やれること

文字数 2,813文字

 5月23日 夕方

 「風香ちゃん、また明日」

 「はいはーい、また明日」

 連休明けにできた新しい友達に手を振り、道を分かれて歩く。

 新しい友達というよりは、彼女らはファンだった。本人たちが自称している。きっかけは連休
明けの昼休み、取り巻きを4人ほど連れてきた天川夢が、私に向かって嫌味を浴びせてきた時の
こと。

 駆が能無しだの、小毬ちゃんが気持ちの悪い根暗女だの、友達を悪く言われたことが引き金に
なり、教室の中で思わず怒声を浴びせてやった。古村健次郎の1件もあり、その分のやりきれな
い怒りのエネルギーも、天川夢に全て当てた。

教室中の男子も女子も、怒りの迫力と内容に全員ドン引きだったが、その数秒後、みんな手のひ
らを返したように私の味方をした。「そうゆうとこだぞ天川」「夢ちゃんってパッとしない顔の
くせに偉そう」「夢ちゃんって幼稚だよね」と、クラスの人間は私と同じようなことを思ってい
たらしい。

今度は私が誰かについて行くんじゃなくて、私が誰かを引き連れられるような女になりたい。

そんな願いも今は、少し叶いつつある。

地獄だと思い込んでいた連休明けに、希望を感じて顔の筋肉を緩めていると、見覚えのある顔が
私に声を掛けた。

「風香ちゃん」

大泉大洋の妹、大泉海莉が、帰路を塞ぐように私の前に立ちはだかった。

「お兄がバカすぎるから、もっと詳しく説明求む」

自分の兄を思い出しながら、顔をしかめて私に説明を求めてきた。

「駆のほうがいいんじゃない? …って訳にもいかないか」

提案しながら、思い当たる。今の駆の精神状態を考えて、海莉は事情を良く知る駆の方ではな
く、私のところへ来たのだろう。良い判断だ。本当にあの直情で力任せの男の妹かと疑ってしま
うくらい、この子は賢い。

