第26話 光あるうちに光の道を・4

文字数 3,518文字

 時代は激しく動いていた。
 1583年、イエズス会士アレッサンドロ・ヴァリニャーノの進言によって組織され、長崎港を出港しスペイン国王フェリペ2世、そしてローマ教皇グレゴリウスに謁見しローマの市民権を得た天正遣欧使節団の四人の少年たちも、帰国したのは既に秀吉の伴天連追放令が発布された後であった。
 旅立った時13~14歳だった少年たちには帰国後過酷な運命が待っていた。
 マカオで本格的に神学を学び、若くして司祭として活躍し病死した伊藤マンショはまだ幸運な方かもしれない。活動拠点としていた小倉を細川忠興に追放され、長崎のキリスト教学校コレジオで教えながらなくなることができたのだから。
 有馬晴信のいとこである千々石ミゲルは棄教し、切支丹大名の遺臣から生涯命を狙われた。
 原マルティノは追放されマカオで没し、長崎で司祭となった中浦ジュリアンは禁教令の後もその地に留まり布教し続け、苛烈な「穴吊り」の拷問の末65歳の命を落とした。
 共に穴吊りの拷問を受けたフェレイラ神父は余りの苦しさに信仰を捨て、仏教徒として日本人妻をめとり命永らえた。
 この件は遠藤周作の小説「沈黙」に詳しい。

 1613年、現在の宮城県石巻市、月ノ浦を出港した慶長遣欧使節はさらに悲惨であった。
 江戸で処刑寸前のフランシスコ会士ルイス・ソテロを保護した伊達政宗は、スペインとの通商交渉を目的とし、家臣の支倉常長ほか180名をスペインそしてローマへと送り出した。
 既に禁教令は発布され、十年後の1923年には江戸の大殉教で江戸近辺の宣教士五十人が火刑に処せられる未来が待っていた。
 メキシコ経由でスペインに到達しスペイン国王フェリペ3世、そしてローマ教皇パウロ5世に謁見し帰国した常長たちであったが、スペインとの通商交渉(と軍事同盟という説もある )を結ぶという結果を出すには至らず、失意のうちに帰国した支倉常長は、帰国の二年後病没する。
 死罪の淵から伊達政宗によって救われたルイス・ソテロはフィリピンのマニラに留まり禁教令下の日本に渡る機会をうかがった。
 1622年ようやく長崎に上陸できたが捕らえられた。
 再度の伊達政宗による助命嘆願もかなわず、1624年フランシスコ会士二名、ドミニコ会士一名、イエズス会士一名と共に火刑に処された。享年五十歳。
 戦国の雄・上杉景勝が没し、子の定勝が米沢藩を継いだ1623年には、既に慶長の禁教令、二代将軍秀忠による元和の大殉教、江戸の大殉教、1620年(元和六年)の陸奥仙台藩の迫害の開始など、キリスト教迫害の動きは速さと激しさを増していた。
 景勝からまだ十九歳という若い定勝に代替わりし、戦国の世から付き従ってきた海千山千の家臣たちも次々と没していくのを見て取った徳川政府は、米沢藩への切支丹取り締まり、そして転向に応じない者への処刑を厳しく迫った。
 伊達、蒲生、最上の諸藩から逃れてきた信徒達で米沢の切支丹人口はますます増え、上級の藩士たちの指導のもと静かな信仰生活を送っていたとはいえ、藩の奉じる寺社と違う信仰を持つ一団が膨れ上がっていく事に危機感を覚える家臣たちもいた。
 特に重臣の一人、広井出雲忠佳は厳しい取り締まりと処刑を含む処罰を定勝に進言した。
 年老いた家老・志田修理は藩政への影響を恐れて迫害には反対をした。
 藩内の切支丹たちは謀反の意志など持たないし、寺社を信じる他の住民たちとの関係も良好で、病人や貧しい者たちへの振る舞いも申し分ない。
 そしてなにより、越後から会津を転々とし、共に苦労を分かち合ってきた古参の藩士・領民たちが多かったからである。
 彼の父の代から懇意にしている甘糟右衛門一族、また城中で頻繁に出会う西堀式部たちが中心となっていることを十分承知していた。
 あのように優れた者たちを、信じるものがたまたま違うというだけで根こそぎ失うのは余りにも非道。
 志田修理は上杉家を支える強烈な仲間意識を定勝にも伝えようとしていた。

