第38話 妖艶! 衣装もテンポも賛否両論
文字数 5,935文字
6歳でトビリシ(ジョージアの首都)の室内管弦楽団と初のコンサートを行い、10歳からヨーロッパ、ウクライナ、アルメニア、イスラエル、アメリカ合衆国でコンサートを行った 。
1999年、12歳のときにミシェル・ソニーが主宰するSOSタレント財団において彼に師事 。 トビリシ中央音楽学校を卒業後、2004年にトビリシ州立音楽院に入学。その後、トビリシで行われたピアノコンクールでオレグ・マイセンベルクに見いだされ、ウィーン国立音楽大学へ転籍。
2010年にボレッティ・ブイトーニ財団賞を受賞。BBCシリーズの新世代アーティストにも加わった 。
ウィーン楽友協会とウィーン・コンツェルトハウスにより2011-12シーズンのライジングスターとしてノミネートされ、2012年にはエコー・クラシック賞で最優秀新人賞を受賞した 。
ブニアティシヴィリは、パリ管弦楽団(パーヴォ・ヤルヴィ指揮)、ロサンゼルス交響楽団、ウィーン交響楽団、フランス国立管弦楽団(ダニエレ・ガッティ指揮)、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団等のオーケストラと共演してきた。また、ギドン・クレーメルやルノー・カピュソン等のヴァイオリニストとも共演している 。
母国語であるグルジア語の他、フランス語、英語、ドイツ語、ロシア語等を話す。
『シンドラーのリスト』は、スティーヴン・スピルバーグ監督による1993年のアメリカ映画。
原作 トーマス・キニーリー『シンドラーの箱船』
出演者 リーアム・ニーソン ベン・キングズレー レイフ・ファインズ
音楽 ジョン・ウィリアムズ
上映時間195分
第二次世界大戦時にドイツによるユダヤ人の組織的大量虐殺(ホロコースト)が東欧のドイツ占領地で進む中、ドイツ人実業家オスカー・シンドラーが1100人以上ものポーランド系ユダヤ人を自身が経営する軍需工場に必要な生産力だという名目で絶滅収容所送りを阻止し、その命を救った実話を描く。ホロコーストに関する映画の代表的作品として知られる。
また、自身の容姿、演奏スタイル、音楽への取り組み方を全面に押し出した様々なモデル活動、トーク番組、ドキュメント番組にも積極的に取り組み、「ピアノ界のビヨンセ」と呼ばれたこともある。
2017年のフランスF2のドキュメンタリー番組"Stupéfiant!"は、「ブニアティシヴィリは自身の演奏のポリシーと魅力を世界中に余すところなく披露しているが、プーチンのいるロシアではそれを拒んでいる」と述べた。
また、2017年7月に開催されたパリ祭についても、ゲルギエフが指揮を担当することになったため出演を断ったと伝えられた。インタビューによるとゲルギエフがプーチン政権を後押ししていることがその理由であると述べている。
ロシアのウクライナ侵攻が、クラシック音楽の世界にも深刻な影響を及ぼしている。プーチン大統領との関係が深い世界的指揮者のワレリー・ゲルギエフ氏は国外のほぼ全てのポジションを失い、他の多くのロシア人音楽家までが演奏の場を奪われかねない事態に陥っている。ロシアという国固有の政治と芸術の特殊な関係性も、こうした世界の流れを加速させている。
ゲルギエフ氏は、帝政時代に起源を持つマリインスキー劇場の芸術監督兼総裁を務める、現代のロシアで最も影響力のある芸術家だ。軍事侵攻が始まった2月24日、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団によるニューヨーク公演の降板が発表された。ミラノ・スカラ座も同氏に公演の降板を要求、スイスの音楽祭の音楽監督やミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団首席指揮者の職も解かれた。
所属事務所の社長も2月27日、同氏の解雇を発表した。「あらゆる芸術は政治的だが、あらゆる芸術家が政治家であるとは限らない」と踏まえつつ、「戦争を起こした独裁政権に、直接的にも間接的にも利することを知りながら、拒絶の意を示さない芸術家にプロ(のマネジメント)としてこれ以上奉仕することはできない」との声明で立場を明確にした。
