『奇跡、夢かなう』

文字数 3,442文字

「青バラでしょ?」

意図していなかった問いかけに、一瞬だけ思考が止まった。

「はあ?」

依然として付いてくる風見から「青バラ」という単語が出たことで、意識がこの黒髪女に集中す
る。

こいつ今、なんて?

「うちの学校でも流行ってるんだよね。青バラを手に入れたら願いが叶うって」

「それ、どういうことですか?」

食いついたのは、針本。

「あ、かわいい彼女が初めて口を開いた。声もかわいいね。やったじゃん、駆」

「彼女じゃないです」

即答する針本。そうだ。彼女なんかじゃない。恋仲にすらなれないな。俺とは釣り合わない。心
の中で強引に同調する。

「あ、本題ね。うちの学校の子がね、この島で真っ青なバラを見つけたんだって。知ってる? 
青いバラって、品種改良されても完全な青じゃないのよ? 淡いパープル系なんだって。しかも
天然由来であんな空のように青いバラ、この世に存在しないはずなのよ?」

どうせネットで拾ってきた知識だろ。さも自分が学習して身に着けたように披露しやがって。こ
いつは相変わらず俗っぽいというか、浅はかというか、テレビやスマホ、同世代の人間の噂話に
多大なる信頼を注ぐ女だ。こいつの短所の一つである。

「それに、青バラの花言葉はね、えっと」

今度は、露骨にスマホで検索し始める。

「『奇跡、夢かなう』だってさ! だから夢ちゃんが頑張って探してるんだね」

夢ちゃん、とは差し詰め表向きでは親友のクラスメートのような存在だろうな。こいつは平気で
俺の知らない人間の名前を出す。俺の情報も、こうやって知らない誰かさんたちにバラまいてん
だろうな。

「風香ちゃーん。早くこっち来なよ!」

「あっ、やば、夢ちゃんだ。はーい! もう行くよー!」

風見風香が、表向きの友人たちの方へ走り出して行った。男女で合計5人の烏合の衆へと。
見るからに俺が嫌いな連中に対して、風見風香は俺がずっと嫌いだった、その余所行きの笑顔で
わざとらしく手を振った。

気に食わないんだよ。その顔が。その意地汚い性根が。

「足利さん?」

「あ? ああ、悪い」

歯噛みして全身に力が入っていたことに気付き、落ち着きを取り戻そうとゆっくり息を吸って、
吐いた。

じゃ、行くか。

気を取り直して目的地へ出向いた俺たちに、再び邪魔が入るなんて思いもしなかった。

「私の元カレ。で、隣は多分なんだけど新しい女」

近くに何人もの人の気配を感じて、振り向くとやはり、風見風香を加えた男女6人組が手を伸ば
せば触れられそうな距離に近づいていた。


△△△△△△



 青島の海が見えるカフェテラス。それだけ述べれば良質な景色を想像できるが、見ず知らずの
他人が5人もいるこの光景は至極、異常だった。

「まずは初めましてよね。私は天川夢。夢ちゃんでいいよ~」

風見風香が『夢ちゃん』と親しげに呼んでいた女が口火を切る。茶色に染め上げた髪の毛先がカ
ールしている。高校生のくせに化粧をしている。こいつがこの集団を仕切るリーダー格なんだろ
うな。

「じゃあ次、俺な! 友田明弘」

女に仕切られた集団の、男の中では偉い身分のチャラい男が、軽薄な声を上げて自分の存在を必
死そうにアピールした。

「友田、でしゃばんな~」

夢ちゃんこと天川夢が、身の程をわきまえない友田を非難する。この明るそうな男が一蹴された
ということは、男子陣営は全体的に下の立場なんだな。

「次は風香ちゃんの番じゃんか」

「え、私は大丈夫よ。駆は私のこと知ってるし、隣の子もさっき話したし」

紹介を促された風見風香は、天川夢の顔色を窺うように黙り込んだ。こんな女の腰巾着になるな
よ。情けない。

6人組全員の自己紹介が終わる。実際は3分くらいしか経っていないだろうが、体感では30分
くらい経過した気分だ。同じような人間ばかりでつまらない。最後の男は、自分の口から自己紹
介するチャンスすら与えられず、天川夢が勝手に自分を紹介するのを黙って聞いていた。本名す
ら語られず、見るからに脂肪と筋肉の少ない細身の体から『もやし』と呼ばれていた。顔は悪く
ないし、頭脳も冴えてそうな男だが、どうしてこんなやつらと一緒にいるんだろうか。弱みを握
られている? もしくは、青バラで叶えたい夢があるとか?

