第27話 『メン・コン』

文字数 1,831文字

ヴァイオリン協奏曲ホ短調 作品64 は、メンデルスゾーンが1844年に作曲したヴァイオリンと管弦楽のための協奏曲である。

明るい華やかさ、幸福感と憂愁の両面を併せもち、穏やかな情緒とバランスのとれた形式、そして何より美しい旋律で、メンデルスゾーンのみならずドイツ・ロマン派音楽を代表する名作であり、本作品は、ベートーヴェンの作品61、ブラームスの作品77と並んで、3大ヴァイオリン協奏曲と称される。

日本の音楽愛好家はこれを短縮した『メン・コン』の愛称で本作品を呼び習わしている。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E5%8D%94%E5%A5%8F%E6%9B%B2_(%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%82%BE%E3%83%BC%E3%83%B3)

デイヴィッド・ギャレットは1980年生まれドイツ出身のヴァイオリニスト。4歳でヴァイオリンを始め、あっという間にコンサートをするほどのレベルになります。
 
11歳のとき、ドイツ大統領に招待されて演奏した後、「ストラディヴァリウス・サン・ロレンツォ」を提供され、13歳のときにはドイツとオランダでのテレビ出演での演奏などすでに人気を得ました。

https://edyclassic.com/9260/

何気なく録画したNHKのコンサートに、ディヴィッド・ギャレットのメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲が。

衝撃……

当時はまだパソコンはなかったので調べることはできなかった。が、来日してリサイタルをすることを知った。

行きました。子供はまだ小さいけれど夫に頼み込んで。

ヴァイオリン・リサイタル。

オペラグラスで覗く。拍手に答えてアンコールを何度も何度も。初々しかった。

その後にCDを買い、並んでサインをしてもらう。なかなか出てこない……子供はふたり、夫が見ている。帰るのに1時間以上。

勘弁してね。今夜だけは。

間近で見た彼のなんとかわいくてきれいなこと……

その後、来日するたびにリサイタルに。情報があると飛んで行った。

毎日6ないし7時間は父親が付き添う厳しい指導を受け、親と離れたのはイスラエルの音楽キャンプ参加時だけであったと言うが、17歳のときに両親に内緒でジュリアード音楽学校の試験を受け合格し、ニューヨークへ移る。それまではほぼ個人レッスンか自宅での学習だったため、初めての学校生活となった。父と決別し、モデルのアルバイトで生活費を稼ぐ。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/デイヴィッド・ギャレット

ジュリアードに在学中のニューヨーク時代に、イツァーク・パールマンに入門した最初の学生になるとともに、学費を稼ぐためにモデルとして収入を得た。ファッション誌の記者からは、「クラシック界のベッカム」になぞらえられた。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/デイヴィッド・ギャレット

ヴァイオリンを弾く速さはギネスブックに2度掲載されたほどの実力。ロシアの作曲家リムスキー=コルサコフの「熊蜂の飛行」を1回目は66秒56、2回目は、65秒26で演奏し、ギネスに掲載されました。

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2013年、映画『パガニーニ 愛と狂気のヴァイオリニスト』の主演・製作総指揮・音楽を担当する。
現在はクラシカル・クロスオーヴァー路線による活動が中心となっており、グランドピアノの伴奏によるヴァイオリン・ソナタの演奏会を行なうかたわら、キーボードギタードラムからなる自前のバンドを率いて編曲ものや自作のアンコール・ピースを演奏・録音している。また、メタリカアルバムでもヴァイオリンを演奏した。
僕が子どものときに夢中になっていたのは、イツァーク・パールマンでありアイザック・スターンだった。でも、デイヴィッド・ギャレットも、パールマンの弟子だったけどああいう活動を始めたし、僕やギャレットを聴いた人は、また違うことを始めるわけでしょう。

(進化していくヴァイオリンの現場をとらえる「葉加瀬アカデミー」)

https://ontomo-mag.com/article/interview/legend03-02-taro-hakase201808/

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