不自然

文字数 2,822文字

 「今日は私の連れが、ごめんね」

 オレンジ色の陽光に目を細めながら、私はかつて交際していた足利駆と、彼に支えられて歩く
針本小毬を視界に入れる。

 「別にお前のせいでもないだろ」

 閉ざされていた心は、先ほどの一件と隣にいる女の子の緊急事態により、少しだけ開いた。

 「つーかお前こそ大丈夫なのかよ。あのボス女たちと揉めて、休み明けにちゃんと学校に行け
るのか?」

 「なに? 心配してくれてるんだ? 優しいね」

 「別に、そうじゃねえよ」

 むきになったように、顔をそらす。駆は昔から、他人に褒められるのが苦手だった。

 顔をゆっくり戻すと、駆は、いつもの堅苦しい顔つきを和らげて私に言った。

 「ありがとな、助かったよ」

 駆のその一言で、意識が3年前に引き戻される。

 ちゃんと覚えてる。あれは、3年前の9月8日の出来事。その日の晩御飯は、煮込みハンバー
グと味噌汁。そのあとにアイスを食べたことも。

 私が、駆のことを本気で好きになった日。

 「大げさすぎない? ここまで一緒に付いてきたくらいで」

 同じ回答をして、同じ結末にたどり着いてくれたら…。駆と別れたあのパターンだけを回避で
きたら…。

 「大げさじゃねえよ。俺にとって大事な依頼人ってだけだ」

 同じになんかならない。

 変化する。他者との関係ならなおさら、変化し続ける。

 私が変わらなくても、駆は『令和の怪盗』になったし、高校だって別になった。何より雰囲気
が変わった。私と一緒にいた時よりも、ずっといい顔してた。

 私から別れを切り出したくせに。裏切ったくせに。どうしても欲張ってしまう。

 『足利なんかと付き合ってたの!?』

 『あいつのどこがいいの!?』

 『私たちまで変なやつ扱いされるじゃん』

 『ごめん。あっ、でも、別れようと思うんだ。実際、あいつとは騙すつもりで付き合ってる
し』

 中学生だったあの日の私が、周囲の目なんか跳ね返せるくらい強かったら、今だって隣にいる
のは、この子じゃなくて私だったかもしれない。

 直感する。

 今の駆は、この子のことが好きだと。

 他人の顔色を窺い続けた私が言うんだから間違いない。残酷な直感は、残酷なほどに当たてし
まうんだ。

 「怒らないんだ」

 あの日のこと、怒らないんだ。

 「別にいいよ。あれは、お前の人格を変えられなかった、俺の実力不足ってことで」

 変なところで優しくしないでよ。

 船が着く。

 「一緒に来ねえの?」

 「大丈夫。怪我した子を送って帰る」

 カフェテラスで集中攻撃を受けていた私のことを庇ってくれた男子が頭によぎる。負けると分
かっていても、反論をしてくれた彼の姿。駆と重ねた彼の姿。それでも少し頼りなくて、世話が
焼けるあの子の情けなさ。

 「元気でね」

 精一杯の笑顔を作った。

 「ああ、お前もな。たまにはお前も事務所に来いよ。大泉ばっかり来てても脳味噌筋肉で会話
つまんねえし」

 「相変わらずあいつの扱いは雑ね。たった一人の友達なのに」

 「うっせ。じゃ、またな」

 汽笛を鳴らしたフェリーは、本土へと帰っていく。

 またな。

 素っ気ないその一言で、身体が、初夏の風にふわりと浮き上がるようだった。

 あいつと少しの間でも、付き合えてよかった。

本気でそう思えた。



△△△△△△△△△



 不自然だ。

 針本がフェリーの中で吐き気を催すことなく、大人しく椅子に座っている。

 異様な光景に、不気味を感じた。

 こいつと初めて青島から帰った時、あれだけ俺と揉めた後ですら多少の吐き気を感じているよ
うに見えたのに、今は全くその素振りを見せない。

 「おい針本。今日は何が食いてえ? ハンバーグでもオムライスでも作れるから、何でもリク
エストしろよ」

 「いえ、お構いなく。私なんかに割く食費がもったいないです」

 いくら何でも打たれ弱すぎだろ。たかだか許嫁を傷つけた過去だけで項垂れて生気を失うもの
なのか。子供の時に経験したことは大人になってもショックが強いとか?

 はあ、と溜息が出てしまう。トラウマも忘れてしまうくらい努力すればいいのに。というか、
最初から、俺や風見に流されず、触れられない距離感を前もってキープすればいいのに。無計画
に、受動的に生きてるのが仇になったな。

 「風に当たってくる」

 今は浜風に当たりたかった。どんよりした空気が伝染してしまうし、それに、今はそっとして
おいた方がいいと判断したからだ。

 空耳かと錯覚するほどの小さな「はい」が、大気に沈んだ。

 外に出ると、初夏の浜風が透き通るように俺を通過する。身体と心の疲労を取り去ってくれ
る。

 結局、目的を果たせないまま帰ってきてしまった。

 俺もまた怖気づいた。沈みきった針本が、青バラに認められなかったら。最悪の結末を想定し
た。

 出発した時は大泉たちにあれだけ自信満々に啖呵を切ったのに、少しがっかりされるな。特に
海莉は、頭を抱えて俺ら以上にガックリしそうだ。楽観的な男どもは「次がある」なんて言うだ
ろうか。

 あの兄妹たちを思い出した矢先、海莉から電話が来た。

 『よお、どうした?』

 『駆くんたち、上手くいったかなー、って』

 気楽な声の裏側には不安が隠れていた。

 『今日はアクシデントで、青バラは保留になった』

 『そっか』

 隠し続けてもいずれはバレるし、正直に答えることにした。余計な詮索をせず「そっか」で済
ませてくれた海莉に、俺は事情を話した。

 『笑えるだろ? 針本のやつ。ナイーブが過ぎるってもんだよな。もう少し、お前の兄貴みた
いに気楽に生きてればいいのにな。あいつだって色んなチンピラどもを半殺しにしてきたし、俺
だって仕事柄、多少の人間はシメてきたし』

 喋りながら、針本って本当に純粋というか、悪を知らないんだな、と笑えてくる。

 『それ、言ったの?』

 海莉は、同調しなかった。

 むしろ、オレンジ色の空の向こうにある分厚い雲のように、どんよりとした抑揚だった。

 『小毬ちゃんに、言ったの?』

 責め立てるようにも聞こえた海莉の声。もしかして、怒ってるのか。

 『別に言ってねえよ、それは』

 『それは? じゃあ、それに似たようなことを言ったの?』

 『まあ、いろいろ。根性が少し足りねえのを指摘したり、悲観的なところを直した方がいいぞ
って感じのことを言ったり。なんでもいいだろ』

 『なんでもよくない!!』

 鼓膜をブチ破るような怒声が耳に響いた。

 『バカじゃないの!?』と非難される。

 「急にでけえ声出すなよ。つーかなんだってお前は、そこまで針本のことを擁護するんだよ」

 女子同士の友情ってやつか? もっと軽いものかと思ってたけど、本当に仲が良くなると短時
間の付き合いでもここまで必死になるものなのか?

 『だって…、だって…、聞いちゃったから…』

 「何を聞いたんだよ」

 鬱陶しく感じた。どうせ繊細過ぎる針本の、針本らしい小さな悩みだろ。

 『小毬ちゃんは…、小毬ちゃんは…』

 「なんだよ」

 『殺したんだよ! 人を! あの人が大好きだった先生を!』


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