出会い

文字数 4,722文字

 琴音が死んで、2か月が経った頃。

 「本当に、挨拶しなくていいの?」

 「いいよ、俺よりももっと関係が深いやつら、いるだろ」

 4度目になる母さんの問いかけに、俺は4度目になる回答で応じながら、荷物を詰めていく。

 引っ越しを始める。

 父さんが、玄関前で誰かと話している。相手は、引っ越し業者の人だろう。

 漫画本やゲーム機を箱に入れ終えて、玄関前に持って行く。

 小さな少年の姿を目にして、箱を落としそうになった。ゆっくりと箱を着地させてから、罪悪
感に胸を裂かれそうになりながら、近づく。

 琴音の弟、高取紡がペコリと可愛らしくお辞儀をした。

 「ごめん」

 謝罪が真っ先に出てしまう。幼い紡は、今はその意味を知ることはできない。俺が、高取琴音
を、大好きな姉を殺した。いつかそれを気付かせるために、俺は謝る。いや、責められたくない
からだ。大人になった紡が、俺を見る目を想像して怖気づいた。

 「りくとくん、どっかに行っちゃうの?」

 「ああ、まあな」

 身震いする。紡の他意のない問いが、怖い。どこへ逃げるんだと責められている気分になる。

 ごめん。

 ごめん。

 何度も謝りたかった。

 そんな俺の闇を破壊するように、小さな体は、足元に絡みついた。

 「いやだ。りくとくんも、いなくならないで!」

 やめろ…、やめろよ。

 「紡。お兄ちゃんが困るぞ。離れなさい」

 紡の父親が止めに入らなければ、叫んでしまうところだった。

 「いやだ! りくとくんともあそびたいよ!」

 紡が両手を覆い隠してむせび泣いた。父親は違えど、同じ母親を持つこの子の泣き顔は、琴音
に少しだけ似ていた。

 対等が欲しい。主観的にも、客観的にも。俺を見上げない度胸で、傍から見ても俺と同じくら
い恐ろしいと思われる存在。

 何でもこなせてしまう俺に置いて行かれないくらいの、大きな力が。

 仲間と思える人間は全員、必ず守りたい。

 俺は完璧なんかじゃない。短所を隠すのが得意なだけだ。

 もっと、知識を、体力を、鋭敏さを、器量の良さを、怖さを。できる限りの力を手にいれる。

 組織なんかは体裁ばっかりで何もしてくれない。琴音が人知れず通っていた学生相談の法人だ
って、琴音の担任だって、落ち込んだ気分を少しでも安らげるための対処療法しかしなかった。

 じゃあ、俺は、原因療法で他人を救う。琴音の心を害した女子どもの鼻をぶん殴った時のよう
に。学校という組織に居られなくなって、親に迷惑をかけてでも。多少の代償なんか厭わない。

 探偵、という可能性にたどり着いたのは、月9のドラマが探偵モノで、直感的に、俺の求める
職業像に近いと感じたからだ。



△△△△△△△△△



 探偵になりたい旨を両親に話すと、「そうか」とだけ言われた。てっきり母親が半狂乱を起こ
し、父親は怒りの鉄拳を俺の顔面に浴びせるものだと思ったから、呆気のない決着に肩透かしを
食らった。「在学中には生計を建てられるようにすれば何も言わない」とだけ注意された。「い
いじゃない、探偵。ドラマとかアニメの主人公でカッコいいじゃん」と母親は呑気に笑った。

 とりあえず東京にある偏差値70の国立大学をストレートで合格し、首席で卒業しておいた。
在学中には、必修である経済学はもちろん、心理学、社会学、文学、語学、栄養学、スポーツ科
学、教育学をマスターしておいた。体力面では、柔道、剣道、合気道、空手、キックボクシング
の技術を鍛え上げた。

 すべては、己だけで解決するために。多を救う個となるべく。才能を持って生まれた人間の責
任だ。傲慢だと言われても構わない。自尊心さえも犠牲にしてやる。

 

 肝心の探偵業は、都心の私立探偵事務所に無給で弟子入りし、探偵の雑用、浮気調査のターゲ
ットのプロフィール作成などの日常的な業務から、ヤクザが経営する店の用心棒や闇金とその利
用者の仲介等の実務をこなし、経験を積んだ。

