どうしてだろう

文字数 2,661文字

 どうしてだろう。

 私は、意外にも平気だった。

 昨日は、深夜の時間帯まで食べ物が喉を通らなかったけど、ひとたび眠ってしまえば、昨日の
闇が何事もなかったかのように消え去り、冷蔵庫にストックしていた3個のプリンがたちまち空
になってしまっていた。

 脳裏に焼き付くのは、身体が浮き上がる感覚。

 私を襲う男子たちから守るために取った、足利駆の大胆な行動。平気で人の命を脅かす真似が
できる彼に呆れながらも、私の心は確かに躍動した。

 彼の顔を思い出すと、どこかに隠れてしまいたいくらい心臓が跳ね上がる。

 健次郎さんやアオイ先生とは異質の安心感。本心をさらけ出すことへの恐怖心。

 思い出してからは、ずっと彼のことを調べていた。

 令和の怪盗。

 知ってしまった。

 彼が私と同じように苦しんでいることを。

 彼が私に掛けた言葉は、かっこつけなんかじゃなかったことを。

 『俺が令和の怪盗だ』と題した動画が再生される。

 『ざまあみろおっさん! 誅殺してやったぜ! 殺してねえけど』

鼻血を垂れ流して地面に転がる壮年と、顔を歪めて笑う青年。その動画の青年は、うめき声を漏
らす壮年と映り込み、ピースサインを作っていた。

『俺が令和の怪盗だ!』

 動画のタイトルと同じ語句を吐き捨てた。足利さんとは全く異なる声。

 他にも似たような動画が数件ほどあった。その全てが、暴力的な内容で、正義を盾に、痴漢や
万引き犯、いじめを行った中学生たちを必要以上に殴り、蹴り、金を巻き上げた。泣きながら謝
る加害者をいたぶり、ネットへ晒した。おそらく、自分たちのカタルシスのために。目立ちたい
だけ、自己顕示のために。

 謝らなきゃ。

 無責任な人間たちのせいで、世間から悪者扱いされた『令和の怪盗』。その正体がバレた日に
は…。

彼の苦痛は、きっと計り知れない。



△△△△△△△△△△△△



 「これが青春ってやつか」

 青空の下、大きな海辺を正面に、大泉大洋が感慨深そうな声を出す。

 「よし、お前ら! 夕陽に向かって走ろうぜ!」

 時刻は午後の2時。俺も風見も、大泉の声に賛同しなかったが、弟も妹も呆れ顔を作る中、大
泉は1人で海沿いに突っ走った。

 「駆くんたちは分かってると思うけど、アレがお兄にできる精一杯の気づかいだよ」

 拓海が達観したように言う。

 「ホンっと、あれ見てると私たちが抱えてる悩みなんてバカみたい」

 海莉がフッ、と空気を吹き出して笑った。

 「お前らも来いよー! 駆も風香も、いつまでもクールぶってんじゃねえぞ!」

 ああ、仕方ねえな。

 的外れな言葉を自信満々にチョイスできる大泉には完敗だ。

 「おら、相手してやるぞ、あのバカに」

 隣に座っていた風見を見やると、俺と同様、すでに立ち上がっていて、意志が同じことに気付
いた。

 「いつまでもしょんぼりしてたら、それこそ海莉ちゃんの言ってた通り、腫れ物扱いだわ。1
人がイヤなら私がクラスで派閥を作ってやればいいんだから! ていうかあのゴリラ、底抜けに
明るくてイラついてきた」

 「それは同感。海に突き飛ばしてやろうぜ」

 靴を脱ぎ捨て、安定しない砂の足場を駆ける。

 中学時代を思い出す。

 一瞬でも学校生活が楽しいと思えた、あの時を。

 過去を憎んでいた俺は、決してその全てを憎んでいたわけでないことに気付く。

 Ⅴ字兄弟、令和の怪盗、大きな失敗。

 今は、今だけは、どうでもいい。

 最悪から立ち直るための、楽観的な今を、思いきり楽しめ。

 「んおっ、駆、やめっ…おあ!!」

 仕事でしか使わなかったトップスピードで金髪の巨体を海に蹴飛ばした。

 『お前の悪い空気は伝染する』

 いつか、兄か父親に言われた言葉。悪い空気は伝染して、周りに悪影響を与える。

 当時は、歯噛みした。調和を第一に考えろと、脇役のように俺を扱う家族に憎悪を覚えた。

でも、今は違う。

逆だってある。そう思える。

俺が笑ってれば、こいつらだって、針本だって、伝染してくれる。

閃きのように、天啓のように、舞い降りた解釈。

肩が少し、楽になった。



△△△△△△△△△△△△




 午後6時過ぎ。

 ほの暗い夕闇の中、神原探偵事務所へ向かう。

「他に頼もう」

 健次郎さんの思いがけない一言に、表情が固まった。

「君に乱暴な言動や行動をとる男だ。それに彼はまだ君と同じ年の子供。『令和の怪盗』だから
と信じすぎていた」

「待って!」

手を掴みそうな勢いで声を出すと、前を歩く健次郎さんの足が止まり、私に振りむいた。

二の句を継ぐ、必死につなぐ。

「足利さんは…、悪い人じゃなかった!」

「でもね、小毬。君に触れられるのをいいことに暴力を振るってきたのは事実じゃないか。性格
や方針が変わっても、起こってしまった事実は変わらないんだよ。それに、一度したことは2
度、3度と繰り返してしまうのが人間なんだよ。アオイ先生だってそうだったじゃないか。君に
触ろうとして僕が制したにもかかわらず、僕のいないところで君に触れ…」

「違う!!」

何が違うのか、自分でもよく分からなかったが、分かることと言えば、健次郎さんの言葉に、生
まれて初めて鬱陶しさを感じたということだった。

「私が悪いの! 他の誰かのせいにするのは、やめてよ!」

言ってしまった。

初めて、健次郎さんに反抗してしまった。

私を守ってくれたのに、私は彼の恩を仇で返すような言動を取った。

怒られるだろうか、呆れられるだろうか。しかし、不思議と、その感情は小さかった。

「針本!!」

遠くから、第三者の声が聞こえた。

 声の主が、あっという間に近づき、あんなに速く走ったのに息切れを一切することなく、私の
名前をもう一度呼んだ。

 「針本、ちょっといいか」

 交渉する言い回しのくせに、否応を示す間もなく手首を掴まれた。

 不快な気持ちどころか、それを嬉しく思ってしまう私は異常だろうか。

 「その手を離しなさい」

健次郎さんが、かつてアオイ先生に向けたような冷徹な顔で足利さんを睨む。

「そして、ちょうどよかった。君の上司に伝えなさい。もうあなたたちとは関わらない、と」

「…10分だけ、こいつ借りてく」

相変わらず他人の言うことを素直に聞かない自己中ぶり。それがこの状況でもまかり通ると本気
で思っている図々しさ。

こんなにも頼もしく思えるとは。

「待て!」

『令和の怪盗』が、初夏の生ぬるい大気を切り裂く速さで、健次郎さんから私を奪い去る。
身体が火照ったのは、一緒に走ったから、だけではなかった。

砂浜の上で投げられたのと同様に、気持ちがふわりと浮き上がる。この人に、私の全てを委ねて
しまいたいと本気で思ってしまいそうだった。


ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み