ブニアティシヴィリ は2010年、Sony Classicalと独占契約 。
2011年のデビューアルバムはリスト生誕200周年を記念したものであり、ソナタロ短調、愛の夢第3番、ラ・カンパネッラ、ハンガリー狂詩曲第2番、メフィスト・ワルツが収録されている 。 このアルバムについて、Classic FMは「ブニアティシヴィリは若い頃のマルタ・アルゲリッチを彷彿する激しい気性と技法を持つ若いアーティストである」とアルバムのレビューで述べている 。
一方、グラモフォン誌はあまり印象を残していない。Jed Distlerはその批評において「愛の夢第3番は構成においてもリズムおいても曖昧である」と批評し、「彼女の特徴である落ちつかないリズム感、計算外の躍動感、全体的な無計画さも何度か聞いているうちに次第に薄れてくる」と述べている 。
この録音の後には、2012年にショパンのアルバムを出した。このアルバムには独奏曲とピアノ協奏曲第2番ヘ短調(パリ管弦楽団、パーヴォ・ヤルヴィ指揮)から構成された。ガーディアン誌は「これは今日の最もエキサイティングで技術的に才能のある若いピアニストが本心からストレートに弾いている」とレポートしている 。一方、グラモフォンは、ピアノ協奏曲の録音について「休止の欠如と過度に速い演奏」と批判した 。 2014年には3枚目のアルバム”Motherland”をリリースした。彼女の以前のアルバムのように特定の作曲家を取り上げるのではなく、母国ジョージアの音楽を含む個人的に重要な曲によって構成され、彼女の母に捧げられた 。
続いて2016年にムソルグスキー『展覧会の絵』他を収録した4枚目のアルバム”Kaleidoscope”がリリースされた。また、ラヴェルとベートーヴェンのピアノ協奏曲のDVD/ブルーレイがリリースされた。
愛の夢第3番(リスト)
彼女の評価が分かれているのがこちらの演奏。愛の夢をここまでムーディーに弾くピアニスト、見たことがありません。
(衣装も)テンポもなかなかギリギリを攻めているなといったかんじ。
おそらく楽譜に忠実に弾くことに重きを置く人からは敬遠される演奏なのではないかと。
でも、愛とセクシーさというのはどうしても切り離せないものがあるのも事実。
彼女の演奏はそれを惜しみなく表現しているなと感じます。
個人的にはこれも一つの名演だと言えるんじゃないかと思う次第です。
バラード4番(ショパン)
ショパン屈指の難曲として名高いこちらの一曲。
最後のコーダ、派手に締めくくるんだろうなあって聴く前から思いましたが、案の定ってかんじ。
にしても、あの難しいコーダをノールックで弾いてるの逆にすごいですよね。(結構ミスタッチしてるのはご愛嬌。)
あと、カティア・ブニアティシヴィリの演奏を見ていると、前髪(なのかサイドなのか……?)が目を完全に覆ってしまうこともしばしば。
で、片手が空いている隙に前髪を振り払う、というのがお決まりパターン。この仕草がまた超セクシーなんですよね。
最初からもうちょっと髪型工夫できないの?とか色々ツッコミを受けそうなものですが、最近もブレずにこのヘアスタイルを貫いている模様。
ピアノ協奏曲イ短調 作品16は、エドヴァルド・グリーグが1868年、25歳のときに完成させた唯一の協奏曲。数あるピアノ協奏曲の中でも、非常に人気の高い曲であり、またグリーグの代表的な曲である。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ピアノ協奏曲_(グリーグ)
トゥールーズ・キャピトル国立管弦楽団
トゥガン・ソヒエフからのメッセージ
多くの方が、私が現在の自分の見解を表明し、現在起きていることに対する私の立場を明らかにすることを望んでいると思います。今、何が起きているのか、そしてそれらによって私の中に生まれた極めて複雑な感情をどう表現すればよいか、考えをまとめるのに時間がかかりました。はじめに最も重要なことを申し上げなければなりません。私は、どんな形であれ、紛争を支持したことはありませんし、これからも反対しつづけます。音楽家である私に、平和を望んでいるかどうかの質問を投げかけ、音楽で地球上の平和以外の何かを語ろうとしていないかを問いただす人がいることが、私にとっては衝撃的であり不快なことです。
