悪いかよ

文字数 2,617文字

 5月22日 15時55分 エージェント神原にて

 「今日を入れてあと11日だね」

 「何がだよ」

 神原がお決まりのカエルのキーホルダーをいつものように手入れしながら、にこやかに笑う。

 「駆がちゃんと自分の家に帰るまでのタイムリミット」

 忘れてた。そういえばそうだった。神原には今月中に帰ると啖呵を切ってしまったのだ。

神原が、虚を突かれたように唖然とする俺を嘲笑する。

「まあ、いいんだけどね、俺は。炊事奴隷がいるだけでご飯に困らないのは楽だし。ただ、約束
を守れないなんて、人間として最低だと思うけどね」

「もっと言い方あるだろうが」

「家族からはマジで心配されてないんだね」

「…ああ、そうだな」

あれから1通も連絡が来ない。兄弟も、父親も、母親も、きわめて俺に興味がないらしい。

「心配と言えば」

神原が、悪戯っぽく笑う。嫌な予感がした。過去にも何度か、この悪魔のような大人に腹を立て
てきたが、今回はその比ではない。そんな気がした。

予感は、的中していた。

「裸のデータが、拡散されてなければいいんだけど」

「なんでお前が知ってんだよ? 俺、お前に教えなかったよな?」

席を立ち、発言によっては顔を思い切り殴ってやろうと、態勢を整える。

「だいたいそうだと思ってたよ。そんでもってビンゴ!」

整った顔立ちの男が、ポケットからUSBメモリを取り出す。

「これ、なんだと思う? 依頼人の古村健次郎に近しい人物から届いたんだ~」

「おい」

「んー?」

力強くフローリングを蹴り、初速を飛ばした。

弄ぶようにぶら下げられたUSBを瞬時に奪い取る。はずだった。

「がっ!」

神原は、俺の動きを予測し、俺の手を避けながら背後に回る。頭を机に叩きつけ、左腕を関節技
の要領で締め上げた。

身動きの取れなくなった俺を嘲笑う神原。久々に本気の殺意が芽生えた。

「ここで暴れられても困るから、場所を移そうか」

技を解き、前を歩く神原。「らしくないね」と俺を卑下する。

「腕が鈍ったって言いてえのかよ、このクソ神原」

「違うよ。いつもの駆なら、拘束を解いた瞬間にまた襲ってくるでしょ?」

「…」

自分でも気づかなかった。

「大人になっちゃったね。良くも悪くも」

歯噛みして、目の前のクソ野郎をただ睨みつけることしかできなかった。



△△△△△△△△△△



 吹上市海浜公園からさらに西へ歩くこと5分。

 「よし、この辺でいいかな。さっきの続き、やろうよ」

 照りつける西日の下、神原が笑った。

 場所を移す間、ずっと何を話すこともなく歩いてきたため、先ほどの怒りは沈んでいた。

 「早くしなよ。真っ白できれいな裸、ネットに流しちゃうよ?」

 怒りを再起させるのに十分すぎる煽りで、俺は神原に詰め寄った。次は持ち主を殴り掛かり、
奪うことを試みたが、あっという間に避けられた。砂浜で足場が悪いのは言い訳にできない、あ
いつだって条件は同じだ。むしろ、地面に打ち付けられる衝撃が和らいだことに感謝するべきだ
ろうな。

 「くくく、そうこなくっちゃ」

 「殺す!」

 何度も立ち上がり、何度も手を伸ばす。

 初めて会った日から、何も変わっていない。俺は、成長していない。気づきたくなかった。こ
んな能力だけのクズに、俺は負けるのか。

 お前には俺以上のポテンシャルがある。将来的には、俺はお前に越えられるかもな。

 いつか神原に言われた一言。上から目線でイラつくが、嬉しくもあったあの言葉。

 今の俺に足りないものは、能力だけなのか。初速と瞬間的な動きなら、完璧超人のこいつにも
太刀打ちできると思ったのに。

 「ほらほら、塩水を浴びせれたら壊せるよ~」

 海面に、ふくらはぎまでの高さまで足を突っ込みながら嘲笑う。

 俺は、挑発に乗り、全速力で飛び掛かる。避けられて、身体が海面に突っ込む。

 顔についた海水を振るいながら、神原陸斗を追いかける。

 「じゃあ、近づいてあげるよ」

 手を伸ばせば触れられる距離まで歩み寄って来た。

 「なめんなよ!」

 手を伸ばす。USBを奪えない。

 「駆はさー」

 手を伸ばす。奪えない。

 「なんで今、必死なの?」

 「見て分かんねえかよ!」

 奪えない。

 「よく分からないなぁ。説明してくれないと。いつも俺たちが依頼人に説明してるみたいに
さ」

 「るっせえ!」

 奪えない。

 「で、何でなの? なんでそんなに必死になってるの? 今までこなしてきた、たくさんの依
頼の中のたった1つに固執して、何の意味があんの?」

 「うるせえっつってんだろ!」

 奪えない。

 「今のやり取りだって、今後の依頼に支障が出るかもしれないよ? ほら、周りもみんな見て
るし。正体がバレちゃうよ?」

 「そんなのは、どうでもいい!」

 奪えない。

 「どうして?」

 立ち止まり、不足した酸素をかき集める。

 「世界規模で成果を出して、家族と、今まで下に見てきた連中を見返したいんじゃないの?」

 「違う」

 そんなのは、どうでもいいんだ。

 「いらないの? 連休の間に知り合っただけの、ただの仕事の相手ってそんなに大事なの?」

 「ああ! そうだよ!!」

 奪えない。

 手中に入らない。結果も、才能も、名声も、立場も、信頼も、人望も。

 でも今は、そんなもの要らない。

 俺が今、本当に手に入れたいもの。

 記憶の中の小さな少女が、笑った。おどおどした。怒った。泣いた。笑った。好きだと言って
くれた。

 「俺は!」

 覚悟が、固まった。

 「俺は、あいつを、針本小毬のことを! 好きになったんだよ!! 悪いかよ!!」

 その顔が、もう一度見たかった。いや、一度なんかじゃ足りない。

 「婚約者だよ? この写真だってあるんだよ? どうやって太刀打ちするの? そんな相手
に、やれるの? 勝算はあるの?」

 「やるんだよ! 俺が、あいつを欲しがる限りは!」

 傲慢でも何でもいい。

 俺は、針本小毬が欲しい。

 俺が、絶対に幸せにする。

 婚約者とか、弱みの写真とか、そんなものはこれから何とかしてやるよ。

 だって俺は、あのエリート一家の血筋で、『令和の怪盗』なんだから。

 USBを奪い取った。

 神原陸斗が、ふっ、と息をこぼすと、急に高笑いし始めた。

夕陽に照り映える美形の笑った顔。数秒経っても、なかなか終わらない笑い声。殺したいほどム
カつく。

 「どうせ痛いやつとか思ってんだろ、クソ神原」

 「いやいや、違う違う」

 神原は、鼻につく笑い声を数秒かけて沈めると、妙に真剣な眼差しで俺に向き直った。

 「やっぱお前、最高の拾いもんだったわ」


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