第8話 素敵な演奏見つけました
文字数 2,067文字
「4分33秒」は、アメリカの作曲家である『ジョン・ケージ』が作曲し、1952年に初演された「3楽章」から成る楽曲です。
しかしながら、3楽章から成る「4分33秒」の全楽章は全て“休み”となっており、楽譜は以下のようになっています。
I (第1楽章) TACET (休み)
II (第2楽章) TACET (休み)
III (第3楽章) TACET (休み)
「TACET(タセット)」とは、音楽用語で「比較的長い間の休み」を意味しますが、それが3楽章全ての楽器の譜面に書き込まれおり、楽譜が意味するところは“休み”だけと言う事になります。
しかし、「“休み”だけ」と言っても、聴衆を前にして、指揮者は指揮台へと登り、演奏者はしっかりとステージに出て演奏姿勢へと移ります。
ところが、楽譜に書かれているのは“休み”のみですので、結局、「4分33秒」の間、全く演奏する事無く曲は終了し、指揮者と演奏者は聴衆に対して一礼し、聴衆は「4分33秒」の無音の音楽に対して拍手を送ります。
これだけ見たら、もう「お笑いのコント」のような楽曲なのですが、この「4分33秒」は世界的に見ても非常に高い評価を受けている楽曲の1つと言えます。
また、ジョン・ケージは、「無音(音の無い世界)」の音を聴くためにハーバード大学の無響室に入り、その中で、「“自分の神経系が働いている音”と“自分の血液が流れている音”を聴いた」と記しています。
https://shoichi-yabuta.jp/beginners/contemporary/john-cage-433.html
交響曲第45番 嬰ヘ短調 Hob. I:45 は、フランツ・ヨーゼフ・ハイドンが1772年に作曲した交響曲。『告別』の愛称で知られ、ハイドンの交響曲全体の中でももっとも人気のある作品のひとつである。
19世紀初めにハイドンの伝記を記した逸話によると、エステルハージ家の夏の離宮エステルハーザでの滞在期間が予想以上に長引いたため、大抵の楽団員がアイゼンシュタットの妻の元に帰りたがっていた。このため、ハイドンは終楽章で巧みにエステルハージ侯に楽団員の帰宅を認めるように訴えた。終楽章後半のアダージョで、演奏者は1人ずつ演奏をやめ、蝋燭の火を吹き消して交互に立ち去って行き、最後に左手に、2人の弱音器をつけたヴァイオリン奏者(ハイドン自身と、コンサートマスターのアロイス・ルイジ・トマジーニ)のみが取り残される。エステルハージ侯は、明らかにメッセージを汲み取り、初演の翌日に宮廷はアイゼンシュタットに戻された。ただし、この逸話を裏付ける証拠は残されていない。
2009年のウィーンフィル・ニューイヤーコンサートでは、ハイドン没後200年を記念し、ダニエル・バレンボイムが第4楽章をとりあげ、団員が1人ずつ壇上から去っていく様が評判を呼んだ。(Wikipediaより)
『猫の二重唱』は、ソプラノ二重唱とピアノ伴奏による曲で、しばしばアンコール曲として上演される。歌詞が猫の鳴き声(miau)をくり返すだけであるためにこの名がある。他の声域(ソプラノとテノール、ソプラノとバスなど)で上演されることもある。
『猫の二重唱』はジョアキーノ・ロッシーニの作品とされることが多いが、実際にはロッシーニのオペラ『オテロ』中の曲などを別人が組み合わせて編曲した作品である。ヒューバート・ハントによると、編曲者はイギリスのロバート・ルーカス・ディ・ピアソルであり、1825年に「G. Berthold」の偽名を使って出版した。(Wikipediaより)
サントリー1万人の第九は、ベートーヴェンの「交響曲第9番」(第九)の演奏と合唱を主体に構成される音楽興行で、1983年から毎年12月の第1日曜日に大阪城ホールで開催。「1万人の第九」と銘打っているのは、公演のたびに一般からの公募などによって1万人規模の合唱団を結成していることによる。
震災直後、佐渡さんはこう言いました。「命や食べ物が必要な時に、音楽ではお腹を満たすことも、身体を温めてあげることも出来ない…音楽ってなんて無力なんだろう」。ですが、被災地への慰問やチャリティーコンサートで佐渡さんとオーケストラが奏でるクラシックは、明らかに聞く人々に何かを届けていました。
出演者
佐渡 裕
森公美子
平原綾香
スーパーキッズ・オーケストラ
スタッフ
製作著作:MBS
プロデューサー:越智 暁
ディレクター:
高沖秀明
植田恵子
中村 亮(放送映画製作所)
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