伸ばした手

文字数 3,206文字

 ゴールデンウイーク2日目。自称進学校の膨大な課題を初日で終わらせてしまった俺は、残り
の暇な時間をどうやって潰してやろうか考えながら歩いていた。一昨日のスーパーマーケットの
裏、ガチャガチャの台の並びへと足を運ぶと、幼児のように好奇心に満ちた表情を浮かべながら
『カエルマンⅡ』の台に向き合う少女の姿が見えた。

 昼間の陽光をきれいに跳ね返す艶やかな黒髪。その持ち主が、俺の存在に気付くと、

 「うわっ!」

 と漫画のキャラクターみたいなオーバーリアクションで驚いた。尻餅をつき、腰をさすりなが
ら、顔をしかめた。

 「いるなら言ってよ」

 弱弱しい声で俺に叱責する高取琴音。

 「すまんすまん」

 腹筋が震えるほど面白くて、大笑いしながら謝った。

 2日前に出会ったばかりの高取琴音は、俺と目を合わせるたびに弾くように視線を逸らす。次
の言葉を見つけるまで、雲が3割の青空の下、繰り返した。

 「収穫あったん?」

 なかなか喋ってくれない先輩の代わりに、人見知りとは無縁の俺が話を広げることにした。

 「ああ、うん」

 返事をする高取琴音は、よくぞ聞いてくれたと言わんばかりにバッグのジッパーを開く。目視
する限り20体ほどのカエルマンたちが群れを成していた。

 「20体目でようやくコンプリート出来たんだ」

 と自慢げに俺へと披露する。笑顔だった。カエルマンというプラスチックの作り物の話をする
時だけ、恐ろしく堂々としていた。

 その笑みにまんまと意表を突かれて言葉が出なかった。

 「あ、ごめん、流石に引くよね?」

 「いや、そうじゃねえ」

 「気、使わなくていいよ? 異常だったり気持ち悪かったら、正直にぶつけてくれるのも優し
さだから」

 何かを思い出すような顔をして表情が暗くなる高取。

 「何言ってんだ」

 違うだろ。

 「誰かにそんなこと言われたのか? もしそうなら、そいつはどうしようもなくつまんねえや
つだな」

 「え?」

 「俺は嬉しいぜ。勉強だの運動だの、ボーリングだのカラオケだのに価値を感じるやつらが蚊
柱みてえに存在する世界で、カエルマンってのだけを愛してるキャラに会えたのは奇跡だ。激レ
ア。神おま。俺はそういうあんたに価値を感じるね」

