第49話 無惨の美

文字数 4,562文字

まだマイケル・ジャクソンのことが頭から離れません。

このチャットノベルを始める前はぜんぜん知らなかったのに。

これは最終話にしようと思ったけど49話目に投稿します。

カルミナ・ブラーナは、19世紀初めにドイツ南部、バイエルン選帝侯領にあるベネディクト会のベネディクトボイエルン修道院で発見された詩歌集。

カール・オルフがこれに基づいて作曲した同名の世俗カンタータがあり、様々な映像作品などで利用されるなど、一般においてはこの曲によって名が知られている。

§ 全世界の支配者なる運命の女神(フォルトゥナ) FORTUNA IMPERATRIX MUNDI

おお、運命の女神よ(合唱) O Fortuna (Chorus)

運命の女神の痛手を(合唱) Fortune plango vulnera (Chorus)

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%9F%E3%83%8A%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%8A

マイケル・ジャクソンがアルバム『Greatest Hits History』の1曲目の冒頭に使用している。

Dies irae 怒りの日

Dies irae, dies illa, 怒りの日、まさにあの日に、

Solvet saeclum in favilla, 解き砕くだろう、この世を灰に、

Teste David cum Sibylla. ダビデとシビラが証したように、

Quantus tremor est futurus, どれほど震えがあるだろう、

Quando judex est venturus, そのとき裁き手が来るだろう、

Cuncta stricte discussurus! すべてを厳しく打ち砕くだろう!

Tuba mirum spargens sonum ラッパが不思議な音ひびかせる

Per sepulchra regionum, 墓場を貫き、各地をめぐる、

Coget omnes ante thronum. すべてのものを座前に集める。

キリスト教では死者のためのミサ曲であるレクイエムが用いられる。死者の霊が最後の審判に当たって、天国に入れられることを願う目的で行なうミサのことである。レクイエムという言葉は、カトリック教の式文が「彼らに永遠の安息(requiem)を与えたまえ」で始まることから取られた。死者が天国に入れるように神に祈る典礼であって、死者の霊に直接働きかけるものではない。従って鎮魂曲、鎮魂ミサという呼称は適当ではない。

第2曲「怒りの日」。この章はレクイエムの中心をなす「続誦」の部分で、最後の審判の恐ろしさと、それを免れるための祈りから成り立っている。

http://web.sanin.jp/p/sousen/1/3/1/13/8/

35話にユーリ・シモノフの指揮があります。
以下3曲はかなり凄まじいです。苦手な方はスルーしてください。
友川を知らない方のために、以下、略歴を記そう。1950年生まれの秋田県出身で、本名は及位典司(のぞきてんじ)と云う。この及位という姓を笑われるつらさから、勤め先の飯場で名乗ったのが「友川かずき」という芸名の発端であるという。1970年、岡林信康の「チューリップのアップリケ」に触発され、ギターを弾き、歌うことを始める。1974年、東芝から「上京の状況」でデビュー。以後、1981年までに徳間からアルバム3枚、キングからアルバム4枚をリリースし、商業的に成功したとは言えないものの、熱心なリスナーの支持を受け続ける。この頃、ドラマ『3年B組金八先生』でゲスト出演し、名曲「トドを殺すな」を歌う映像が残されているが、津軽三味線のようにギターをかき鳴らし、絶叫するさまは、表現の古さ、新しさとかいう言葉を無意味にしてしまうほど、迫力に満ちたものだった。

詩を書いた位では間に合わない

淋しさが時として人間にはある

1986年にポリドールからアルバム『無残の美』をリリース。友川はこの時、表現者として正に最盛期を迎えようとしていた。


「無残の美 友川は及位(のぞき)家の次男坊である。長兄一清と四男の友春は熊代に居住している。2歳年下の三男を覚(さとる)という。この曲は若くして逝った弟覚への追悼歌。覚は熊代農業高校を出たが、家業の農業を嫌って家出。流転が始まる。覚は、ちょうど兄友川がそうしたように、流れ歩く生活の中で詩作をするようになる。坂口安吾と山頭火を愛し、その存在を兄に教えもした。一時郷里に帰ったが、(昭和)55年再上京して兄のアパートに同居。川崎の建材屋で働くかたわら兄の付き人を。しかし半年後、いつもそうだったように突然の出奔。行方の知れないまま4年。(昭和)59年10月30日深夜、覚は阪和線富木駅南一番踏切で、上り大阪行電車に身を投げた。享年31歳。富木の飯場には、中島みゆきのLP『寒水魚』と10冊の文庫本が、川崎の友川の部屋には20冊の大学ノートと数10枚のメモが残された。遺稿は『及位覚詩集』ちなみにジャケットのオブジェは『無残の美』とタイトルされ、友人の繪魯洲が制作したもの。」


友川の弟、及位覚は彼も詩を書いていたが、生前は無名の存在であった。彼が自ら命を絶った理由は分からないという。

淋しさを紛らわすために多くの人は詩を書き始めるが、詩は決して救いにならない。むしろ、淋しさにはっきりとした形を与えてしまう。麻薬中毒の作家、W・バロウズは「ことばはウイルスだ。言語線を切れ!」と言ったが、彼の意図するところとはまるで違うかもしれないけれど、自分も、言葉は人間の心を蝕む病原体だと思うときがある。淋しさに形を与え、谺となって無制限に増殖してゆく。本当はきっと、彼は詩に対し、余りにも真摯に向き合い過ぎたのではないだろうか?


