第23話 小山ルミとビートルズ
文字数 3,418文字
「ミスター・マンデイ Mr.Monday」 は日本だけで大ヒットしたと言ってもいい曲です。
ディキシー・リー・ストーンの伸びやかで、哀愁を感じる歌声と爽やかサウンドが、日本人の好みに合ったものと思われます。
「ミスター・マンデイ」 は、文化放送 「All Japan Pop 20」 で1位を6週間独走、1970年の年間ランキング1位に選ばれました。
日本では46万枚の大ヒットとなり、1970年の年間ランキング第1位に選ばれています。
リード・ヴォーカルのディキシーの歌声は力強く魅力的で、正に日本人好みと言えます。
今日、「ミスター・マンデイ」 を聴き返しても、その魅力は決して色褪せてはいないですね。
http://www.sk-01.com/singer/originalcaste.html
小山ルミ(1952年8月11日 - )は、日本の元歌手、女優、タレント。本名は小山 留美。北海道札幌市出身。父はアイルランド人の軍人で、母は日本人。
ロシア民謡とサーフ・ロックを融合させた曲調の『さすらいのギター』がヒットした。1974年に渡米、翌年現地で知り合った日本人宝石商と結婚し芸能界を引退。その後ロサンゼルス在住。グルーヴ感のある曲とボーカルは、21世紀に入ってからも根強い人気がある。
1906年にイリヤ・アレクセエヴィッチ・シャトロフによって作曲された。シャトロフは日露戦争に軍楽隊員として従軍しており、戦死した友を偲んで作った曲とされている。
作曲された年から現在に至るまで、数種類の歌詞がつけられたが、とりわけ1926年に発表されたアレクセイ・イワノヴィッチ・マシストフによる作詞が有名で、シベリア出兵による日本軍との戦闘で亡くなった兵士をイメージに置いたものとされている。ロシア歌謡としては、長きに渡り歌い継がれてきた。
日本においては、笹谷栄一郎の訳詩がつけられ、ロシア民謡として歌われている。しばらくは、ロシア民謡愛好家やうたごえ運動のレパートリーとなっていた。1994年に加藤登紀子が発表したCD「ロシアのすたるじい」に収録されている。
1963年に、フィンランド出身のギター・インストゥルメンタル・バンド、ザ・サウンズが、この「満洲の丘に立ちて」をロックン・ロール調に編曲し、"Mandschurian Beat " としてリリース。フィンランド本国はもとより北欧諸国で大ヒットとなり、そして日本では「さすらいのギター」の邦題が付けられ人気を得る。
1971年には、アメリカのエレキ・インスト・バンド、ベンチャーズが、日本国内向けにシングル盤を発表しヒットさせ、後に寺内タケシや小山ルミも同曲をカバーする程となった。
「イエスタデイ」は、1965年8月6日に発売された5作目のイギリス盤公式オリジナル・アルバム『ヘルプ!』に収録された。アメリカでは1965年9月13日にシングルで発売されたのち、1966年6月20日に発売されたキャピトル編集盤『イエスタデイ・アンド・トゥデイ』に収録された。レノン=マッカートニー名義となっているが、ポール・マッカートニーが単独で書いた楽曲で、弦楽四重奏をバックにしたアコースティック・バラードをビートルズ名義で初めて発売した楽曲となっている。
世界中のミュージシャンに数多くカバーされており、ビートルズ活動時点で既に1,000を超えるカバー音源が存在し、「世界で最も多くカバーされた曲」としてギネス・ワールド・レコーズに認定されている。BMI調べによる「20世紀にアメリカのテレビやラジオで最もオンエアされた100曲」のランキングでは、700万回以上のオンエアで3位にランクインされた。BBC4が2012年に放送したドキュメンタリー番組『ザ・リッチエスト・ソングス・イン・ザ・ワールド』にて音楽史上最も稼いだ10曲を選出し、本作は第4位にランクインした。
1999年のBBCラジオ2の世論調査において「20世紀最高のベストソング」にランクインし、翌2000年にローリングストーンとMTV共同のグレイテスト・ポップソング100において第1位を獲得。
「ミッシェル」は、ビートルズの楽曲である。1965年12月3日に発売された6作目のイギリス盤公式オリジナル・アルバム『ラバー・ソウル』に収録された。レノン=マッカートニーの作品で、主にポール・マッカートニーによって書かれ、ジョン・レノンによってミドルエイトが書かれた楽曲。歌詞の一部でフランス語が使用されたラブソングとなっている。
アルバム『ラバー・ソウル』に収録された後、ヨーロッパの一部の国やニュージーランドでシングル・カットされ、1966年初頭にフランスでEP盤が発売された。ベルギー、フランス、オランダ、ニュージーランド、ノルウェーのシングルチャートでは第1位を獲得した。「ミッシェル」は、1967年の第9回グラミー賞で最優秀楽曲賞を受賞したほか、デヴィッド&ジョナサンやオーヴァーランダーズによってカバーされた。https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%AB_(%E6%9B%B2)
「ゲット・バック」は、1969年4月にシングル盤として発売され、全英シングルチャートをはじめとした多数のシングルチャートで第1位を獲得した。レノン=マッカートニー名義となっているが、ポール・マッカートニーによって書かれた楽曲。レコーディングにはビリー・プレストンがエレクトリックピアノで参加しており、シングル盤には「ザ・ビートルズ・ウィズ・ビリー・プレストン」と表記されている。
アルバム『ザ・ビートルズ』の制作中に露見したメンバー間の音楽性の違い、様々な軋轢、録音技術・機材の発達に伴い個別作業が増えたことによるすれ違い等、この時期のビートルズは重大な危機を迎えていた。そんな状況を危惧したマッカートニーが、「もう一度原点に戻ってやり直そう」と他のメンバーに呼びかけて作られた曲である。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%83%E3%82%AF
カム・トゥゲザーは、1969年9月に発売された11作目のイギリス盤公式オリジナル・アルバム『アビイ・ロード』に収録された。翌10月に「サムシング」との両A面シングルとしてシングル・カットされ、アメリカのBillboard Hot 100で第1位、全英シングルチャートで最高位4位を記録した。レノン=マッカートニー名義となっているが、実質的にはジョン・レノンによって書かれた楽曲。
発売以降、アイク&ティナ・ターナー、エアロスミス、マイケル・ジャクソンなど多数のアーティストによってカバーされている。
(ログインが必要です)