名前

文字数 2,055文字

 4月15日

  帰宅部だからと図書委員に任命された僕は、図書室のカウンターで返却された本を所定の棚に並べる。

  戻す本が3冊しかないことから、昨今の活字離れが顕著に表れているな、と社会学者気取り
の感想で、本を棚に差し込む。

  まあ、これくらいの仕事なら、やらされてもいいか。僕は読書は好きな方だから。好き、と
いうよりか日常的にやらないとなんだか気持ち悪い。ルーティーン化している時点で、結局それ
は好きってことなんだろうな。

  もう一人の図書委員の女子は、無遠慮にテニスコートでラリーをしている。この図書室は2
階で、その窓からテニスコートまではかなり近い距離にある。

  僕がもう少し勇敢だったら、少しは手伝ってくれ、なんて苦情を言えただろうか。『もや
し』なんて呼ばれずに済んだだろうか。

  背中を向けて部活に集中している彼女が、急に、本当に急に、踵を返してこちらを向いた。

 目が合う。

 なんでか知らないが、僕の方が罪悪感を覚える。クラスの明るいグループにいる女子。

 名前は確か。

 「あ! やっぱりそうだ!」

 風見風香(かざみふうか)。


 「ごめん! すっかり忘れてた!」

 明るいグループの人間なのに、僕に謝罪をする彼女は、変な人だ。


 「マジでごめんね。仕事、もう終わっちゃった?」

 体操服姿で火照った身体を冷まそうと、手で首元に弱風を送る風見風香。リスっぽい、端的に
言えば美人よりも可愛いと呼ばれるタイプの顔立ち。

 「あ、ええと、もう、終わりました」

 「ええ! 終わっちゃったんだ」

 「あ、でも、仕事ってほどの量はなかったので、僕一人でも全然大丈夫でしたよ」

 それは本当のことだ。素直に打ち明ける。これからを考えるなら、多忙だったと誤魔化して、
負い目を感じさせても良かったかもしれない。そういう計算ができないから、あの時、僕は負け
たんだ。

 あの時…、大きな力の前で無力だったんだ。努力は無駄な作業なんだ。

 許せない。悔しい。なんで僕だけ。

 「ちょっと!」

 「わあっ!?」

 風見風香の声で、我に返った。

 「どうしたの? 急にボーっとして」

 「あ、ええと! 昨日は眠れなかったから、小説の読み過ぎかな」

 変なやつだと思われたくなくて、寝不足だと嘘を吐いた。

 小説、と言ってしまったのはミスだったか。漫画やアニメ、ゲームでもよかったかもしれな
い。彼女には馴染みのないコンテンツを鑑賞してて気取っているなんて思われていないだろう
か。

 「ふうん」

 何気なく呟く彼女。

 そして僕に問う。

 「なに読んでたの?」

 「え!?」

 「小説、なんて題名?」

 ポケットからスマホを取り出す。部活から抜け出した時にでも持ち出したのだろうか。ちらと
見えたウェブブラウザの画面が、焦燥を煽る。

 「もしかして、エッチなやつ? それなら追求しないけど」

 「ち、違います!!」

 「じゃあなに?」

 「あ、ええと」

 昨日は小説なんて読まずに快眠だったからな。

 小説をたくさん読んできた頃の記憶を辿る。

何が面白かったっけ。

 「の、ノンフィクションのやつで」

 あれがあった。きっと彼女も知ってるであろう。今でも世間を賑わしているノンフィクション。

 「『令和の怪盗』って知ってますか? 悪人を制裁する人の称号」

 喋っているうちに本の内容を思い出す。

「昔は、本物だけがいたみたいですね! 悪徳業者の情報を盗み取ったり、窃盗犯から暴力を加
えず金だけを取り返したり。今となっては、なりすましによる過剰な制裁が目立って、本物の姿
が分からない」

そして本物は、地方の限定品であるカエルマンの面をしていたという。

 「そう」

 彼女の反応は素っ気なかった。つまらなかったかな。そういう話題には食いついてきそうだっ
たのに。

 「そんな事よりさ」と彼女が笑顔を取り戻す。

 「なんであんた、敬語で喋ってんの?」

 「え、それは…」

目の前の女子に気後れしながら渋々答えた。

「僕は、ダサい方の男子だから、風見さんみたいな女子と話すのは、少し怖くてですね…」

 「タメ語でいいじゃん。敬語の方がもっと気持ち悪いからやめなよ」

 「もっと気持ち悪いって、それじゃあ僕が、最初から気持ち悪いみたいな言い方…」

 「え、違うの?」

 「全然違います…、いや、全然違うよ!」

 自分は気持ちの悪い部類の男子だという自覚はしているのだが、他者から言われると傷つく。
女子から言われればなおさら。

 咄嗟に出たタメ語に、風見風香は笑った。

 「よく言えました。褒めてあげよう。…ってやば! 早く戻らないと部活終わっちゃう!」

 じゃあね、と言いドアを開けようとした彼女は、ふと何かを忘れたかのようにこちらを振り返
った。

 「気持ち悪いなんて思ってないよ。むしろ素材は良いんだから。あとは男の子らしく自信を持
てば、もっといい男になれるよ」

 「ええと…ありがとう」

 相手を持ち上げるためのお世辞に、まんまと喜んでしまう僕の気なんて知らない彼女は、快活
に笑った。

 「またね、高取(たかとり)君」

 僕のことを『もやし』とは呼ばなかった。
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