鉄道自殺した弟の身元確認の際、「見ない方がいいですよ」と言われたものの友川は、顔半分が飛んでしまった遺体と対面する。それは自分の親族だからというのでなく(だから「いかなる肉親とても幾多の他人のひとりだ」と歌っている)、一人の表現者が為した事すべてを受け取るために、守らなければならない厳粛な儀式だったのだ。


弟はすでに肉体を離れ、生まれ故郷の熊代に溶けこもうとしている。「こちら側へももう来るな」、あえて解説など要らないと思うが、生の間に抱き止めてやれなかった以上、生きることが苦しみとなってしまった弟へ、兄からの精一杯の優しさを示したものだと思う。無残に破損された肉体と対面し、普通の人間なら嘔吐もし兼ねない状況で、「きれいだ」と言ってあげられる、これが慈悲でなくて一体何だろう。人間のこころが授けられるもので、それ以上のものがあるのだろうか?


世には、一つの事にのめり込み過ぎたために、言い換えれば懸命に生き過ぎたために、有限の肉体をあっさり捨ててしまう火花のような人たちがいる。友川がリスペクトする、中原中也も、山頭火も、住宅顕信も、言葉を研ぎすませる手品みたいな事に取り付かれて、命を削った。一遍上人や、たこ八郎も、そういう意味では同じ群れの人たちだ。脆弱な肉体を持ちながら、それを忘れたかのように無茶をして、魂を純化する如く生き急いでしまう。


行き着くところ、残された作品だけでは全てを語れないのだ。立派に生き抜いたゲーテよりも、刹那的なボードレールやランボーが多くの人に、熱烈に愛される。実は誰もが、肉声を聞くことを求めている。自分たちの肉体がたかだか数十年のうちに老いて、消滅することを知っている。芸術はこの脆い肉体から、逃げられない。結局、友川カズキの東北訛りの、決して洗練とは縁遠いあの声に我々が脅かされるのは、そういうことでは無いのだろうか。

http://anti-buddhism.doorblog.jp/archives/21920952.html

きれいなヴァイオリンの音が耳から離れなくなります。

11月は死者の月と言われます。日本の教会は11月の意向として、「孤独のうちに死をむかえた人たち、自死に至った人たち、誕生の前にいのちを奪われた子どもたち」のために祈るように勧めています。


ところで、信仰に生きる人々の間でも、自死についての誤った認識がなされていることがありますので、ここで日本の司教団の公式な見解を確認しておきましょう。21世紀の到来にあたって、2001年1月1日に日本カトリック司教団は「いのちへのまなざし」というメッセージを発表しました。その第3章「生と死をめぐる諸問題」の二節で「自殺について」取り上げて、61項の終わりに「残念なことに、教会は、『いのちを自ら絶つことはいのちの主である神に対する大罪である』という立場から、これまで自殺者に対して、冷たく、裁き手として振る舞い、差別を助長してきました。今その事実を認め、わたしたちは深く反省します。この反省の上に立って、これからは、神のあわれみとそのゆるしを必要としている故人と、慰めと励ましを必要としているその遺族のために、心を込めて葬儀ミサや祈りを行うよう、教会共同体全体に呼びかけていきたいと思います」と綴られています。

メッセージの60項にもあるように「自殺者たちの切ない叫びを真摯に受け止め、その心をしっかりと見つめ、その悩みや苦しみに共感し、それに寄り添って生きていけるような社会をわたしたちが築いていけることを願っています。それは一人ひとりの責任なのです。」

身近な人の死について思い巡らしながら、「孤独死」「自死」「胎児の死」で亡くなった方々、そして、すべての死者のために祈る一週間といたしましょう。

https://seseragi-sc.jp/sasage/1611-2.htm

この楽曲は、知人の実話を元に作られたものである。ただし曲中では、優しく真面目な心の持ち主である交通死亡事故の加害者「ゆうちゃん」をメインに、それを見守る同僚の気持ちを歌詞にしているが、実際にはさだの知人である被害者の妻の体験と事実を元に詩が作られている(さだは、「ゆうちゃん」に相当する加害者とは会ってはいない)。

さだの知人女性(歌詞に登場する「被害者の奥さん」)は、交通事故で伴侶を亡くした。加害者の男性は真面目な人らしく、毎月わずかずつではあるが賠償金を郵送してきていた(民事での賠償命令がどの程度だったのかは語られていない)。事故から数年経ってもその送金は続き、知人は茶道の師範として経済的にも自立できていること、加害者の直筆の手紙を見るたびに事故のことや亡夫を思い出して辛い思いをすることがあり、加害者に対して「もうお金は送ってくれなくて結構です」と返事の手紙を書いた。しかし被害者の許しの手紙を受け取ったはずの加害者は、自分の起こした罪を償い続けるために翌月以降も送金を続けた。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%84%9F%E3%81%84_(%E3%81%95%E3%81%A0%E3%81%BE%E3%81%95%E3%81%97%E3%81%AE%E6%9B%B2)

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