「分かった。私も説明下手な方だから、脳みそをフル回転して聞いてね」

「風香ちゃんは頭がいいからそんなことない」

どんな形であれ、人に頼られるのは嬉しい。

私は、あの時の駆と小毬ちゃんの表情を思い出しながら、私の知る限りの真実を話し始めた。



△△△△△△△△△△△



 5月23日 夕方

 初夏の夕陽がじりじりと身体を刺しこむ。

 こんなところまで来て、果たして俺は正気なのかと自分で問いたくなる。

 敷地の僅か外。大きな玄関。『足利』の表札を目にしなくても分かるくらい、大きな家。同世代のやつらからは豪邸と呼ばれるほどの外装と内装。

 スマホを開き、曜日と時間を確認する。火曜日の18時過ぎ。だいたいこの曜日と時間なら、
帰ってきている。

 息を吸え。声を出せ。

 今さら迷うな。足利駆。『令和の怪盗』と呼ばれるほどのキャリアを積み上げた足利駆。

 小毬を取り戻すんだろ。自分勝手な理由で怯むな。

 「お父さんっ!!」

 声は、裏返らずに野太く出てくれた。

 「駆です! お話があります!」

 心臓が爆発するような錯覚を覚える。今にも膝が崩れ落ちそうだった。父親の、あの冷徹な眼
差しを思い出す。憎しみを簡単に超えてしまう恐怖心。

 玄関が空くと、ひっ、と悲鳴が出そうになった。堪えて、平静を装いながら、相手の目を見る
ことを意識する。

 出てきたのは、父親ではなかった。

 俺を見下す、2人の姿。

 「あ、家出した駆くんじゃん」

 口火を切ったのは、やはり弟の優。

 「1ヵ月と持たずに帰って来たんだね」

 「まだ帰ってねえよ。敷地跨いでねえし」

「それもそっか。ま、つまんない意地張ってないで戻って来なよ。今日はカレーだってさ。駆く
ん、好きだろ?」

「優、話が脱線しかけてる。少し黙れ」

「はいはい、兄ちゃんはお堅いね。父さんの血が濃いのかな」

次は兄、足利勉の番だ。言葉を丁寧に選んで話すところが、堂々と嫌味を言ってくる弟なんかよ
りもずっと厄介だ。

「証明できるから戻って来たのか?」

 「…」

 言葉が出なかった。質問の意味が分からなかったからではない。

  『次にこの玄関をくぐる時は、お前らが俺から見れば大したことない人間だって証明できる
時だ!!』

 家出した時の俺は、確かにそう言った。威勢よく吐き出した啖呵とは裏腹に、俺は、結果とし
て父親どころか、この兄弟たちをも上回っていることを証明できない。

 だから、俺はこうして敷地に入ることもできず、門の前で父親を呼ぶことになっている。

 「そうか」

 感情を読み取れない兄の顔。昔から苦手だった。

 「お前は俺たちを超えられないから、そこに立ち止まってるのか」

 黙って頷くことしかできないのが悔しいし、もどかしい。来るんじゃなかった、という思いを
必死に食い止める。耐えろ。針本はもっと苦しい思いをしてきた。こんなもの、苦痛でも何でも
ない。

 いっそ、この兄貴を殴ってでも父親を呼んできてもらおうか。

その意気込みは、必要なかった。

「どんだけ厳しいんだよ。お前の自己評価は」

兄が突然、クスクスと笑い始めた。

足利勉がこんなに笑うのは、小さい頃以来だ。運動会の徒競走でで俺が1位を取った時に「お前
すげえな」と歯を見せて笑った、あの顔。

「お前、すげえな」

「嫌味かよ」

昔なら素直に喜んでいた俺は、自分なんかよりももっとすげえ人間の賛辞を拒絶する。

「いやいや、本当だ。俺は勉学、優は芸能、そして駆、お前の強みはメンタル。どんな状況でも
自分の言ってること、やってることが正しいと思える我の強さ。立場や正しさに振り回されない
身勝手な心持ち」

「褒められてる気がしないんだが」

 弟も同調して俺をからかい始めた。

「そうそう、駆くんは図々しいんだよ。いい意味で」

「『いい意味で』を盾に俺を卑下するなよ、愚弟が」

「まあ駆くんは、完璧超人の父さんに口答えできる唯一のバカだから、いないと空気が重苦しい
んだよね」

「お前は本当に俺のこと兄貴だと思ってねえな」

相変わらずの弟の毒舌に怒りを通り越して呆れを感じる。ため息を吐きだし、つい笑ってしま
う。

「駆は親しみやすいってことだ。勉強ばっかりしてきた俺なんかよりもな。そういえば、優が同
級生にイジメられた時も、お前が真っ先に殴りに行ってたもんな」

「兄ちゃん! あれはイジメじゃなくて天才子役の僕に対する一般人のひがみだよ! 駆くんが
変に出しゃばるから、あんな下のやつらに屈したみたいになったじゃんか。…まあ、善意だけ
は、ありがたく受け取ってあげるけど…」

弟が、憤りで真っ赤にした顔を照れくさそうに逸らす。

「そういうことだ。自慢の弟」

兄が、…いや、兄貴が、俺の背中を押し、身体が足利家の敷地に入った。

「足搔いてみろよ、自己中の足利駆。お前のやりたいように」

「せいぜい頑張りなよ。一応、僕のお兄ちゃんなんだから。骨は拾ってあげる」

「うるせえよ」

俺の味方は、もっと近くにいた。大泉や風見なんかよりも、ずっと近くに。血を分けた2人の兄
弟。

この2人を、目に見える能力ばかりで比較して勝手に敵視していた俺は、やはり未熟だ。今の時
点では神原陸斗にも父親にも及ばない。

それでも、やれることだけはやってやる。


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