 上杉の若き城主定勝と同い年の将軍・徳川家光は冷酷な性質だった。
 二代将軍を父に、その正妻を母に持つ徳川家始まって以来の「将軍になるべくして生まれた子ども」は、麻の如く日本中の侍が入り乱れた戦乱の世を知らない。
 生まれる四年前に関ヶ原の戦いで徳川家が実質日本の主導権を握り、15歳で大坂の陣を経験するまでひたすらに「ひのもとの第一人者」の後継ぎとして英才教育を受けてきた。
 頑なで自尊心の高い利発な少年の眼には、祖父の家康の影を払拭できず絶えず顔色を窺っている(ように見える) 父、秀忠が軽く映った。
 少年はむしろ、偉大な祖父の背中を追いたかった。
 祖父の家康、父の秀忠が推し進めたキリシタン迫害、禁教をより苛烈な方向に進めた理由は、家光の情に薄い性格にもあったのかもしれない。
 家光の耳にも京、長崎等西国のキリシタン情勢とともに、ろくに南蛮人の神父も訪れない東北の地でのキリシタン保護の話は届いていた。
 そして陸奥の大名たちにキリシタンの根絶やしを命じた。
 上杉家の老臣・志田が案じたのはこうした若き将軍の尊大さ、カリスマ性への危険な憧れでもあった。
 景勝亡き後も徳川への全面的に忠誠を誓った伊達藩やその周囲から上杉藩へ流入するキリシタンは止まず、元々藩内にいた信徒と合わせると三千人を超える。
 それを根絶やしにするというのは厳しい環境の子の地にあって、藩の生産性の急落を意味する。
 だが、徐々に志田の権限は少なくなってきた。
 二年前に若き君主上杉定勝の婚礼を取り仕切って以来、戦国の世を上杉家と共に戦い抜いた老臣は少しずつ藩内の力が衰えつつあった。

 干し柿が吊るされた西堀家の、その奥の間では、主人の式部と新野尚次郎の膝を突き合わせて話が続いていた。

「今日奉行所内で聞きました。殿の衣装係をしておられる高橋清左衛門殿をご存知でしょう」
「ああよく知っている。わしらの仲間でシモンという名を賜っているりっぱな男だ」
「高橋殿がお仕えしているのは、志田修理様と反対のお立場のご家老広井出雲様です」
「ああ。高橋も辛い目におうているという事も聴いている」
「ならば、高橋殿が殿のお衣装周りのお世話から、広井様の屋敷の門番に降格させられたという話は?」
「それは…耳にはしたがまことの事か信じられなかった」
「本当でございます。私ども下々の耳にはよく聞こえてきます。高橋殿は妻子共々切支丹のはず。そこを責められ、転ぶことを強要されていたのです」
「……」
「些細な事や、成してもいない失態の濡れ衣を着せられ、今やご家老の広井様から扶持を召し上げられご一家は苦しんでいます。西堀様がご存じない事はありますまい」
「わしらは苦しみをそのまま受け入れる。シモン高橋も御心に適うよう生きているだけだ」
「お気を付けください。次に広井様や志田様が狙うのは西堀様、貴方様です」

 尚次郎は背筋と首をしゃんと伸ばし、西堀の瞳を見詰めた。

「志田様があなたを改心させようと狙っております。それはあなたと、領内のキリシタン皆を助けたいがためです。そこをお考えなされませ」
「……忠告かたじけない。尚次郎。お前の気持ちはわしもふみも嬉しい。危険を冒して、よう注進に及んでくれた」
「それでは」
「だがわしらの心は決まっている。よその藩で行われているように折檻を受けるのであれば、それも皆喜んで受けいれよう。その覚悟は皆できている」
「貴方様はそれでもいいでしょう。だが女子供は、妻子は…」
「女たちも子供らも、皆喜んで死んでいくはずだ」
「おやめください。せめてふみ殿だけは」

 言いかけて尚次郎はハッと口をつぐんだ。
 西堀が澄んだ真っ直ぐな目で自分を見返していた。

「失礼仕りました。ついつい出過ぎたことを口走ってしまった由、お許しください」

 これで失礼いたします、尚次郎は席を立ち廊下へ出た。
 玄関に向かう廊下に、小さなおはなを従えたふみが立っていた。

「ふみ殿、私は……」

 あなただけでも助けたい、と尚次郎は言いかけた。

「お気遣いは有り難く。尚次郎殿の気持だけ頂戴いたします。その優しさはこのおはなにお向けください。この子はあなたが助けてくれた子供ゆえ」
「……もちろんです。それでは」

 尚次郎は唇をかんで、西堀の屋敷を出て行った。
 言葉は柔らかくとも真っすぐ激しく、彼の気持ちは拒絶されたのだ。
 ああまた俺は若い頃と同じ堂々巡りをしている。屋敷に帰る尚次郎の足取りは重かった。
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