第24話 マイケル・ジャクソン

文字数 2,294文字

1982年12月、アルバム『スリラー』を発表。推定約7000万枚を売り上げたとされており、ギネス世界記録において「史上最も売れたアルバム」として認定されている。また、収録曲9曲のうち7曲がシングルカットされ、その全ての曲が全米チャートでトップ10入りするという前人未到の快挙が成し遂げられた。その価値は批評家にも認められ、2年後の第26回グラミー賞では史上最多となる7部門を制覇する。

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前回のラストのマイケル・ジャクソンの動画が凄くて……

実はマイケル・ジャクソンはニュースで耳に入ってくるくらいのことしか知らなかった。しっかり聴いたこともない。整形を繰り返し、肌を白くし破滅したスーパースター、ネバーランド、児童虐待の裁判等々……

偏見。

マイケル・ジョセフ・ジャクソン(1958年8月29日 - 2009年6月25日)は、アメリカ合衆国出身のシンガーソングライター、ダンサー。一般的に「キング・オブ・ポップ」と称されている。全世界総売上は4億枚以上であり、ビートルズ、エルビス・プレスリーに次いで史上最も売れた音楽家とされる。

これまでに13のグラミー賞(ノミネートは38回) を受賞。ギネス世界記録から「人類史上最も成功したエンターテイナー」として認定されている。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%82%B1%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%AF%E3%82%BD%E3%83%B3

ゲーリーの貧しいアフリカ系家庭に五男として誕生、幼い頃から兄弟たちとともに音楽の才能を発揮。1970年代に兄弟グループ「ジャクソン5」の天才リードシンガーとして一世を風靡した。
1968年1月、「ビッグ・ボーイ」でデビュー。1969年10月、「帰ってほしいの」でメジャーデビュー。全米チャートで1位を獲得した。可愛らしさ溢れるマイケルの歌声や、秀逸な楽曲群に加え、ダイアナ・ロスが発掘したという架空の設定も話題となり、グループは全米で人気を博すようになる。この頃からやっとジャクソン5と名乗るようになる。

1970年2月、シングル2作目の「ABC」がビートルズの「レット・イット・ビー」に代わり1位を獲得。その後、続く「小さな経験」と「アイル・ビー・ゼア」もチャートを制し、デビューから4曲連続で全米チャート1位を獲得するという偉業を成し遂げた。


1971年10月、シングル『ガット・トゥ・ビー・ゼア』でソロデビュー。ソロでも堅調なヒットを重ね、1972年7月発表のシングル「ベン」は、ソロでは初となる全米チャート1位を獲得した。
ずっと連想してました。やはり、ありました。
米国で当時大ヒットしていた同じ5人兄弟で結成されたジャクソン5を意識し、母親が「フィンガー5」と名付けた。
1979年6月、ソロ・アルバム『オフ・ザ・ウォール』を発表。全米で800万枚を売り上げるなど大ヒットを記録。批評家からも高い評価を受けた。
ビリー・ジーン」は、1983年マイケル・ジャクソンが発表した楽曲、及び同曲を収録したシングルアメリカビルボード誌では、1983年3月5日に、週間ランキング第1位を獲得。ビルボード誌1983年年間ランキングは第2位。

1983年の『モータウン25周年記念コンサート』の際、この曲に合わせてムーンウォークを初披露し大きな話題となり、エミー賞にもノミネートされた。

マイケルの曲の中でも特に人気が高く、YouTubeの公式ビデオはマイケルの曲で最も多い10億再生を記録している。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ビリー・ジーン

歌詞の内容は事実に基づいたものではないとされているが、ストーカーに遭遇したマイケル自身または兄ジャッキー・ジャクソンの実体験を基にして作られたのではないかとの推測も存在した。 1988年に出版された自伝『ムーンウォーク』によれば、プロデューサーのクインシー・ジョーンズは、人々が「Billie Jean」から女子プロテニス選手のビリー・ジーン・キングを連想することを危惧して、「Not My Lover」の題名で発表することを勧めていたという。これに対し、マイケルは「実在する誰のことでもない」と強調し、自らのアイデアを貫いた。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%BC%E3%83%B3

1984年1月、ペプシのCM撮影において、事故で頭部に火傷を負う。和解金によってペプシとの関係悪化は避けられたものの、頭部の皮膚の深くにまで至る傷を残したこの事故は、後にマイケルが整形手術の繰り返しや鎮痛剤中毒に陥ってしまうきっかけとなり、その後の人生を大きく狂わせた。なお、事故で受け取った和解金はマイケルがすべて病院に寄付した。

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…………続く
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