3年前 9月

文字数 1,554文字

 3年前 9月

 沈みかける夕日。閑散としたグラウンド。控えめに吹く風が、残暑で火照った身体に癒しを与
える。

 俺は、10分間のストレッチを終えて、靴で引いたスタートラインに立ち、土を強く蹴り上げ
て走った。

 居残り練習。砂漠のように大きなグラウンドを、一人、走った。

 居残り練習とは言っても、誰かから強制されているわけではない。俺は、自主的に走ってい
る。かっこよく言えば自主練だ。俺が有能だということを周りのバカどもに証明するために走っ
ている。毎日欠かさず走っている。

 自分で課したノルマの半分、100m走5往復を終えて一息つくと、足元に球体が転がってき
た。

 まただ。

 「足利だ! またやってる! バカじゃなの?」

 30m先のテニスコートに、目を三日月のように細めて笑う女が1人。

 「他人を侮辱することに時間を使うお前の方がバカだと思うけどな」

 「またそんなこと言って…おい待てぇ!!」

 風見風香の反論を待つことなく、俺は自主練を再開した。

 隣のクラスの風見風香。

 顔の造形は美人ではなく丸っぽい顔立ち、動物に例えるならリスみたいな顔をした女。誰にで
も気さくに声を掛けることからか、男子たちから少しだけ人気のある女。

 俺の存在が余程おかしいのか。少し前までは女子たち数人で固まって俺のことを冷やかしてき
ていたのに、最近では風見だけが俺を笑いに来る。

 俺のことを滑稽に思ってたとしても異常だ。もう学校には教師くらいしかいないだろうに、俺
を茶化すためだけに、この寂れた夕暮れのグラウンドにいるわけだから。何らかの他意があるの
だろうか。宿題の代行ならお断りだが。

 「お友達はどうしたんだよ?」

 自主練を終えて、電柱にあるナイターのスイッチを落とし、グラウンドを真っ暗にする。

 「みんな塾とか家の用事で先に帰ってる」

 風見は、ぎこちない様子で答えた。

 「絶交されたのかと思ってた」

 「んなわけないじゃん! バーカ!」

 俺の発言で取り乱す風見。愉快だ。

 「じゃあ、なんなんだよ。頼み事か? 悪いけど俺、見ての通り忙しいから」

 少し苦しめてやりたかった。他人の非難に時間を費やす凡人代表みたいなこの女を。

 「それも違うってば」

 妙な間が空いた。下を向いて黙り込む風見。

 早く言えよ。もどかしいな。

 すると素早い手つきでカバンから何かを取り出した。それを俺の腹に押し当てる。ほんのり冷
たい。

半透明の白濁したスポーツドリンクのペットボトル。ラベルを確認する。ちょうどいい飲み心地
で糖分控えめの、俺の大好きなスポーツドリンク、『スウェットアルファ』。

 「なんだこれ? 毒でも入れてんのか?」

 「渡さなきゃよかった」

 強い手つきでペットボトルを俺の手から引きはがそうとする風見の顔は、驚くほど真っ赤だった。

 「わ、悪かったよ! 謝るから!」

 勢いに気おされて、俺は謝ってしまった。

 「よろしい」

謝罪を満足げに受け取った風見は、矛を収めてくれた。

「これ、俺にくれるってことか?」

「いちいち聞かないでよ、めんどくさい」

お前も大概だろ。声には出してやらなかった。

のどがカラカラだったことを思い出す。

さっそく蓋を開けて一気に飲み干す。

火照った体内に差し込む冷水、仄かな甘みがアクセントとなり、俺に幸福を与える。運動を終え
て飲み干すスポーツドリンク、この刹那が他の何よりも愉快だ。この刹那でしばらく、家族のこ
となんて忘れていられる。

自然と言葉が出た。

「ありがとう。助かったぜ」

「べ、別に! あんたが惨めに努力してたから、ほんの少しだけ恵んであげただけよ! ていう
か、大げさすぎない!? たかだかスポーツドリンクくらいで」

再び顔を真っ赤にして取り乱す風見。

心が緩んだ。

言葉にしたけど、こいつ、本当にいいやつじゃん。

こいつに対しての警戒が解けた。
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