まあ、そんなことはどうでもいいか。青バラは針本の解呪のために存在しているし、先に手に入
れれば問題ない。

それに、一番の困難は、たった今。この瞬間。

「足利くんと小毬ちゃんってさ、付き合ってるの?」

全体的に軽薄そうな集団による程度の低い内容の会話をいかに切り上げられるか。一番の難所
だ。

「誰が付き合うか、こんな女」

もっと柔和に否定したかったが、つい毒づいてしまう。

「こっちから願い下げです。こんな自分のことしか考えてない身勝手な男」

針本が例のごとく反撃してくる。

「んだと?」

「だって、初対面の私をお前呼ばわりして失礼だし、お金にケチだし、栄養のことに細かくこだ
わってるし」

「おい」

具体的に指摘してくるのは卑怯だろ。こっちは『こんな女』だけで済ませてやったのに。

「仲良しなことは伝わったよ。ね、みんな」

天川夢が上から物を見るように俺たちの関係を察した気になる。「ああ」とか「そうね」とか、
本心か定かではない同調が生み出す異様な空気。

早く帰りてえな。

「でもさでもさ!」

自己紹介の時、天川に黙らされていた友田が、期待に目を光らせたような態度で針本を見た。

「付き合ってないんだろ!? お前ら。それなら、これから一緒に俺と遊ばない?」

なに言ってんだ、こいつ。

反射的に、俺は針本の表情を見た。俺は、怯えている。

嘘だ。何かの間違いだ。

「ごめんなさい。それはできません」

針本は申し訳なさそうに下を向いて謝った。溜め込んでいた息が、安堵となって溢れ出た。い
や、依頼に影響が出るから男の誘いを断ってよかった、という安堵だ。違う。断じて違う。

「ええ~! いいじゃん! それとも他に相手がいるの!?」

 しつこく食い下がる友田。その後の、針本の言葉で、俺は不必要に苦しんだ。

 「ごめんなさい。私には、健次郎さん…、あ、その、こっ、婚約者がいるので」

 胸元から、首に掛かったバラのアクセサリーを取り出す。

 気付かなかった。そんなものを付けていたなんて。

 気付かなかったフリをした。こいつの、あの男に対する好意の本気度。

 視界が、そして気が遠のく。

 「駆、駆」

 懐かしい呼び声で、俺の意識は元に戻った。

 「んだよ」

 裏切り者の風見風香に借りを作ってしまったことを悔いる。

 「なによ、その態度。せっかく話しかけてやったのに」

小声で呼びかけたアホ面が、仏頂面に変わる。

「それにしても、相変わらず内面が顔に出やすい男ね」

「うるせえ、話しかけんな」

誰かの腰巾着でしか生きられない女が、俺のことを理解した気になるな。

「ねえ」

急に、風見風香の顔つきが変わった。それは、中学時代のあの日々。あいつの部屋で、2人っき
りになった時にしか見せなかった顔。合わせたことのある口元に、目が行ってしまう。

「一緒に話さない?」

「…はあ?」

「みんな見てないよ。あの子を中心に、盛り上がってる」

針本が、いかにも活発そうな男子2人に言い寄られているのを、天川夢たち女子2が笑いながら
見ている。

「お前の言う『みんな』に、あいつは入ってねえのかよ」

俺が目を合わせると、慌てて視線を逸らす『もやし』。

「いいのよ、あの子は」

風見風香は、揚げ足を取られてバツが悪そうに吐き捨てる。

「ま、誰が見てるとか見てないとか関係ない。俺はもう、お前なんかと話したくない」

俺は、これ以上、この女に関わる気はない。

「なあ、いいじゃん。じゃあさ、ちょっとだけ、手を触らせてよ」

「っ!?」

友田の発言に、怯えきっていた針本は硬直した。

「依頼主のピンチだ。戻る」

 婚約者の古村健次郎が、『不可視のトゲ』によって悶絶した動画を思い出すと、使命感に背中
を突きつけられるように身体が動いた。

 針本の手に、他の男の手が触れそうになる。

 寸前で、俺の手は男の手を掴み、軽くひねってやった。

 「いってえ!! なにすんだよ!」

 憤る友田。感情が揺れているうちに、俺は言葉を刺しこんだ。

 「汚い手で触れるな。こいつに触れていいのは俺だけだ」
 腹の底がぐつぐつと熱くなっていく感覚。怒りがこみ上げていたことを自覚する。

 「はあ、てめえやっぱりこいつのこと好きなんじゃねえか」

 手首を捻り過ぎたか、友田が半泣きで俺に訴える。

 その声を無視し、

 「ほら、さっさと用事済ませるぞ」

 俺は堂々と針本の手を掴み、カフェテラスを後にした。
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