新しい物語の始まり
文字数 1,415文字
「ナイストゥ、ミートゥ」
3階建てのビルの最上階で、インターホンを押すと、日系の綺麗な女性が現れた。20代後
半。神原の師の従業員かなんかだろうか。
「あ、ええと…」
英会話のハンドブックで、目的の人にお会いする言葉を探していると、素早く本を取り上げられた。
「はあ?」と頭に疑問符を浮かべ、咎めるように女性従業員を見やる。
…と同時に、新幹線のように速いビンタが俺の頬を轢いた。同級生の小柄の女のものとは比べ物にならないのは、言うまでもない。
倒れ込む俺の額に、水の粒が落ちた。唾を吐かれたのだとすぐに理解した。
「あなたね、ナイストゥミートゥも知らないの? あなたに会えて嬉しいわって、この私が言ってんのに、何をあなたは本題から話し始めようとしてんの? 普通はナイストゥミートゥトゥ
ーって言うもんよ? バカにしてるの? 陸斗のバカはとんでもないゴミムシを送り出してきた
わね」
「え、神原の…?」
機関銃のように放たれる罵倒に憤りを感じながら、恐る恐る問う。
「ふん。洞察力の欠片もないわね。ほんっと、あいつはどういう指導をしてたのかしら」
マジか。
だって、この人。
「いでっ!?」
立ち上がる俺の頬を再び打った。
「年不相応だな、とか思ってんでしょ、どーせ!」
ご名答だ。
「容姿も立派なスキルの一つ。コスメにファッション、私はすべてに繊細なんだから、…その辺も私が叩きこまなきゃいけないのかしら。粗雑な育て方をしてからに、あのバカ陸斗。…?」
かつての弟子のことを思い出しているババアの歯に正拳突きをお見舞いしてやるも、動体視力
も年不相応だったらしく、あっさりと受け止められ、関節技をかけられた。神原と動きが似てい
ることから、本人だと分からせられる。
「痛いっ!! 分かった! 分かったから!」
「ふん。身体のキレと根性だけは達者みたいね。でも残念。この私を誰だと思ってるの? 今
だってギャングの抗争だの暗殺の妨害だの、過激な現場に飛び出してるんだから、甘く見るんじ
ゃないわよ。このクソガキ」
手を解放される。
「分かったよ。改めて、よろしくお願いします。足利駆です。ただ1つ、訂正させてください」
「何を?」
どうしても訂正したいことが1つだけあった。
「神原は、別にバカじゃないですよ。あいつは、俺を1年以上、見限らなかった。人を見る目
はあります」
神原陸斗は道化のように不誠実な男だが、そこだけは、あいつに感謝しなけらばならない。
「知らないわよ、そんなこと。そんなのはこれからしご…」
「仕事で証明します! 神原が、そして俺がどれだけ有能かを、あんたに嫌と言うほど分から
せてみせる」
沈黙。
街の喧騒だけが微かに聞こえる。
女探偵が笑った。
「ふぅん。面白いじゃないか。あんた、合格」
門前払いを覚悟していたものだから、溜め込んだ息が安堵となって濁流のように流れ出す。
「まずは英語からね。腐った言語野をきれいにするとこから始めましょ」
「ああ! よろしくお願いします!」
クソババアが、いつかこの手で殺してやる。
小声でボソッと呟いた。
「だから、私をババア扱いすんな! このクソガキぃ!!」
年不相応な聴力に検知され、俺は再び関節技を決められた。
神原が可愛く見えるほどの化け物と1年契約した俺の、地獄のような日々が始まる。
その地獄の果てに、栄光があると信じて。
俺は前を見て、駆けるだけ。
そうだよな、小毬。