この瞬間の全てを

文字数 837文字

 「ごめんなさい!」

 なんでお前が謝るんだよ。俺の方から出かかった謝罪が、腹に引っ込む。

 外はすっかり真っ暗で、海浜公園の外灯だけが眩しく照らされる。

 「私、ずっと勘違いしてました」

 子供のような顔が、真剣な表情を作る。

 「足利さんのこと知らないで、初日の印象だけで勝手に悪者扱いして。あなたのことを知りも
しない人たちから理不尽に傷つけられて」

 下を向いたまま黙り込む。多分、『令和の怪盗』に関する何かを見たんだろうな。

 「だから、ごめんなさい。私が浅はかでした」

 急に顔をあげて、再び謝った。

 「依頼人だからって、あなたに任せっきりだったのも事実なのに、あんなに悪態をついたこと
も謝ります」

 ちゃんと、理由のある謝罪だった。怖くて、責められたくないだけの謝罪じゃない。こいつ
は、大切な人を殺してしまった過去がありながらも、しぶとく生きている。家族への卑屈で生き
ていた俺なんかとは比べ物にならないくらい強い人間だ。

 「信じるよ」

 謝るタイミングを見失った俺は、代わりに伝えた。

 「お前のこと、お前の『トゲ』のこと、俺は信じる」

 声に出して、目の前の依頼人の反応をうかがう。

 「本当ですか?」

 緊張した面持ちで俺を直視する。目を逸らしたくなったが、相手のために真っすぐ目を見て、
即答してやった。

 「本当だ。こんな場面で嘘を吐くほど俺もそこまで人間終わってない」

陶器のように白い肌をした女の目から、涙が流れた。

「そう、ですか。…嬉しい」

針本が、下を向いて凍えるように肩を上下させて涙を流した。

細い指で涙を拭うと、童顔が、再び俺を見た。

「ありがとう。駆くん」

綺麗な泣き顔だった。

卑怯なやつだ。

普段から気弱なくせに、大事な場面では不意を突くように度胸を見せてくる。今だって、俺の呼
び方を急に変えてきやがって。

「小毬のくせに、生意気なやつだ」

反応を見たくなかった俺は、真っ黒な夜の海に顔を背けた。

浜風の音、匂い。漆黒の海。その上に浮かぶ半月。

俺はこの瞬間の全てを、一生忘れないと思う。

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