 「神原くんって、そういう詩的めいた事、かっこつけて言うんだね」

 「なっ!?」

 声が明るさを取り戻していた。

 いやその前に、俺は動揺した。誰もが俺に気を遣うように接してきたのに、この人は、俺のこ
とをただの年下の男子としてからかう。

 それが、とんでもなく。

 「おいおい、人がせっかく励ましてやってんのに、あんたは意地悪だな」

 「うそうそ、ありがとね」

 嬉しかった。



△△△△△△△△△△



高取琴音が通う学校の空き教室。非公認の『カエルマン研究部』は、勝手にこの空き教室を活動
拠点としている。

部員数は3人。高取琴音と、彼女の同級生2人。

 「いやぁ、部長! これは大収穫ですよ!」

高取琴音が『カエルマンⅡ』のシークレットキャラクター、『キングカエルマン』を掲げると、
太い黒ぶちの眼鏡をした丸坊主の男が、甲高い声で賞賛した。

 「琴音ちゃんは私たちの希望よ」

 三つ編みでフレームの薄い眼鏡をかけた女も同様に、高取を仰々しく称える。

 「二人とも、大げさだよ」

 と謙遜しつつも嬉しさが駄々洩れている高取琴音。将来、詐欺とか悪質な勧誘に引っかからな
いか本気で心配になる。

 「いやいや、部長、本当にお手柄ですよ。素直に喜びましょう! そしてこちらの美男子は誰
ぞ? 何処で見たことがあるような…」

 「まさか琴音ちゃんの、恋人さん!?」

 「ち、違うから!! ええと、最近来た、この部の準レギュラーみたいな感じ」

 それも違うだろ。弁解しておきたいが、ガッカリされたくもないので敢えて黙っておく。

 「北高1年、神原陸斗です」

 自己紹介だけを代わりにすると、案の定、初対面の2人は狂乱するように驚嘆した。

 「か、神原くん!?」

 「神原くんって、あの!?」

 吹下市じゅうで噂になってしまった『神の神原』の影響が、ここにも及んでいるとは。

 「え、なにそれ?」

高取琴音が、2人の反応に戸惑いながら問うた。

「神原くんって有名なん? 動画配信とかしてんの?」

「琴音ちゃん知らないの!? あなたはホントにこの町に住んでるの!? アホの子なの!?」

 「部長は己の無知を呪うべきですよ!?」

 「ちょっと2人とも、ひどくない!?」

 しかめっ面で応える高取琴音。そういえば俺のこと知らなかったよな。だからこそ俺は話しや
すかったんだ。

 「いいですか部長! 彼は我々とは一線を画したエリート校の中でも超1流のエリートで、運
動神経も怪物級、歌を歌えばあらゆる人間を魅了し、料理を作らせれば食べた人間の人心を掌握
してしまえる、いわば何でもできる神童、『神の神原』なんですよ!?」

 相変わらず噂ってのは独り歩きするもんなんだな。丸坊主の言ってることは5割は正解だが、
料理は普段から母親に任せてるから自信ないし、俺の歌声は90点台のそこそこのメロディだ。

 「そうよ、琴音ちゃんがカエルマンにしか惚れることができない悲しい人間なのは分かるけ
ど、もっと外の世界見た方がいいよ。井の中の蛙。カエルの面倒見る前に、視野の狭い自身をも
っと研鑽してちょうだい」

 三つ編みの方はシンプルに口が悪いな。

 「へえ、そうなんだ」

 高取は、他者による俺の評価に興味がなさそうな反応だった。

 「あ、みんな。自己紹介しなきゃ!」

 「そ、そうでしたね。オイラは細田稔。細田でいいですよ」

 「あ、私、三井涼香、です」

 年下相手に委縮する2人。まだ警戒されている。いつものことながら物寂しい感じだ。

 「いやいやそんなことより、お手柄ですよ部長! 今回は何回引いたんですか?」

 坊主頭が話を逸らした。

 「悪運の強い琴音ちゃんのことだから、200回は引いたはずよ」

 「そんなにお金ないってば。これは…、準レギュラーの神原くんが取ってくれたのよ。それも
一発で」

 場が、しんと静まり返った。2人の視線が俺に集まる。敵視のような、あるいは警戒のような
目線に、じんわりと温もりが宿り始めた。

 「え、マジ!? 琴音ちゃん! それマジ!?」

 「や、やはり神原殿は『神の神原』でしたか!? 神に愛されし天運、ここに極まれり!」

 さっきまで猛獣を相手にしたかのように怯えていたくせに、今となってはアイドルのファンの
ごとく俺の元へ駆け寄る先輩たち。いちいちリアクションが大げさなのは、高取琴音だけじゃな
いのか。

 でも、0か100の感情の振れ幅が、どうも憎めない。むしろ、もっと自由に振舞ってくれと
さえ思ってしまう。

 「先ほどのオイラたちの態度を赦してくださいな、神原殿!」

 「なんかごめんね。私たち、アクティブな人が苦手だから、つい」

 「全然いいっすよ。むしろ俺の方こそ、先輩らの輪に割り込んじゃって、すいません」

 いつだって鬱陶しかった人間関係が、今日は少しだけ好きになれた。

 楽しい、という感情を抱くのは、いつ以来だろうか。

 「やっぱりカエルマンは偉大なんだよ! カエルマンは人と人、世界と世界を繋ぐのよ!」

 高取琴音が、なぜか誇らしげに笑った。

 突然、場が静まると、高取琴音の真っ白な手が、こちらに伸びた。

 「この部では握手することで、メンバーになれるのよ。これを私は、『両者の信頼の証』って
呼んでる」

 気取ったセリフを、『両者の信頼の証』なんて言葉の組み合わせを、何の気なしに言ってしま
う彼女と、黙って見守るその仲間たち。

 「こんな俺で良かったら」

 伸ばした手を、真っ白な小さな手が柔らかく包み込んだ。

 「これで神原殿もカエルマン研究会の一員ですねえ」

 「むさい男と暗い女だけの部の顔面偏差値が一気に上がっちゃったわね」

 「涼香ちゃん、そこで毒を吐かないの。…これからもよろしく、神原陸斗くん」

 ここに居ていいんだ、俺。


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