第50話 私のお気に入り

文字数 3,257文字

『My Favorite Thingsわたしのお気に入り』
菊池 亮太(1989年11月20日 - )は、日本のピアニスト、キーボーディスト、作曲家、編曲家、YouTuber。
今日で50話目です。『作品の中の音楽』『色褪せない音楽』の中で、自分でもよく聴いている曲を12曲抜き出してみました。うち、4曲は投稿を始めてから知った曲です。

アクセス数は、『テンペスト』と『Queen』が圧倒的に多いです。

アフリカンシンフォニー、娘が吹奏楽部でこの曲を演奏していた。これは甲子園の応援に使われる。

現代のバブリーダンスがブームしたきっかけが、大阪にある登美丘高校ダンス部 Tomioka Dance Clubです。

‍歌手・荻野目洋子の「ダンシング・ヒーロー」の曲に合わせて、パフォーマンスを披露しています。見てのとおり、ハイヒールにタイトスカート、派手なヘアメイクで忠実にバブル時代の女性を表現しており、目を引くようなダンス動画です。

‍彼女たちのダンスパフォーマンスは、強豪校ならではの実力で迫力のあるダンスです。ハイヒールを履いたまま、ジャンプしたり、大きく激しい動きをするので、相当な練習量が必要になったかと思います。

‍こちらの動画が世界中に拡散されたことによって、知名度が高くなり、日本中にバブリーダンスの再ブレイクが起こりました。登美丘高校ダンス部の指導にあたっていた振付師akaneは、Tomioka Dance Clubを日本高校ダンス部選手権で2連覇まで導いた実績を持ちます。(ジャパン ユース ダンス フェスティバル 2022より)

46話によみぃさんのピアノの動画があります。
『反射率0.39』(はんしゃりつれいてんさんきゅう、Albedo 0.39)は、ヴァンゲリスのアルバム。

題名は地球を意味している。「反射率」とは、任意の非発光物体が光を投射された時にその光をどの程度反射するか、という割合で、完全に反射する物体(鏡)を1.00と設定すると、アルバムが制作された1976年当時の地球は0.39となる。この題名及び個々の楽曲のタイトルも全て天文学や天体物理学に関連したものになっている。

発売当初のLP及び1990年にCD化された時、アルバムのオビでは「ロック」に分類されていたが、一般的にはシンセサイザー使用の割合などから「プログレッシブ・ロック」或いは「シンセサイザー音楽」として分類される事が多かった。

6曲目の「アルファ」は、1980年のテレビ番組『コスモス(宇宙)』で使用され、ヴァンゲリスのベスト盤等にも複数回にわたって収録されている。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8D%E5%B0%84%E7%8E%870.39

冨田勲(シンセサイザー音楽作家、奏者)の『宇宙幻想』の8曲目は『惑星ソラリス』を観た印象に基づいて作られたという。

『ソラリスの海』(J・S・バッハ)

・シンフォニア第2番(BWV788)

・我汝に呼ばわる、主イエス・キリストよ(BWV639)

私のお気に入り」は、ミュージカル『サウンド・オブ・ミュージック』のうちの一曲。リチャード・ロジャース作曲、オスカー・ハマースタイン2世作詞。

日本では、東海旅客鉄道(JR東海)の観光キャンペーン『そうだ京都、行こう』のCMソングとして使用されていることでも知られる。四季の変化にあわせて曲調が上下する。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/私のお気に入り

真矢みき 初舞台当初から注目を集め、歴代花組トップスターに勝るも劣らぬ個性派スターとしての道を歩み、特に1992年から1995年にかけては2番手ながらトップである安寿ミラとほぼ同等な扱いを受け、芝居・ショーともに活躍。(Wikipediaより)
『4分間のピアニスト』のラストです。実際に演奏しているのは日本人。

ピアノに対する冒涜だ、という意見も少数。

「赤色エレジー」は、林静一が漫画雑誌『ガロ』に1970年1月号から1971年1月号まで連載した劇画。また、同劇画をモチーフとして1972年4月25日に発売されたあがた森魚のシングル曲。
マリー・ローランサンの鎮静剤を検索したらありました……

