巨体

文字数 2,935文字

 5月4日 みどりの日

 貴重な連休が、今も無駄に消耗されていく。

 「わ、私にできること、ないですか?」

 「小毬ちゃんは大丈夫だよ。駆を信じて待ってみてよ」

 「信用できないです。こんな人」

 「あっははは! 言われてるよ! こんな人~!」

 俺に対してだけ堂々と嫌悪を表すチビ女と、相変わらず放任主義のクズ雇用主。ワイヤレスの
マウスを地面に叩きつけてしまったせいで、反応しなくなった。

 「壊れた、弁償してくる」

 ボランティア活動を探してるのに、こいつらの声が入ってくると他人に尽くす余裕もなくな
る。善行を積むどころじゃない。

 「自腹だからな~」

「ふざけんな、経費で落とせ。つーか針本、お前に頼むことなんてねえから早く消えろよ」

 「ひっ!? そんな言い方…」

 ドアを閉めて冴えない女の声を断ち切った。



     △△△△△△




 「あちゃ~、怒らせちゃった」

 日常茶飯事の喧嘩をしてしまったような気軽さで神原さんが笑い飛ばした。

 「すみません」

 「いいのいいの! 小毬ちゃんはなーんも悪くないよ。ああいうところは、まだまだ未熟だ
な。駆には俺と『対等』になれる素質があるのに、もったいない」
 
スマホゲームに興じながら、残念そうに眉を吊り上げておどける。お気楽な人だな。

 足利駆があんなに怒ってても、動じていない。こっちは心臓がドクドクと忙しいのに。

 「あ、小毬ちゃんにあげる仕事ができたよ!」

 「本当ですか?」

 前のめりになって聞いてしまったことを後悔した。

 「俺、今からトイレ行くから。大きい方ね。だからその間にお客さんが来たら接客しといて」

 「え」

 耳の中に音の振動が届き、脳が処理した瞬間に、鳥肌が立った。

 「あ、は、はい。分かりました」

 拒否なんて出来なかった。がっかりされる顔を見られたくなくて。この人も、足利駆みたいな
顔で私を見たらどうしよう。

 「ソファーに座らせて、『神原はあと5分くらいで戻ってきます』って言えば大丈夫だから」

 「あ、ええと、は、はい!」

 視線をさまよわせてボールペンと紙を探す。というか勝手に使っていいのだろうか、メモをし
たいので貸してくださいと頼まなきゃ。あ、でも、神原さんは今からトイレに行くし、生理現象
を私の都合で止めて良いんだろうか。いや、でも、ソファーに座らせることを忘れて、神原さん
の伝言も忘れてしまったら。

 「じゃ、サクッと出しちゃうよ。昨日の肉じゃがを」

 「あっ」

 私から漏れるSOSを微塵も感じ取ってくれることなく、神原さんは目的地へと入り込んだ。

 ああ、どうしよう。

 お客さんが来たら、まずは神原は5分くらいで戻ってくる、って言わないと。お客様に向けて
使う言葉だから『神原』って呼び捨てにしていいんだろうけど、なんか怖い。申し訳ない気がす
る。でもそうしないと、お客様よりも神原さんの方が立場が上だってなって、無礼に当たるし。
それに、万が一、お客様に私の身体が触れてしまったら…。

 悪い考えが、悪い考えを呼ぶ、その繰り返し。

 磁石のようにくっつけた両手を額に押し当てる。このまま数秒待った。早く、神原さん、戻っ
てきて下さい!

