黙ってろ

文字数 2,445文字

 雲一つない青空。

 夏を先取りしたような日差しが、海に反射する。

「おい、しっかりしろって」

 針本小毬のほぼ全体重を、肩をもって支えること5分は経っただろうか。完全に弱り切ってい
る。

 さっきの男子どもが触ろうとしたのがそんなに怖かったのか。

 「ああいうやつらこそ、痛い目みせてやればいいのに」

 「無理です…。ごめんなさい…、ごめんなさい…」

 ダメだこいつ。

 手を離すと、針本は砂浜に膝をついて、そのままへたり込んだ。もう青バラどころじゃない
な。解呪したところで、過去の過ちは消えない。こいつの闇が完全に消えることはないだろう
な。

 「もっと骨のあるやつかと思ってたけど、残念だったよ」

 期待した俺がバカだった。

 「俺にその『不可視のトゲ』とやらがあったら上手に使いこなしてただろうにな。あのクソ親
父が俺に屈するまで触れ続ける」

 他人に触れられないなら、その力で脅して、憎い相手を支配しまえばいいのに。中途半端に優
しいから傷つかなければいけない。

 「健次郎さん…」

 胸に鋭い何かが突き刺さる。物理的にではない。言葉が、不可視のトゲとなって、俺の胸を抉
り取るように、刺さった。

 またそれかよ。まあ、実際にトゲを刺して苦しめた人間だからな。申し訳なさが恋愛感情に派
生したってところだろ。

 恋愛感情、と頭に浮かべた言葉に、嫌悪を覚えた。

 「気持ち悪いんだよ」

 声に、出てしまった。

 針本は、それに対して何も言わなかった。出会った日みたいに俺を殴ることもなかった。

 気持ちの悪い連中が再び俺たちの前に現れたのは、その時だった。

 「さっきは生意気な真似してくれたじゃねえか、おい」

 友田といったか。その男どもが、3人立っている。

 「ああ、さっきの、女の言いなりになってたダセえ男どもか」

 「んだとコラぁ!?」

 見かけ通りのバカ具合。簡単な挑発にも乗ってくる。

 しかし、状況が不利なのは俺たちの方だった。

 「おいお前ら! 作戦通りに行くぞ。広がれ」

 その言葉を合図に、友田と同じような髪型の男が意気揚々と、先ほど『もやし』と呼ばれてい
た男がしぶしぶと広がる。

 仕掛けてくる。

標的は、俺じゃない。

 話しかけてきた時から今の今まで、こいつらの目線は針本の方ばかりに集まっていたのを、感
じ取っていた。

 足場の悪い砂浜の上。男どもの包囲網。安全に逃げ切ることなんて不可能に近い。そして何よ
り、針本の精神状態が限界に近い。俺一人なら、こんな素人どもの攻撃なんて簡単によけられる
んだが、もちろんそういうわけにもいかない。

 「触りたくて必死なんだな。もしかして女に触れた経験がないとか?」

 「この野郎。ああそうだよ! お望み通り、触りまくってやるよ」

 思わず出てきた挑発の言葉で、敵を躍起にさせてしまった。

 針本は、絶望で何の言葉も出てこず、身体を震わせるだけだった。

 こいつを俺の身体で覆い隠して、守ってやろうか。俺相手ならあいつらは遠慮なく蹴ったり殴
ったりしてくるだろうけど、直接触れられなければ大丈夫だ。

 いや、全然大丈夫なんかじゃない。

 こんな下等なやつらに、暴力なんか振るわれたくない。考えるだけで鳥肌が立ってくる。俺の
プライドがズタズタになる。

 「お前ら、一気に行くぞ! らぁぁ!」

 三人同時に、広げた包囲網から走り寄って来た。

 ああ、このクソったれが。

 頭に浮かんだ最低な最善策の中から、もっともマシなものを選び取り、瞬時に実行した。

 腕から体中にかかる負荷。人間の重み。お姫様抱っこ、という俗で稚拙な名称。

 「えっ、えっ」

 「うるせえ、黙ってろ」

 目線を少し下で横になって動揺する針本を、俺は言葉の通り、黙らせる。

 「黙って俺を信じてろ」

 「えっ、ちょっと! 足利さん!?」

 針本小毬を思いきり宙へ投げた。

 本人はもちろん、敵の表情までもが静止した。みんな阿呆のように口を開けている。

 相手の虚を突く。神原から初めて教え込まれた心理的技術。非日常的な行為により生まれる
隙。

 頭から足先までを集中が包み込んだ。

 あの日々、何本も走った短距離走を思い出しながら、溜めた力を爆発させた。

 針本小毬が宙を舞う間。

 俺は、男たちの中ではリーダー格の友田の喉を突き、素早く落下点に向かい、バラのように小
さく細い体を受け止めた。

 「友田!?」

 手下の1人が、喉を抑えながらひざまずく友田を目にし、震えあがった。意気揚々と襲い掛か
って来た敵どもは、完全に士気を失っていた。

 「お前も喰らってみるか?」

 「じょ…、冗談でやってるだけだろ!? くそっ!!」

 逃げる勇気だけは持ち合わせていたようで、そいつは苦しむ友田を置き去りにし、全力疾走で
去った。

 「出たよ、冗談のノリ。自分らが不利になったらそう言って誤魔化すんだろ。クソだせえ。…
で、お前はどうすんだ?」

 『もやし』と呼ばれる非力そうな男に目を向ける。盗みの時のハイになった状態と、針本を襲
った怒りで、善人に見えるこいつのことを、答え次第では殴ってしまいそうだ。

 「僕は…」

 男は、恐怖というより、むしろ吹っ切れたような顔つきで答えた。

 「僕は、君みたいになりたい。そうだ、君みたいに強くなりたいんだ」

 「意味わかんねえよ」

 俺の疑問を解消することなく、青い空の下、『もやし』は涙を流して笑っていた。

 「あんた! こんなことしていいと思ってるわけ!?」

 鳴り響く金切り声に目を向けると、砂浜に尻を付けた天川夢が、風見風香を睨みつけていた。

 驚くべき光景。この驚きは、天川夢の怒号ではなく…。

 「一発は一発だから。私だって青バラなんか全く興味ないし。あんたが学校で、何人がかりで
私を責めようが、そんなクズどもの集まりなんかに絶対負けないから!」

 中学時代の新人戦がフラッシュバックする。

 周りの視線なんか気にせず、堂々と俺の方へ一直線へ来て、一緒に泣いてくれたあの顔。

 「文句があるなら、いつでも相手してあげる」

 震えた手を、握って誤魔化しながら、風見風香は立ち向かった。
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