私の20年にわたるキャリアの中で、人類は様々な紛争に直面してきましたが、私はいつも仲間の音楽家たちとともにすべての紛争の犠牲者に対する支援や思いを示し、表現してきました。これこそが私たち音楽家の使命なのです。音楽で物事を表現し、音楽で感情を語り、音楽で慰めを必要とする人たちに寄り添います。私たち音楽家は幸運なことに、音楽という国際的な言語をもち、時として文明社会に存在するどの言葉よりも雄弁に語れるのです。
私は、豊かな文化を持つ国ロシア出身の指揮者であることを常に誇りに思っていますし、同時に、2003年からフランスの豊かな音楽文化の一翼を担っていることも大変誇りに思っています。これこそが音楽の役割なのです。音楽は、異なる大陸や文化の人々、アーティストたちを結びつけ、国境を越えて魂を癒し、この地球上の平和を愛する全ての存在に希望を与えてくれるものです。音楽はドラマチックで、叙情的で、愉快で、悲しいものです。しかし決して攻撃的なものではありません!これこそが、私とトゥールーズの素晴らしいオーケストラとの実りあるパートナーシップが示すものであり、ボリショイ劇場の優れたアンサンブルがロシアでの公演やヨーロッパツアーのたびに私に教えてくれたことです。トゥールーズでもボリショイ劇場でも、私はウクライナの歌手や指揮者を定期的に招いていました。国籍のことなど、私たちは考えたこともありませんでした。私たちは共に音楽を創りあげることを楽しんでいたのです。そしてそれは今でも変わることはありません。フランスとロシアの人々が歴史的、文化的、精神的、そして音楽的につながっていること、そして私が愛するこの2つの偉大な国のつながりを誇りに思っていることを人々に示すために、トゥールーズでフランス=ロシア・フェスティバルを立ち上げたのです。今日、このフェスティバルはトゥールーズの政治家や行政によって開催が阻まれています。なんと嘆かわしいことでしょう。そして彼らは、私に平和に関する見解を表明するよう求めているのです!私は、このフェスティバルがどのような政治的な言葉よりも、架け橋として多くのことを成し遂げられると信じています。
この数日というもの、私はこれまで想像だにしなかったものを目の当たりにしています。今、私はヨーロッパで選択を迫られ、仲間の音楽家たちの中からどちらか一方を選ぶことを余儀なくされています。
私は、どちらかひとつの文化的伝統を選ぶよう求められています。
私は、特定のアーティストを選ぶよう求められています。
私は、特定の歌手を選ぶよう求められています。
まもなく私は、チャイコフスキーやストラヴィンスキー、ショスタコーヴィチと、ベートーヴェン、ブラームス、ドビュッシーのどちらかを選ぶようにと求められるでしょう。ヨーロッパの一国であるポーランドでは、すでにロシア音楽が禁止されています。
私は、仲間であるアーティスト、俳優、歌手、ダンサー、指揮者たちが脅され、不当に扱われ、“キャンセル文化”の犠牲になっている様を目撃することに耐えられません。私たち音楽家は、偉大な作曲家の音楽を演奏し解釈することによって、人類がお互いに思いやりと尊敬の念を持ち続けるための特別な機会と使命を与えられているのです。私たち音楽家は、ショスタコーヴィチの音楽を通して戦争の悲惨さを人々に思い起こさせるために存在しているのです。私たち音楽家は、平和の使者なのです。今や私たちや私たちの音楽は国や人々を結びつけるために用いられるのではなく、分断され、排斥されようとしています。
以上のような理由から、そして、愛するロシアの音楽家たちと愛するフランスの音楽家たちのどちらかを選ぶという不可能な選択を迫られたことから、私はモスクワのボリショイ劇場とトゥールーズ・キャピトル国立管弦楽団の音楽監督の職を即刻辞任することにしました。この決断は、私がボリショイ劇場や トゥールーズ・キャピトル国立管弦楽団の音楽家たちと知り合うことができてとても幸運であったということをお伝えするためのものです。これら2つの団体の素晴らしいアーティストたちと音楽を創ることは常に光栄なことであり、私はこれからも「音楽家」として彼らの側にいます!!!!!!!
トゥガン・ソヒエフ
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