偽善

文字数 1,817文字

 大泉と海莉を家まで送り届けた後。

 帰るはずの探偵事務所を横切って、針本小毬が住んでいるというマンションまで寄ることにし
た。「送ってほしい」なんて頼まれてもないのに、「送っていく」と言ってしまった。海莉を守
る時のアドレナリンがまだ残っているのかもしれない。

 「おい、針本」

 「なんですか?」

 「お前、さっきの話、本当か?」

 俺と大泉が探偵事務所にいたとき、こいつは海莉と直接コンタクトを取り、情報を聞き出そう
とした。そして、説得までしようと試みた。

 「えっと、海莉ちゃんのことですか?」

 針本は、親しげに名前を呼びながら少しだけ愉快な表情を作る。

 「ああ」と頷きながら、俺は語彙を探した。自分のプライドを守りつつ、こいつのことを、こ
いつの存在を認めてやるという意思表示の言葉を慎重に選択する。

 「見直したよ。正直、お前のこと見くびってた」

 「え」

 相手が固まっていた。俺が下手に出るのがそんなに珍しいかよ。

 「無責任に、ただ誰かが何かをしてくれるのを黙って待つような人間だと思ってた。…スマホ
の通話履歴、見せてみろ」

 針本は怪訝そうに通話アプリを開き、履歴を見せる。『健次郎さん』と最後に書かれたのは、
昨日の時間。つまりこいつは、自分の判断で、海莉に近づき、警察に通報したことになる。

 大泉たちとは昔からの付き合いだった俺とは違い、全くの初対面だったこいつは、赤の他人の
ためにそこまで動けるのか。

 「みんなが…」

 針本が下を向いて、身体を強張らせて言う。

 「みんなが、がんばってるのに、私だけ何もしてないのは、もう嫌なんです。受け身で生きても
自発的に何かをしても他人を傷つけるこの体質なら、私は他人のために何かをしたい。傲慢だけ
ど、してあげたい」

 針本は必死だった。偽善だと茶化してやるつもりだったのに、その声が不可視のものに押しつ
ぶされるようだった。

 「青バラに認められることが目的だけど。それ以上に、今日、海莉ちゃんたちを見て、誰かの
力になりたいって、思ったんです」

 「そっか」

 「…偽善だ、って茶化さないんですね」

 胸中を見透かされていたようだ。ムカつく。

 「空気は読める方なんだよ」

 顔を逸らすと同時に、隣からクスッと笑い声が聞こえた。

静かな初夏の夜、出会って2日と経たない針本と2人で歩く。

 悪い気は、しなかった。



△△△△△△△△△△



 「以上が、今日の出来事だ」

 「おつかれさ~ん」

 事務所に戻り、カエルのぬいぐるみを手入れしながら内容を不誠実に聞き流すバカ神原。

 「そういうお堅い話はいいから、ご飯食べようぜ~」

 命がけの案件の後でも平然とこういう態度を貫ける血も涙もない男に作る飯は無い。そう言っ
てやりたいが、心が子供の神原が腹を立てて俺を探偵事務所から追放されることを考えると、安
易に強気にも出れないのは事実。

 でも、どうしてか、今日は怒れる気分にはならない。

 「なんかいい事あった?」

 「はあ? ただ、ドレッシングが無かったからスーパーに行っただけっつったろ」

 「ふうん。今の駆、いい顔してる」

 「意味わかんねえよ」

 「そのうち分かるよ。てか今日、キュウリ食べるんじゃないの? どこかに無くした? それ
とも、暴漢の凶器とすり替えたとか?」

 ニヤニヤと笑いかけるムカつく顔から目を逸らす。

 「なくしただけだよ、バーカ」

まな板の上のキャベツを真っ二つに叩き切った。

 

△△△△△△△△△△△



 3世帯の家族でも余裕で住めるような高層マンションの1室。
健次郎さんが用意してくれたその一室の、大きなベッドに横たわり、今日の冒険を思い出す。

怪物のように大きな男の人が神原さんの事務所に来た。

 その妹が、怪しい店に出入りしていて、私はその子とLINEを交換した。

 悪い人たちの罠に掛けられたけど、足利駆が打破した。

 足利駆。

 あんなに優しい顔が出来るとは思わなかった。

 相変わらずプライドが高くて謝ることは無かったけど、態度は昨日と比べて柔らかい。

 違う違う!

 あんなのは結局、ビジネスで笑っただけ。私のモチベーションを高めて手っ取り早く青バラに
認めてもらう作戦だ、きっと。

 「せっかく触れられたのに」

 私の『トゲ』が通用しないあの人も、仕事を終えれば私の元から、いなくなる。足利駆は私み
たいな弱くてずるい人間は嫌いだろうから。

 私なんかが、簡単に受け入れられるわけがない。

 こんな、・・・の私なんかが、幸せになっていいわけがない。
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