 「おい、陸斗!」

世話になった探偵は、ヤバい女だった。道理にかなわない思考をするくせに自分の言うことは絶
対的に正しいと信じ、それでいて俺のことを使い捨ての駒のように扱う。

「プロフィールくらい1日で300件出来るようにしろっつったろ! 使えねえゴミがよ! カ
ップ酒の残骸以下の生ごみが。燃やすぞ、紙の神原」

酷かった。そりゃもう酷かった。イギリスの産業革命時の市民よりもブラックだった。40手前
で独身のくせに20代前半に見間違えるほどの美人で、交渉術、変装術、潜入術、体術、知識、
あらゆる全てが超一流だが、とにかく他者への思いやりがない。機嫌が悪い日は、19歳の俺を
抗争真っただ中のヤクザの事務所へ潜入捜査に行かせた。それでも、あの女探偵は超敏腕だっ
た。『神の神原』と呼ばれ全てを手にした気になった俺の高い鼻は、簡単にへし折られた。あの
女は仕事への情熱もあった。この人には一生敵わないなと思った。

大学を卒業した俺は、東京から飛行機で2時間の吹上市に引っ越し、小さなテナントビルの2階
に探偵事務所・『エージェント神原』を設立した。全国的にも頭角を現した40半ばの若き県会
議員、足利守の手腕による人口増加に俺は目を付けた。



△△△△△△△△△△△△



 人生で3度目の運命的な出会いは、探偵だけで生計を立てられず、電気屋のバイトを掛け持ち
していた時のこと。

 真っ黒な学生服。校章を見るからに最寄りの南中学の生徒ではない。高校生と呼ぶには少し幼い顔つきと体格。ただ、いい目をしている少年だった。その目は、どこかで見たことがあるような。

 少年は、何かを決断するように、棚に陳列した4個入りの単三の乾電池を抜き出した。

 買わない。俺は直感した。

 適当な業務をすると、薄毛で神経質な店長が口うるさいのは分かってるから、この馬鹿な少年
をマークすることにした。

 立ってるだけで給料がもらえると思ったのによ。社会人ってのは俺の体質には会わないらし
い。

 「ああ、めんどくせえ」

 シフトの都合で6時間も働く羽目になった挙句に、これまた面倒事かよ。

 そう思っていた。

 「おい、おっさん」

 少年が、声を掛ける。まさか。

 「今からこれ、万引きする」

 「はあ?」

 盗みを宣戦布告するなんて、どこぞの怪盗だよ。一瞬だけ虚を突かれたが、相手はたかが中学
生。成長過程の頼りない身体で、成人で、それも身体能力の高い俺に宣言してしまったのは失敗
だったな。

 判断能力に欠ける。この子供も、俺に釣り合う器じゃないな。

 その考えは、あっさり否定された。

 少年が、消えた。

 いつの間にか店の入り口付近にいた少年は、綺麗なフォームで走る。足の速さは、50m走を
7秒台で走る程度の速度で、体育会系の中では月並みだが、実際に50m走を走れば6秒台には
到達できるだろう。1つの分野が、ずば抜けて優れているから。

 微妙な足の速さとは真逆の、超人的な初速。人並外れた瞬発力。走り始め、地面を強く蹴った
第一歩から数歩が、恐ろしく速かった。おそらく、俺のトップスピードよりも速い。

 「いでっ!」

 でも、特別速いのは初速のみ。それ以外は、俺が余裕で追い付ける範囲だ。万引きを働いたガ
キの襟足を掴んで、80台の車両を止められる駐車場から、店へ戻ろうとする。

 「残念だったな」

 勝ち誇るように笑ってやると、少年は、目的を邪魔をした俺のことを今にでも殺してやりた
い、そんな目をしていた。

 「棚の端っこにある乾電池を狙ったのは、店員である俺から即座に死角を作り出すためだった
なら、組み立てとしては100点だ。頭を撫でてやりたいけど、悪ガキにはお尻ぺんぺんがいい
かな。くくく、いい目してんじゃんか」

