込んだ火箱の脇に髪を振り乱し放心したふみ、そして兄の信士郎が坐っていた。
「ただいま戻りました、ふみ殿、信士郎」
「大変だったな尚次郎……」
ふらりと入ってきた尚次郎の血染めの姿に信士郎は言葉を飲み込み、ふみは声にならない悲鳴を上げた。
「西堀殿は、処刑役の刑吏が急病でお役目を果たせなかったため、私がこの手で介錯いたしました」
「お前が……?」
ふみはうわごとのように返した。
「はい。私が。堂々たる見事な最期でございました」
ふみは絶叫が冬の空気を割いた。
傍らの信士郎が止める間もなく、火箱の真っ赤に熱した炭を火バサミでつかむと、尚次郎めがけてとびかかった。
じゅうーっと音がして、辛うじて遮った尚次郎の右の掌が、炭の塊をつかんでいた。
人の肉の焦げる嫌な臭いが鼻を突き、尚次郎は激痛に歯を食いしばった。
「ふみ!」
信士郎が慌てて妹の体をつかみ、引き離して床に転がした。火バサミと熱い炭も土間に転がる。
尚次郎は、真っ赤に焼けただれ肉が見える掌を見詰めながら、まるで罰を受けるかのように立ち尽くしていた。
「お前が死ねばよかった! 私を死なせなかったくせに、なぜお前は生きている!? なぜ私を死なせてくれない!?」
「……貴女をお守りせよと言われたからです。西堀殿にあなたを天国でお渡しするまで、守ってくれと言われたから……」
だから私は死ねないのです。貴女と同様生きなければならないのです。死ぬことを許されないのです。
はなが雪で傷口を冷やし、油薬を塗って布で覆ってくれるまで、尚次郎は凍りついたように立っていた。
半狂乱のふみは、信士郎はじめ松川の家の者が抱きかかえ、無理やり実家に連れ帰った。
家に帰った尚次郎は、火傷から細菌に感染したのか、高熱を出して床に臥せった。
夢の中に何度も、切り落とした自分の首を抱えた西堀が現れ、親し気に話しかけた。
そのたびに浅い眠りは破られ、自分の叫び声で目を覚ます。
尚次郎は、奉行からねぎらいの手当てが渡されたことも、ふみの父や兄が見舞金と品を持参し、頭を下げに来たことも知らずに床に臥せっていた。
数日間は床に就いていたが、一度目覚めて熱が引いた後の尚次郎の回復は、周囲が心配するより早かった。
尚次郎が臥せっている間、西堀の家は空になっていた。
召使たちも夫々、あらかじめ手配されていた給金を手に別の家に雇われたり、家に帰った。
まだ幼いおはなとその祖父母は、尚次郎の手当と看病をしていたが、彼が目を覚ました後は正式に独身の尚次郎の召使に加わり、身の回りの世話に当たった。
そのころ彼は、まだ新野の実家で両親と暮らしていたが、切支丹処罰時の功績で、多少ではあるが奉行所内の地位が上がり、正式に同心身分となった。
火傷の感染症ですっかり体力が弱ってしまった上に、右の掌という、刀を握るにも文字を書くにも大切な箇所が傷ついたせいで、尚次郎は仕事に復帰してもやって行ける自信がなかった。
そんな主人にまめまめしく世話を焼くのは、使用人の中で一番小さなおはなだった。
ようやく体力も回復し職務に復帰出来るという矢先、尚次郎の家を松川家の当主・七左衛門が訪れた。息子の信士郎と一緒である。
熱が引き、火傷の傷にも薄皮が貼ってきた時期ではあるが、すっかり痩せて弱々しくなった体を尚次郎は恥じ、会うのをしばしためらった。
だが、改めて尚次郎への謝罪と共に出された申し出は、彼にとって仰天することだった。
松川の当主と息子は、尚次郎にふみを娶ってやってほしいと頼みに来たのだ。
「尚次郎殿がまだ若く、いくらでも立派な嫁を迎えられる男だという事は、我々もよく知っている。だがそこを曲げて、是非ふみを嫁にもらっていただけまいか」
松川の父はそういって深々と頭を下げた。
数年前、自分がふみを好きだと風のうわさで知り、さっさと西堀との祝言をあげさせたその張本人が、である。
その思惑は分かっていた。
事もあろうに夫が斬首刑になり、死に別れた出戻り娘を家に置いておくのは、松川家としてとても体裁が悪い。
かといって子供が産めないと噂になっていた、既に若くはない娘に、この先後家としても良縁は見込めないだろう。
困っているところに、ちょうど良い男がいることに気付いた。
幼い頃から娘を一途に思い続け、家柄と身分は低いが努力で地道に出世もし、息子の友人でもあり仁義に固い男、新野尚次郎である。
一度袖にした男だが、頼み込めばこの後家を引き取ってくれるに違いない。
その代り、松川の婿として充分に各方面への便宜ははかる。
松川家の申し出は、ざっとこんな具合であった。
新野尚次郎の両親はずいぶん憤慨したが、尚次郎の答えは決まっていた。
自分でよければ喜んで。
両親は尚次郎の面子のなさにまた憤慨したが、彼には何の役にも立たないプライドなどなかった。