反撃

文字数 1,956文字

 『カエルマンⅢ』が登場したころには、季節は夏になっていて、俺たちは当たり前のように連
絡を取り合い、頻繁に会う仲になった。

 高取琴音がどういう人間かが、この数カ月でよく分かった。カエルマンには目がないことはも
ちろん、学校ではカエルマン研究部という学校非公認のグループで頼れる部長だということ。そ
れを自慢げに話す純粋で無邪気なところ。学力も俺より頭がいいからと、少々意地っ張りなとこ
ろ。自分ほどじゃないけど頭がいい弟がいること。

 そして何より、俺が一番いいなと思ったのは、俺に遠慮がないこと。

 「神原くんって箸の持ち方へたくそだよね」

 ファミレスでチキンカツ丼を口に運んでいるときに、高取は突拍子もなく俺に指摘した。

 「へえへえ。俺より出来るところ探すのに必死なんだな」

 大人の余裕めいた小さな笑いで見つめる年上に、皮肉で抵抗する。

 「もう。またそうやって素直じゃないこと言うんだから」

 次は子供のように取り乱す。

 俺の手に触れた。

 「はあっ!?」

 「特にこの指が、ダメなんだよね。箸と箸がクロスしたらダメなんだよ。ほら、一回掴んでみ
てよ。そこのカツ」

 心臓が飛び出るかと思った。聞かれたくないのに心拍の音が次第に大きくなる。

 「いやいや、お前、手」

 「ん? 私の持ち方は正常だと思うけどな。…ああっ! ごめん!」

 熱いものを触れたようにさっと俺の手から自分の手を離す高取。

 妙な沈黙が、数瞬。周りの喧騒だけが鮮明に響く。

 「神原くん」

 高取が何かを言おうとした。

 直後。

 「カエルオタクじゃん。何やってんの~」

 軽薄でイラつく声が、高取の声を遮った。

 「あ、ええと…」

喋ろうとした本人は、突然の知人の声に黙り込んだ。どうやら只の知人ではないらしい。

我慢しかねて、邪魔するなと、見るからに軽薄そうな女子どもに言おうとしたが、俺の顔を見て
いたこいつらに先回りされた。

「え、待って、やばい! 神原くんじゃん!」

「ホントだ! 超久しぶりなんだけど!」

誰だよお前ら。覚えてねえよ。

「どっかで会ったか? わりい、思い出せない」

正直に打ち明けると、「ひどーい!」とわざとらしく身体をくねらせて笑った。

「神原くんと同じクラスにいるユイちゃんたちとカラオケ行ったじゃん!」

「ああ」

言われてようやく思い出す。そういやこいつら、いたな。数合わせで仕方なく言ってやった合コ
ンで、色恋の話ばっかりしてた、つまらないやつら。ピエロのように見苦しいネイルとメイクが
不細工な骨格を覆い隠す。

あの時は楽しかったね、とたった2時間、それも10人規模でカラオケボックスにいたのに、俺
との特別な思い出のように感慨にふける女子ども。

一通り話し終えると、こいつらは俺と高取を見比べるようにして視線を交互にさまよわせた。

顔をしかめて、不愉快そうな顔で、聞いた。

「なんで?」

と。

「なんで、神原くんと? まさか」

意地汚い笑みだった。挑発的で、相手を完全に見下した表情。それを、暗澹に沈み込んだ高取に
だけ向ける。高取の身体が、小刻みに震えている。

「んなわけないでしょ! このオタクだよ」

「絶対違うよね!? 暗くてきもい女と神原くんが? ありえない」

2人組の1人が、高取のバッグを勝手に手に取り、ジッパーを開放する。カエルマンの1体を気
やすく持ち上げ、高らかに笑った。

「あんたさ、恥ずかしくないの? こんな小学生みたいな趣味してんのにさ、完璧で見てる世界
が違う神原くんに色目使っちゃって。神原くん、知らなかったでしょ? こいつは気持ち悪いオ
タクなんだよ」

「そうよ! 高望みしてないで、いつもみたいに気持ち悪いオタクどもで群れてりゃいいのよ」

流石に腹が立った。

ああ、言ってやろう。

ベタな展開だけど、こいつ、俺の彼女だからって言って抜け出してやるか。こいつらなら効くだ
ろう。反撃として意味がある。

言葉の攻撃を放とうとした、その時。

「返して!」

高取が、奪われていたバッグとカエルマンを、ひったくるように、自分の手元に強く引っ張り、
取り返した。

「そ、それに、私の友達と、この子たちのことを、悪く言うのは、許さない。あ、あなたたちよ
りも、優しくて、信用できる人たちだから」

俺の口元から笑みがこぼれた。見ているだけの俺は、他人事なのに気分がよかった。

弱そうに見えた高取琴音は、ここぞという場面で、ちゃんと強かった。

「はあ? そんなこと言って許されるわけ?」

「休み明け、全員で遊んでやるから楽しみにしててね」

「あなたたちなんて、こ、怖くないから!」

「はあっ!?」

 取り乱したバカを見て、俺は、ゆっくりと立ち上がる。

「そういうことだ。じゃ、俺たちはここでお暇するぜ。お前らは阿保みたいに恋バナやってな」

怯えながらも強くあろうと震える高取の手を取り、連れ去るように、俺たちは店を出た。
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