 「てめえ…、殺してやる」

 次は言葉にして意思を示した。

 着替えを済ませて帰宅しようとした店長を呼び止め、万引き少年の身柄を引き渡した。

 マンツーマンでお説教を喰らわること30分、小さな個室のドアから店長の後に付いてきた少
年は、目に涙を蓄えながら、未だに釈然としない顔つきで店を後にした。

 「泣くくらいなら万引きなんてすんなよ」

 「お前…いつの間に!? な、泣いてねえし!!」

 真っ暗な河原。5月の夜風を身体で受け止めながら、月明かりに映る少年の姿を値踏みする。

 銃弾のように弾かれた身体から放たれる拳。俺は、その素早い暴力を難なく受け止める。

 「結構いいパンチじゃんか」

 「うるせえ!」

 同じように数回殴り掛かるが、6度目ほどで飽きたので、腕ごと掴み取り体制を崩した。護身
術で完璧に取り押さえる。

 「なんなんだよ! あんたは!」

 「探偵さ」

 自分で言っておきながら少し気恥ずかしい。漫画か何かでしか見かけないセリフを俺は堂々と
言って見せた。案の定、少年は「うさんくせえ」と非難した。

 「結構傷つくんだよな~その反応。ていうか、自分の立場をもっと分かった方がいいぜ」

 「いぃっ!!」

 俺はさらに強い力で関節を締め上げる。こういう悪ガキは、シンプルな暴力さえ見せつければ
屈する。ガキはガキだな。

 「ほら、万引きしたことを素直に謝罪するか、このまま俺に骨を折られるか、どっちがい
い?」

 「いいのかよ、傷害罪で訴えてやる! いってえ!!」

 「はは! いいね! 俺も罪に問われるけど、その罪でお前の万引きは露呈されるな。過ごし
づらくなるんじゃないか? 家でも、学校でも」

 「っ!」

 「自分の立場をわきまえなきゃ。窃盗犯を過剰に制裁してるだけだぜ?」

 「…分かったよ。俺が悪かった」

 少年は、抵抗する力を失い、しおれた植物のように項垂れた。

 少し期待しすぎたか。

 銃弾のような瞬発力に、真正面から盗みを行うと豪語し実行に移す度胸。

 意外性に満ちたハプニングは、時間が経ち、想定内の常識へと退化した。

 そう思ってしまった俺が、早計だったらしい。

 「いっ!!?」

 その油断のせいで、足に激痛が走った。

 「今日は、数学の作図問題で必要だったからな。入れといて正解だったぜ」

 「お前、マジか…」

 少年の手元にあったのは、コンパス。喪失したと思われた殺意は、まだ少年にあった。カバン
に伸ばした手元にも目が届かないほどの表情の変化、瞬時の判断、機転、本番に強い演技力。

 期待外れによる落胆は、次は恐怖へと変わった。

 「悪いからなんだよ!? 正しくないからなんだよ!? ああ!? そんな薄っぺらい正当性
で俺を縛れると思ったか? バーカ!」

 痛みで細めた視界の中で、少年は、意気揚々と、ゲラゲラと、意地汚く笑っていた。

 「ただのクソガキだと思ったろ! バーカ! 探偵だかなんだか知らねえけど、お前みてえな
雑魚いオッサン、下手に出てりゃあ隙だらけだな。次はもっと深く刺してや…」

 コンパスを持つ手首を掴み、瞬時に捻り上げると、その拍子に少年が地面にひっくり返る。

 「なっ!? …クソッ!」

 奪い取ったコンパスを少年の眼前に突き付けてやった。

 「お前、合格。俺と対等になれるよ」

 氷漬けにされたように退屈だった日常は、このイカれた少年によって、簡単に覆された。

 「ざけんな。お前が俺より上なのは年齢だけだろうが、おっさん。無駄に酸素奪う前に死んど
けや、カス」

 悪魔的な発言と顔つきが、かつて俺をボロ雑巾のように扱った女探偵にそっくりだった。

 「あっははは!」

 琴音。

 俺、もう少しだけ、生きてていいかな。

 「なに笑ってんだよ、気持ち悪いな、オッサン」

 「オッサンじゃない、神原陸斗。今日からお前のことを使役する探偵だ。覚悟しろよ、クソガ
キ」

 「クソガキじゃない、足利駆。使役すんのは俺の方だ。お前みたいな凡人、いつか泣かしてや
る」

 これが、長い付き合いになるだろう相棒との、稀有なことこの上ない出会いだった。
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