バカ

文字数 3,085文字

 1年前を思い出す。俺が高校で謹慎になった日。

 他校に因縁を付けられた俺は、その20人の雑魚どもを病院送りにした。返り血のこびりつい
たTシャツを見て、拓海は言葉を失い、海莉は泣き叫んだ。

 「親代わりになるって言ったじゃん!!」

 病気で死んだ母さんと交わした約束。気に入った女のもとへと消えたクソ親父から、海莉と拓
海を守るために決意した親代わり。

 「仕方ねえだろ」

 弱いやつは、俺を狙わない。

 俺の身の回りにいる人間を狙う。卑怯なやつら。

 病院送りにした他校のクズどもは、束になって俺の仲間を一人ずつ拉致し、ボコった。

 「あいつのせいだよ。大泉がいるから、俺たちが狙われんだよ」

 「そりゃそうだけどよ…」

 たまたま通りかかった陸橋の下。仲間を呼ぶ声が、寸でのところで止まる。

 「なんで東工に来たんだよ。もっと強え高校あったろ」

 「もう嫌だよ、あいつ」

 「ありがた迷惑だな」

 何かが崩壊するような感じだった。

 ああ、そうか。

 ありがた迷惑、だったのか。

 今まで助けてあげたのは、なんだったんだ。

 困ってるやつがいたら助ける。助けられたら礼を言う。それでいいじゃないか。

 分かんねえ。

 俺は、バカだから。

 「真っすぐ進めば? お前はバカだし、繊細なこと分かんねえだろ」

 迷いながらも、親友の言葉を頼りに、俺は他人を助けた。バカ正直に助け続けた。1人に寄っ
てたかって脅す奴ら、弱い立場の人間から金を取ろうとする奴ら、女に手を挙げるやつらを、
次々に成敗した。

 駆みたいに、俺は誰かの正義になりたかった。

 自分よりも明らかに大きくて強そうな俺に、たった一人で立ち向かったあいつに、俺はなりた
かったんだ。



△△△△△△△△△△



 「悩んでんじゃねえよ、バカのくせに」

 今、一番欲しい声が聞こえた。

 チンピラどもの中から、確かに聞こえた。

 幻聴だろうか。福太という大柄な男の打撃で、頭がおかしくなったか。

 しかし、意識は辛うじて現実にある。

 信じる、か。

 俺にそれが足りなかったから、海莉も拓海も、そして学校の仲間にも、余計なお節介をしてし
まった。

 そう考えると、助けられるのも才能だな。助けてくれる仲間を信じて待つ力。その証拠に海莉
は、刃先を向けられても、毅然と意識を保っている。怖いはずなのに。他者である俺が下手に暴
れたらどうなるか分かってるはずなのに。

 「お兄!」

 俺を、信じてくれている。

 「私は、大丈夫だから! 私だって、ちゃんと強いんだから!!」

 だから。

俺も。

 「うおおおおおおお!!!!!」

 自分でも信じられないくらいの怪力で、巨体の顔面を殴り飛ばした。

 「フジワラ…、フジワラ…」

 殴ったこちらの拳がヒリヒリと痛い、手応えのある一撃に、巨体は立ち上がることは無く、ま
た例のごとく、泣きじゃくった。

 さすがにまずいか。

 案の定、藤原が持つ凶器が、海莉に襲い掛かる。

 …凶器?

