なりたかった

文字数 794文字

 5月1日

 親に頼まれたものをスーパーで買い終えた帰り道。入口の脇に並んだカプセルトイの台を眺め
る。

 やっぱり、いない。

 カエルマンも、いなくなった。

 『紡(つむぐ)の初めての相棒はフラダンサーカエルマンだね』

 南国のフラダンサーのような恰好をしたカエルのキャラクター。カプセルを代わりに開けてく
れた姉ちゃんが、僕に笑いかける。あの時を鮮明に覚えている。

 カエルマンを見ていた姉ちゃんは、本当に幸せそうだった。

 だから僕は、カエルマンになりたかった。

 傲慢かもしれないけど、姉ちゃんが大好きなカエルマンになれば、僕のことももっと好きにな
ってくれると思った。姉ちゃんが付き合っていた『りくとくん』よりも僕のことを見てくれると
思った。

 父親の違う姉弟ゆえの空いた距離を、少しでも縮めたかった。

 姉ちゃんが死んでから、いや、学校のやつらに殺されてからも、僕はずっと努力し続けた。レ
ッスンのない日も、家やグラウンドの隅で、喉が嗄れるほど練習した。

 カエルマンがアニメ化することを信じて努力し続け、そのオーディションに全てを掛けた。

 僕にもっと実力があれば。上の意向なんて跳ねのけられる実力があったなら。

 僕が所属していた芸能の事務所なんかよりも大きな事務所にいた子役に、内定したカエルマン
役を奪われた件もあり、僕は芸能活動を辞めることにした。カエルマンになることが目標だった
から、これからいくら頑張ったって意味がない。『君には才能がある』と一人分の月謝を逃さん
と必死に足搔く所長の言葉をいなして、事務所から出て行ったきり。

 いっそ、犯罪でも起こしてしまおうか。

 「待ちなさい!」

 見たところ30~40代くらいの、中年の警察。その人の怒号に心拍数が跳ね上がる。自分の
事ではないのに、自分が悪いことをした気分になる。

 悟ってしまう。僕は犯罪すら起こせない。その度胸がない。

 だから、何者にもなれない。
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