神原陸斗

文字数 1,161文字

「うちの未熟者が大変お世話になりました」

 史上最優良の吹上市市長と名高い足利守が、こんな小さなビルの一室で、一介の私立探偵に
深々と頭を下げて謝意を述べる。こんな光景を果たして想像できただろうか。

 「帰国の際は、再びお世話になると思いますので、何卒ご容赦を」

 「いやぁ…、その…、駆…、いや、駆くんは…」

 俺の方は言葉が出なかった。琴音や、あの女探偵を相手にするのと同じくらいプレッシャーを
感じる。

 この人は、やり手だと、一目見ただけでも分かる。

 「しかし」と俺の緊張を気にすることなく足利さんが話し始める。

 「神原さんが家にお越しになるとは思いもしませんでした」

 壮年の中では若い部類の男が笑う。その顔は駆によく似ている。

 そう、俺は、駆が父親に金を借りる日の前日に、足利邸に足を運んでいた。絶縁状態のような

親と子の状態で2億なんて借りれるわけがないから、前もってご挨拶、そして駆がいま何をして
いるかを腹を割って話した。もちろん、駆にはそれを言っていない。

 したたかな家族だった。足利守だけでなく、妻と、そして長男と三男までもが、『令和の怪
盗』の正体を知った上で駆に接していたという。さすが、全員が大きな結果を残している一家だ
けある。

 「つまらないものしかお渡しできずにすみませんでした」

 百貨店で急いで購入した茶菓子しか手配できなかったのは痛恨のミス。パチンコとカエルマン
のグッズで予算が無かったという事情は墓場まで持って行くことにする。

 「いやいや、構いますまい。うちの未熟者を育てて頂いたことに感謝しております」

 「俺は何もしてませんよ」

 「ご謙遜なさらず。あの未熟者も少しは、いい目をするようになりましたので」

 言われてみれば、駆は少し成長した気がする。でもそれは俺のおかげじゃない。この優秀な家
族への競争心と、失いたくない人との出会いがそうさせた。そして何より、駆自身が足搔き続け
たことによる結果だ。俺と対等になる日は近い。

 30分ほど話し込んだのち、若き政治家は探偵事務所を後にした。

 驚いたのは、息子に2億も投資できる懐の広さ。精神的な懐はもちろん、実際の金銭も余裕で
持ち合わせているとは。信頼できる探偵さんだからと、株式投資を密かに行っていることを暴露
した時の顔は、いたずら好きの幼子のようで、駆そのものだった。

 あの父親に似ているなら、俺は追い抜かれるな。依頼の量を増やすか。

 駆は、俺を師事した女のもとで、もっと大胆で優秀な人材になる。

 身震いした。

 怖くて、楽しみで、心が躍っている。

 まあでも、あいつが抜けた穴を誰かに埋めてもらわないとな。補えるのは、大洋、風香くらい
だろうか。あいつらにも俺と対等になれるだけの素質がある。

 「お前は…」

 ぼんやりと今後の人事を考えていると、予期せぬ来客が現れた。


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