 目を凝らしてよく見ると、それは異常に緑色で、まるで野菜のような。…いや、あれは、野菜
だ。

 「女を傷つけるためにたーっぷり研いでやったこのナイフ、いや、このキュウリで満遍なく楽し
ませてやるから覚悟しな! …、キュウリ? なんでじゃ!!」

 フッと息がこぼれた。張り詰めた顔の筋肉が一気に緩む。

親友に感謝だな。八百屋に行った帰りにでも変装して寄って来たんだろう。

 「おい、おっさん」

 「ひっ、ひぃぃ!! くっ、来るな!! お前ら! 福太ぁ! 何とかしろ!!」

 助けを求める藤原の声に、何人もいる仲間は応えない。肝心の福太も戦闘不能の状態で「フジ
ワラ、こいつ、ツヨイ、イヤだ」と、力なくリーダーの命令を拒んだ。

「俺の妹を傷つけたお前を、きっちり成敗してやるからな!」

 「まっ、待ってくれ! 金や女はいくらでも持ってる! お前に少しは分けてやるからな、だ
から暴力は、待っ…」

 固めた手の甲が、相手の顔の肉に潜り込む感覚。餅を手で抑えつけたように柔らかく、弾力が
ある。顔にめり込んだ拳は、そのまま相手の肉体ごと弾き飛ばす。

と同時に、永久歯が数本、宙を舞った。


△△△△△△△△△



 半グレどものリーダーを大泉が気絶させたことで、手下から殺されるのではないかと肝を冷やしたが、そんな事は無かった。みんな、大泉の強さを身を持たずとも知らされたわけである。

そんな半グレどものリーダー格2人は、救急車に乗せられ、搬送された。おそらく警察病院に送
られるだろう。

通報者の俺たちも署まで同行されると、俺は腹を括っていたが、奇跡的にそうはならなかった。
この『BAR・ニューヘブン』では、客と従業員同士が揉めて喧嘩をすることがよくあったみた
いなので、今回もそうだろうと判断された。

 真犯人を突き止めない警察のいい加減さで、俺はカツアゲの冤罪を喰らったが、今回ばかり
は、そのいい加減さに助けられたかも。『令和の怪盗』の正体がバレると、探偵事務所にも居ら
れなくなる。

 「まさかお前も来てたとはな、怖気づいて来ないかと思ってた」

 針本小毬が、あの半グレどもの雑踏に近づき、様子を見てすぐに警察に通報しやがった。

 「いちいち余計です。本当にめんどくさい。こういう時、普通は警察に通報してから助けに向か
うんじゃないんですか?」

 「あのな、俺がこの前パクられたの知ってるよな? 誰かさんのせいで。そんな盲目な国家の
犬どもの手なんざ借りたかねえよ。あのクソな親父にも知られたかねえし」

 いちいち余計なのはこのチビ女の方だろ。

 「てかお前、冷静な判断はできるんだな。それとも、婚約者様の入れ知恵でちゅか?」

 「やっぱり嫌いです。この…人でなし、ナルシスト、クズ、虫けら、自己愛過剰」

 「今度はグーで殴ってやろうか」

 睨み合うこと2秒間、海莉が割って入る。

 「はいはい、喧嘩しないで。…こんな感じなんだ。よかった」

 なぜか俺たちの関係を嬉しそうに眺めた海莉は、気を取り直したように、顔つきが変わる。

 息を吸い込んで、何かを覚悟するように言った。

 「ごめんなさい!」

 パトカーの騒々しいサイレンの音に紛れた声。

 俺以上に驚いたのは他でもない、兄貴である大泉大洋。

 「海莉…」

 「ずっと、お兄のせいにしてた。学校で友達がいないのは、お兄が他所で喧嘩ばっかりするか
らって。でも、違った」

 兄に向けた涙声に、俺はこの場にいてもいいのだろうかと迷ってしまう。

 「私がズルかったからだよ。お兄の妹だからって、偉そうにして。女子の間でリーダー気取っ
て、本気で好きになってくれた男子たちの心を弄んで。そんなんだから、みんな離れていった。
もともと私には、何もないのにね」

 自虐するように、自分を笑った。

 「あんな怪しい半グレたちも利用しようとして、お兄を変えようとした。自分には力がないか
らって、逃げて。バカみたい」

 耐えられず、海莉は泣き始めた。

 「拓海の、拓海のことだって! 何にも助けられなかった! 相談に乗るだけで、私には何も
できなかった! 拓海も、お母さんも、父親も、同級生も、みんな私じゃなくてお兄のことが必
要…」

 兄のげんこつが、妹の言葉を遮った。目を見開いた海莉に、大泉は言った。

 「お前が要らないなんて、誰も思ってねえ。次、それっぽいこと言ったら、頭かち割るぞ」

 パトカーの赤いライトに照らされた一筋の涙が、大泉の頬を滑り落ちる。

 「お兄のせいじゃん! お兄が! お兄が強すぎるんが悪いんじゃんか!!」

 綺麗な顔になった海莉が、昔のように顔をくしゃくしゃにして大泣きする。

 体内の不純物がスッと消えていくような感覚。傍から見た俺の方が妙にそう感じた。

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