詩はマリー・ローランサン。訳は堀口大学なのです。

曲は伝説のフォークシンガー・高田渡さん。知りませんでした。

ヴァイオリニストのデイヴィド・ギャレットを知ってから、ヴァイオリンが弾きたくて、二駅先のヤマハまで習いに行きました。こんな、電子ヴァイオリン。
発表会で何人かで弾いたのが『わたしのお気に入り』でした。
友川カズキ 秋田県出身。詩人でありミュージシャンであり画家という、様々な才能を持ち比類なき世界観で根強いファンを持つ。

「上京して飯場にいたとき、居酒屋の有線放送で岡林信康の『山谷ブルース』が流れて。歌詞で『今日の仕事はつらかった、あとは焼酎をあおるだけ』ってのがあって、これ俺のこと言ってる!って思ったんです」岡林信康との出会いから独学で音楽を始めた友川氏は数年後、当時のアルバイト先で知り合ったミュージシャン・宇崎竜童氏に見出され、歌手デビューを果たした。「トドを殺すな」(1976年)

 友川氏の曲が、一躍世間に広まったのが1977年の大晦日。作詞作曲を手がけた『夜へ急ぐ人』を「第28回NHK紅白歌合戦」で、ちあきなおみが歌うことになったのだ。

「楽曲を依頼されてから、ちあきさんのライブに行ったのですが、歌っている姿がジャニス・ジョプリンに重なって見えてね。とんでもない才気の持ち主でした」と、ちあきなおみから受けた感動を語る。

項羽の陣営を幾重にも囲んだ劉邦の軍から夜、楚の歌が聞こえてきます。項羽は敵に投降した楚の兵が多いことを知って驚きました。有名な四面楚歌の場面です。
項羽のそばには常に最愛の女性、虞姫(ぐき)と、愛馬の(すい)がおりました。項羽は詩を詠じます。


 力は山を抜き気は世を(おお)ふ。時利あらず騅逝かず。騅逝かず奈何(いかに)すべき 虞や虞や(なんじ)を奈何せん。


 自分には山を動かすような力、世界を覆うような気魄があるが、時運なく、騅も立ちすくんでしまった。騅が走らなければ、どうしたらいいのか。虞や虞や、おまえをどうしたらいいのだろう――。

「美人(これ)に和す」。司馬遷の短い言葉が、胸に迫ります。「項王(=項羽)、(なみだ)数行下る。左右皆泣き、()く仰ぎ視るもの()し」。

項羽は覚悟していました。敗れた自分は散ればいい。だが虞姫はどうなる? 項羽は虞姫ひとりを心から愛していたのだと思います。(NIKKEI STYLE キャリアより)

数あるURIAH HEEPの名曲の中でも最も愛して止まない永遠の名曲。イントロ聴いただけで条件反射的に涙腺が緩み、楽曲クライマックス部分におけるジョン・ロートンのコブシが回りまくる入魂のシャウトには、聴く度に悶絶を誘われ、毎回滂沱の如く涙を流しております。 (この曲を聴け 火薬バカ一代さんより)

元ユーライア・ヒープのヴォーカリスト、ジョン・ロートンが74歳で逝去。

「2021年6月29日、ジョン・ロートンが突然、全く予期せぬかたちで亡くなったという非常に悲しいニュースを、深い遺憾の意をもってお伝えします。報じられている内容とは裏腹に、病気ではなかったため、彼の死は理解しがたいものとなっています。彼は妻に見守られながら安らかに逝きました。彼の死は大変惜しまれることでしょう。ジョンの人生を祝福するための葬儀は、本人の希望通り、家族と親しい友人のみで執り行われます」

https://www.udiscovermusic.jp/news/john-lawton-uriah-heep-dead-74?amp=1

次のタイトルは『わたしのお気に入り』にします。投稿スペースが落ちると思いますが引き続き、来ていただけたら嬉しいです。
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