 …。

 大丈夫。

車の音も聞こえない、ここは静かな町。

お客様なんて、そう簡単に来てくれない。

今だって、こうして待っている間にも、足利駆だって帰って来てくれるし。

健次郎さんとLINEでお話でもしようかな。健次郎さん、お仕事かな。でも、ちょっとお話し
たいな。

優しかった健次郎さん。昨日は、青島へ行ったこと、すごく心配してくれた。同行したのが年ご
ろの男の子だから心配したのかな。だから言えなかった、昨日の暴力の一件を。

足利駆も黙っててくれた。もちろん、自分にとって都合が悪いからだろうけど。一応あの人も、
仕事としてやってくれてる。頬を張ったことだけは謝ってあげようかな。

チラリとガラス張りのドアを一瞥した、その時だった。

大きなシルエットが、正確に言えば、大きな生き物が、ぬっ、とたたずんでいる。

そしてその巨躯にピッタリな、大音量の重低音が鳴り響いた。

「おーい!!」

 自分よりも圧倒的に大きな生き物を見たのは、小5の時、健次郎さんに連れてってもらった水
族館でジンベイザメを目の当たりにした時以来だ。

 「駆ー! 神原さーん! いねえの?」

 遠慮なくドアを開けて入ってきた巨体。ボタンの外れた学ランから覗く朱色のシャツ。首に
は、歯のような形をした白い装飾品のアクセサリー。とさかのような形の金髪を逆立て、横の刈
り上げた部分には一筋の傷跡。

 その頭髪を支えるのは、見る人を常に威圧するような顔面。岩のように隆起した眉。獣のよう
な切れ長の目つき。臭くはないが、独特な体臭。

 「アレ? 2人ともいねえの? 留守にしてるなら戸締りはきちんとしねえと。逆にこっちが
盗んじまいそうだぜ」

 身長が180センチ後半はあるだろう彼は、未だに小さな私に気付かない。

 声を出さないと。

 神原さんがすぐに戻ってくることと、ソファーに座ってもらうこと。このまま黙ってたら、私
に気付かないまま外に出てしまう。神原さんの仕事を台無しにしてしまう。

 勇気を出して、冷静に、「あの」から切り出せ。

 目が合った。

 せっかくでかかった声は、締め付けられたように閉じた喉を通過できず、腹に戻った。

 足の震えが止まらない。地元でもこんな人、見たことがないけど、この人は凄まじい暴力と残
虐性を持っているに違いない。本能的に危険を直感する

 「あんたもお客?」

 怪訝するように、値踏みするかのように顔を近づけてジロジロと覗き込むように凝視する。

 「た、たべないで」

 「なんだそれ?」

 目の前の巨大な外見が、まともに会話をさせてくれない。

 目の辺りが緩くなるのを必死にこらえる。しかし、依然として脳が言葉を作ってくれない。

助けて、健次郎さん。

「来ても無駄だっつったろ?」

 全く望まない助け舟が階段から上がってきた。

 「よお、駆! 久しぶりだな!」

 巨体が声に振り返り、パッと明るい表情を作った。

 「2週間前に会ったろ」

 うんざりしたような顔でおざなりに巨体を見上げて対応する足利駆。

 「喧嘩ならやらねえぞ。俺だって暇じゃねえんだ。第一、俺に勝ち目ねえし。そこのチビの案
件を片付けなきゃいけねえ。面倒な案件だよ、依頼も依頼人も」

 「今日は喧嘩じゃねえ」

 急に真面目な顔を作る金髪の巨体。得体が知れないけど、今はそんなことどうでもよかった。

 チビだの面倒だの、好き勝手言われるのは気に食わない。

 「やっぱりヤなやつですね」

 意図的にも思える不愉快な失言を見逃さず、言葉の針を刺して仕返ししてやろうと試みた。

 「おどおどして満足に言葉も出せないやつよりかマシだけどな。なんだっけ? た、たべない
で~、だっけ? ビビりすぎだろ!」

 効果なしどころか逆効果。顔立ちだけは整った男の爆笑で、全身の血が沸騰するように身体が
熱くなった。

 「見てないで助け…! 誰だって初見なら危機感覚えると思いますよ。人間に備わっている防
衛本能ですから!」

 「防衛本能だとあんな不細工な顔になるんだな。勉強になった」

 典型的な、ああ言えばこう言うタイプの男。

 この男の減らず口を横に果てしなく切り裂きたい。

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